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![]() ![]() ![]() <1964年に、東京オリンピックの体操競技の会場として建設された。1981年に老朽化のため一時閉鎖し、幕張メッセの設計で知られる槇文彦の設計で1990年にリニューアルオープンした。> (Wikipediaより) テニスの世界ツアー観戦などで過去何度か来場したことはあるが、いつも大混雑状態であった。 今回、人の居ない状態で建物そのものをゆっくり見る機会はこれまでなかったことを気付かされた。 ![]() ![]() ![]() 世は巨人・大鵬・玉子焼きが全盛(笑)、植木等大人気、ゴジラ対モスラが話題呼び、オバケのQ太郎が少年サンデー連載開始、とオジサン世代にとっては懐かしく印象深い年である。 この年に出来た建築物としては、曲線美と平面との巧みな組み合わせ、何と未来的・前衛的であろうか、としばし見とれてしまった。 40数年の時を経た建物、見る角度を変えるたびに異なる表情に驚かされ、シンプルながらもその背後にあるイマジネーションの豊かさやその理念を支える建築技術の確かさに感心させられた。 日曜日も夕刻迫る頃で、恐らく隣りの国立競技場でラグビーの日本選手権の試合があった後だったらしい。 大方の客は既に姿を消していたが、オールドファンがとことこと駅に向かう様子が時折見られ、祭りの後の余韻と寂寥感が漂っていた。 都心ではもう珍しくなった大きな空、冬の寒さと寂寥感、この無機質な建物と似合っていなくもないな、と思われた。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-28 10:13
とある1月下旬の週末、新宿・代々木方面をいつものように街歩き。
その後行き先は足の向くまま気の向くままに委ねたが、いつの間にか千駄ヶ谷、信濃町、そして四ツ谷にまで進んでしまった。 何のことはない、毎日来ている会社の最寄り駅まで来てしまったのである。 自分が会社を好きなのか、会社が自分を好きなのかは知らないが、よりによって休日にまでこんなところに来るなんて無意識の成せる業とはいえ、哀しい性(サガ)に苦笑いである。 さて、信濃町から四谷三丁目方向へ進む。慶応病院を過ぎ、路地へ入ってみる。 このあたりは創価学会関連の建物・施設が多く、随分信者さんや学会関連であろう人々が歩いておった。 この四谷周辺は坂や階段の多い傾斜地からなり、すりばち状の谷地あり、路地も狭く入り組んだ不思議な土地柄である。都心にありながらも時間が止まったように静かで、山の手と下町が適度に混ざっている。 南元町、坂道を下りちょうどVの字の底に差し掛かるところに一軒の木造の古い建物が見えた。 恐らく想像するに昭和30年代に建てられたものではなかろうか、三角形のシンプルな形状、木目の感じも経世の感あり、とても良い。 遮る塀もなく、直接道路に堂々と面している。戸や窓部分が大きく、嘗ては何か商家であったのだろうか。 ![]() はてところで、あの窓の下の白い看板は何であろうか?? ![]() 3月1日より取り壊し、跡地にマンション建築が予定されているようである.....。 折角都心、ど真ん中にこのような素晴らしい古き木造建築を見つけたのに、壊してしまうとは無念極まりない。 一瞬の高揚感の後に来た転落感。そして、怒り...。 ![]() 先週のとある日、昼休み、少々仕事の考え事をしながらぶらぶら歩いているうちにもう一度あの壊される家を見に行く気になった。 この家に再会、やはり美しい、壊すには余りに惜しい。 ....が、よくよくこの家を見つめて、ビックリ。 なんんと建築計画のお知らせの白看板がなくなっているではないか。 ![]() しかし次の瞬間にすぐにそうではない、と考えを改めた。 恐らく取り壊しの日が近くなったので、単に看板をはずして解体工事に備えているだけなのであろうと。 ![]() 3月1日は、もうまもなくだ。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-25 23:28
