多分駄文のオジサン旅日記:Art
2016-02-13T21:51:26+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
Excite Blog
2/11 YOKO ONO: FROM MY WINDOW
http://ptaro2009q.exblog.jp/25294222/
2016-02-13T10:38:00+09:00
2016-02-13T21:51:26+09:00
2016-02-13T10:38:16+09:00
ptaro2009q
Art
オノ・ヨーコに大きな衝撃を受けて帰って来た。
偶々聴いていたラジオ番組でオノ・ヨーコが歌うバラード曲を聴いて驚いた。
もっと乾いた低い声かと思ったら、意外にも高音が優しいベルベットのような歌声ではないか。
その歌の後に現代美術館で彼女の展覧会があるのを知って翌日思わず駆け付けたのだ。
これまでオノ・ヨーコについては殆ど知識を持ち合わせていなかった。
ジョン・レノンとベッドインして反戦を訴えていた写真が有名だが、ジョン・レノンを略奪しビートルズを解散させた張本人とバッシングされることも多く、イメージ的には謎多きエキセントリックな日本人女性、という程度の認識であった。
知識を持ち合わせていない、というよりは、興味を持つことを拒否していたフシがあった、というのが正しいところか。(何となく、デビ夫人と混同??)
展示会は、中央に銃弾の穴とひび割れが拡がるガラスが何枚も続く、という反戦メッセージの強い作品から始まり、度肝を抜かれる。
次のコーナーでは、おそらくジョンと暮らしたNew York Central Park脇、Dakota Houseの部屋から撮ったのであろうか、窓の風景が続く。
少女時代のおかっぱ髪のオノ・ヨーコが可愛い。
その他、幼少時代からの詩や随筆、絵画、映像、オブジェ等々に至るまでの様々な作品を見て、半端なき感性と飛んでる空想力に圧倒された。
言葉を巧みに操る芸術性は天才というしかない、天才ジョン・レノンをして自分以上に天才と思わせた人がオノ・ヨーコ、ということか、とつくづく感心した。
字が意外に奇麗で丁寧なことにも好感を持った。
己れの凡児ぶりがいやでも浮き彫りになる、まあそれはどうでも良いことだが。
家に帰ってオノ・ヨーコのことを調べるにつれ、更に驚くことが多かった。
元日本興業銀行総裁や元貴族院議員の血を引き、父親は銀行員であったこと、ジョン・レノン関連の版権管理においてビジネス手腕を発揮し、ジョン存命時をはるかに凌ぐ財産を築いたことなど、周辺事情にも感心したが、やはり欧米では強いメッセージを持つ前衛芸術家として最大級の評価を受けてきたことだ。
自分がいま抱えている様々な問題・煩悩も全てヨーコの天才の前ではアホらしい些少なことに思え、自由に生きたい、というフレッシュな感情が沸いて来たものだ。
彼女の色々な作品にもっと触れてみたい。
最後に、オノ・ヨーコ、現在82歳。
自分の母親と同じ歳であることにも大吃驚。
展覧会は明日14日まで。
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10/4 オルセー美術館展 国立新美術館
http://ptaro2009q.exblog.jp/22719591/
2014-10-05T10:49:00+09:00
2014-10-11T07:32:04+09:00
2014-10-05T10:50:01+09:00
ptaro2009q
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六本木の国立新美術館にて開催中のオルセー美術館展を鑑賞へ。
嫁さんも前日に品川に住む妹と同展に行ったのだが、その話を聞いて自分も是非ともと一人出掛けた次第。
土曜日の夕方、混雑のピークを越えたようで、思ったよりもすいていたわい。
「印象派の誕生」とあるように、マネを始めとして、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌら印象派大スターらの作品が84点。
印象派作品にしては、全般に、良く言えば抑制の利いた落ち着いた作品が多く、率直に言うと、少々彩りの楽しさや華が欠けているとの印象があった。
NYのメトロポリタン美術館の印象派の部屋でいつも体感する高揚感、ココロ踊る気分はなかったなあ。
オルセー美術館は、パリのセーヌ河のほとりにある印象派を中心とした近代美術を扱った美術館。
1900年のパリ万博の時に作られた鉄道駅を改造して、1986年開館。
ルーブル美術館は河をはさんでちょうど斜め向かいにある。
美術ファンにとってはこの界隈は黄金の地帯、堪らないわん。
私も2001年の秋であったか、一度だけオルセー美術館を訪れたことがある。
オルセー美術館、元々駅舎だった構造を上手く美術館に転用しているが、高い天井の具合とか、階段など各所が色々と情景を思い浮かばせ、想像を掻き立てる。
列車に運ばれて人々が乗り降りを繰り返した場所で、ざわめきは消え、いま人々は美術作品を前に静かに自由な旅という想像をしている。
人と美術との幸福な出会いを促すゆったりとした時間が流れていた。
そう思うと、どの名作品をも差し置いてこの元駅舎という建物自体がオルセー美術館最大のチャームポイントではないかと当時思った次第である。
今回の東京での同展は、その施設のアピールは殆ど見られず、勝手に期待値が高かった分だけ一寸残念であった。
本場でまた「世界一有名な少年」(写真)に会いたいなあ。
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12/6 東京国立近代美術館・クーデルカ展
http://ptaro2009q.exblog.jp/21062136/
2013-12-08T19:11:00+09:00
2013-12-08T19:13:03+09:00
2013