| Tokyo Walking
この前の日曜日、娘は期末試験前の勉強で家族団らんの時間も惜しんでいる。
相手にされないお父さん(私)は押し出されるように、また都内お散歩に出掛けたのであった。 いつも書いているように、先ずは何も考えずに門前仲町にて下車、骨董市開催の富岡八幡宮へ。 今日の出物、何か目ぼしいものはあろうか。 目についたのは、古いポスターや琺瑯(ホーロー)看板。 錆びた味がエエ。 時代背景がぱあっと広がって、セピア色が漂い、癒し気分となる。 ![]() 従来はコラージュというと、こんな感じで(↓)、大きさや写真の配列はコントロールが利かなかった。 ![]() 確かにその通りで少々感動したのは良いが、手が思うままに動かないし、センスがないのも致命傷であり、このように中途半端な作品となってしまった(笑)。 ありゃ、背景色の変換はどのようにやるのだろうか。 またゆっくり研究することにしよう。(もう眠たくなってきた...) ![]() さて、今回の骨董市、戦利品は沢田研二の「時の過ぎゆくままに」のシングル盤レコード。 昨年末、還暦になり武道館で開催したコンサート・「ジュリー祭り」をTVやその録画で何度も見た。 今の時代の60歳、全く若いなあ。 大昔、祖父が還暦を迎えた時は子供ごころに余命もそう長くないもう本当におじいちゃん、と言う感じで見ていたが、今の60歳、おじいちゃん、という感じではない。 ジュリーは往時に比べれば太りすぎのうえステージで少々走りすぎて、聊かこちらの方が心配になったくらいであったが、声の艶は相変わらず色気あり、伸びも素晴らしい。 ちなみに曲とすると「時の...」よりは、「勝手にしやがれ」の方が今の気分にあっているのであるが、骨董市で見つけたジュリーのレコードはこれ一枚であった。 お値段格安でいつものオジサンから売ってもらい、嬉しい気分の日曜日のひとコマであった。 ![]() ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-25 00:18
| Tokyo Walking
先週歩いた神田駅周辺。
神田淡路町あたりに何件かのお蕎麦屋さんがあり、昔時々来ていたのだが、先週はその一帯を遣り過ごしてしまっていた。 その後、森まゆみさんの本を何冊か読んでいるうちに堪らなくなり、今週はもう一度神田・リベンジのお散歩へ。 目的は蕎麦そのものではなく、建物の佇まいを見ることである。 ありました、ありました、淡路町周辺、少々路地に入ると特徴ある古い建物が散見される。 「竹邑(たけむら)」 ビルの谷間の古い家屋がどんどん地上げされ、街並みが変わっていく当地に於いて、「負けるな一茶ここにあり」というような感じで、頑張っておられる昭和初期の二階建て木造家屋である。 こちらは以前からずっと蕎麦屋と思っていたのだが、実は甘味の方であったことを今日知った。 玄関のガラス戸と木の調和感、二階の窓と欄干、何とも良い味を出している。 この建物を写生しているオバサンが二人もいて、確かにその価値あり、を思わせる美しさであった。 ![]() 端正な塀の様子や門構えがいい。色合いも良い。 2001年都より歴史建造物に指定された佇まいも端正そのものだ。 門の前で記念写真を撮る客が随分多い。 少々濃い目のそばつゆ、「お子ちゃま舌」だった昔はあまり感心していなかった。 ![]() この店も周囲を高いビルに囲まれ、一寸身を屈んでいるように見える。 古い、低い建物がどんどん潰されビルに姿を変えて行く神田の街は切ない。 この店には若きサラリーマン時代に時々足を運んでいた。 蕎麦を、ずるーっ、ずるーっと粋な音を立てて食べているオジサン達が随分カッコ良く思え、此処で蕎麦の食べ方の作法とでも言うべきものを見よう見まねで覚えようとしていたことが懐かしい。 ![]() それにしても、これぞ日本、と言いたいような、素晴らしい建物、佇まいである。 いつまでもその姿を維持して欲しいものと願っている。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-22 23:32
| Architecture
疲れとストレスが随分溜まる長い一週間であったが、金曜の夜は少し会社を早めに引き上げ、嘗ての外資系銀行で同僚であったN氏と半年振りに旧交を暖めることとなった。
待ち合わせは、丸ビルのロビー。 ロビーには大きな白骨標本がある恐竜展のPRコーナー, また、前回参加チームのサインボールなどが展示されているWBCコーナーが設置されており、賑わっていた。人待ちをしていることも気にならない。 写真は、東京メトロ・地下鉄東京駅を降り、丸ビルの地下階に向かう途中の行幸通りの地下部分。 行幸通りとは、レンガの東京駅中央口から皇居・内堀通りへ向かう道路で、幅は70メートル以上もある。 天皇家が東京駅から皇居へ帰宅(?)する際に車や馬車が走る由緒ある通りであるが、写真部分はそのちょうど地下にあたる。 このような静かな通路があるとは気が付かなかった。 混雑の東京駅や隣接の丸ビル、新丸ビルの賑わいとは対照的な静けさが悪くないと思い、撮影。 モノトーン調、シンメトリーの構図は、行幸通りの品位に相応しい。 また、東京での地下の建築技術の優秀さをも垣間見る。(これだけ地下空間が至るところで発達している大都市は世界そうあるものではなかろう。) 通路両側には嘗ての行幸通り沿いの建物やその内装などを紹介する写真や資料が並べられており、こちらも興味深そうだ。また、ゆっくりと見に来よう。 ![]() 兎に角これだけ株価も落ち景気先行きも不透明な中、投信を買う個人投資家も極端に減り、商売上がったりのようだ。 社内での経費節減に留まらず、このままだと業界の同業者数も激減することが懸念されるとのたまっておられたが、まさに同感であった。 それでも、我が世代は昭和の高度成長も体感、また平成バブルも経験しており、良き繁栄の時代も十分享受できた身分であり、若い世代に比べればまだまだ幸せか、なんて話も。 確かに、お昼には1,500円のランチを食べ、そのあと500円のコーヒー飲み、なんていうお金の使い方を毎日していても何とも不思議ではなかったような時代が何年も続いておったね、などと懐かしんだ次第。 子供の教育費やら老後の備えのためには、昼食に幾ら使うかヒーヒー悩んでいる現状を鑑みると、信じられない時代を経験したものだ、と二人でお互い顔を見合わせ、苦笑いしたたわけである。 そんなことで話も暗い話から徐々に陽気さを取り戻し盛り上がって、帰宅は1時半なり。 ビール一杯が適量の自分にとっては飲みすぎだったのか、今朝は早朝から頭痛がひどく、珍しく朝も起きられぬ重症であった。 結局朝ごはんにありついたのが午後2時過ぎ。 まっとうならぬ体調、という点では、某大臣のアノ時もこんな感じだったのであろうか、とツマラヌ想像をしてみたりした。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-21 18:43
| Weblog
暖かかった週末から一転、冬将軍が北風を連れてきて寒い寒い一日であった。
寒いと言えば、昨日発表された2008年10-12月期GDP速報値、年率にして12.7%のマイナス。 二桁減が予想されていただけに、昨日の株価は反応薄気味であったが、今4半期も20%前後の落ち込みが予想されているようで、背筋が凍る思いである。 社内でも金融機関を対象に営業をやっている女性から愚痴がこぼれる。 「体感温度としては、2割の落ち込みでも済まないくらいもっともっと厳しい~」 どうも春は遠いようだ。 寒い夜に少々暖かい灯火を、と思い、JR新橋駅・烏森口周辺の写真を何枚かご紹介。 サラリーマンにとっては、<庶民のワンダーランド>のようにありとあらゆる物が廉価で揃っている、何とも有難く、懐かしい街なのである。 新橋、と言えば、嘗ては「キムラヤ」が代名詞のように、何棟もキムラヤが駅周辺を席巻していたが、旗艦店とも言うべきSL機関車後ろのビルは、ヤマダ帝国にとって代わられてしまった。 写真は、駅線路下にある「キムラヤ」。すぐ上はホームで電車が走っている。 ![]() 買うとなると、いつも此処にやってくるが、まともに当たった試しがない。 <運に頼らず、ちゃんと働け>、と神様から言われる場所のように思える(苦笑)。 「ハイ、また伺います....。」 ![]() 烏森神社周辺の細い路地には、古くからの居酒屋、小料理屋、オジサンの友となるお店が並んでいる。赤提灯の暖かさ、何とも言えない。 ![]() この路地の分かりづらさ、雑然さ、聊かの薄汚さと昭和の臭いも、新橋の持ち味というべきか。 ![]() 路地には、飲み屋あり、マッサージ屋あり、オジサンのための小宇宙を形成。 道やお店の程よい狭さが、日本人には妙にせつなく、心地良い。 ![]() お店自体は普通の焼き鳥屋さんのようだった。 ![]() 一方こちら烏森口は、小規模の飲み屋が肩を並べる歴史ある混沌のワンダーランド。 少々小綺麗になってきて逆に昔ながらの良き味が失われないか、心配なくらいではある。 数年前までは圧倒的にこちらが新橋における主役、いわば、「表」舞台であったが、現在は、汐留再開発地区の台頭でどちらが表でどちらが裏だが少々雲行きが怪しい。 まあ、やはりオジサン世代にとっては <まだまだ烏森口が新橋の「オモテ」>、と言っておきたいところであろうが。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-17 23:25
| Tokyo Walking
春一番が猛烈に吹いた翌日土曜日、気温はぐんぐん上がり20度を超えた。
朝から 「何だコリャ?!」のぬるい大気に驚き、陽気に誘われ午後から都内へお散歩に出掛けた。 日本橋、神田、秋葉原、上野、湯島、あたりを歩く。 上着なしの軽装でココロも軽く、足取りも軽い。何だか少し嬉しい。 これが一瞬でなければ、なんて無理なことを思う。 上野不忍池の見慣れた光景。 ボート漕ぎの人々や野鳥の様子にも 光と暖かさに嬉しさが溢れているようであった。 ![]() 学業の神様・菅原道真公が祀られているだけに、受験シーズン真っ只中、参拝者も溢れるほどに多い。 あれだけ無数の絵馬が重なると、祈願も希薄化しまい、神様もどっち向いて良いか困ってしまうだろうな、と思わず苦笑い。 「xxの資格xx級、受かりますように、社内でのプレッシャーきつくて...」なんていう笑えない絵馬もあり、少々切実である。 梅が開花し始め、こちらの姿も悪くない。 ![]() 昨日なみの気温だったら、秩父方面の山にでも初めて行ってみようか、とも考えていたが、昨日の街歩きで少々筋肉痛気味でもある。 読書の日に切り替えることにした。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-15 10:57
御茶の水、と言われてすぐ思いつく建物は、このニコライ堂。
正式名称は、「東京復活大聖堂」といい、1891年の竣工、国の重要文化財にも指定されている。 上部のドームと鐘楼が特徴的で、また、壁面も日本建築にはない独特のバタ臭い模様が異国臭を強く漂わせる。 竣工当時は、この駿河台の上に立つ建物として、広く東京全体のランドマークとなっていた、ということであるが、現状は周囲のビルに囲まれ、すぐ近くに行かないと分からない存在となってしまった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日立の本社が出来、大正海上(現・三井住友海上)の高層ビルが出来た頃から、次第にビジネス臭が強くなり、異国の香り漂う文化的な街並みにも変化が現れ、少々味気なさが増したような気がする。 (閑話休題) ニコライ堂で思い出したが、ロシア料理の「バラライカ」というレストランがあったが、あれはもういつの間にか無くなったようだ。 学生時代、その後も、御茶ノ水に来るとその店に寄っていたものだったが。 ボルシチとジャム入りの紅茶、美味かったなあ。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-12 23:44
| Tokyo Walking
昨晩の帰宅は夜9時半過ぎ。
通常、風呂に入ってから食事をするが、偶々娘からリモコンを取り上げて見たTV番組、NHK BS-2で「鉄腕アトム」の懐かしいアニメが放映されていた。 手塚治虫没後20年、更に、NHKのBS放送開始より20周年の記念番組として手塚特集を日曜日からシリーズで繰り広げているようだ。 しばし、着替えもせずに、風呂も食事も忘れてソファに座り込み、アトムを懐かしく1時間ほど見続けた。 子供時代の日曜朝のお楽しみはこの鉄腕アトムの漫画であった。 明治製菓のCMや、そのお菓子のオマケなどを巡っての記憶も懐かしく甦ってきた。 白黒のアニメを見ながら、それにしても手塚が40年以上も前に想像した未来都市の姿が現在そのままに出現していることに改めて驚かされる。漫画としてのギャグやスピード感も今見ても新鮮だし、所謂「正義」やら「希望」やらという分かり易いコンセプトが明確にストーリーに散りばめられ、当時の、これから成長まっしぐら、という戦後日本の世相が反映されており、少々体も熱くなってしまった。 少々トリビアめいたことを昨日のアニメで見つけたが、あの「お茶の水博士」はアトムの「生みの親」ではなく、「育ての親」と名乗っておられた。 また、肩書きは「科学庁長官」と自ら言っておられた。 もしかして、お茶の水博士は、実は科学者ではなく、政治家だったのかしらん、なんて。 さて、「お茶の水博士」から、話題は無理やりに 「御茶ノ水」に移る。(笑) 明治、中央、日大、その他、アテネ・フランセ、文化学院、他にも予備校・専門学校含め、学生街だったこの御茶ノ水も、校舎の分散化や建て替えによって、かなりビジネス街風に姿を変えつつあり、少々寂しくもある。 これも時代の変化というべきか、大学も企業として、猛烈な生き残り競争に晒されている。 明大通り沿いを歩く。 明治大学の向かいにあるギリシャ風の建物が異彩を放つ。 日本大学法科大学院、とある。 この辺りでは最もフォトジェニックな建物ではないか、と何枚も写す。 過去の建物の意匠を尊重し、何とか無理やり変形保存したのであろうな、と想像した。 ![]() ![]() ![]() 対称形はなかなか美しいが、真ん中の中層の建物が何の変哲もないのが惜しいし、訳の分からぬアーチ風天板もどうもいまひとつ似つかわしくないと思えた。 ![]() ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-11 11:58
| Tokyo Walking
2週前の週末、JR御茶ノ水駅付近を歩く。
御茶ノ水橋から聖橋方向を撮影。 下を流れるはあの神田川。 ![]() JR線と地下鉄丸ノ内線 が交叉する立体の絵が何とも堪らない。 地下鉄の車両はやっぱり赤の旧式車両(100形)が似合っていた。 ![]() 全共闘の催涙ガス漂う時代から知っている街ではあるが、随分街並みも変わってきた。 明治大学の記念館、日仏会館から、馴染みの食堂・喫茶店まで無くなったものは少なくないが、まだ頑張っているものもあれこれあった。 嘗ての街の記憶が脳裏を駆け抜ける。 新たに発見したものも数多くあり、興味尽きぬ地域であった。 少々あれこれ連載しようかと考えている。 ▲
by ptaro2009q
| 2009-02-09 23:41
| Tokyo Walking
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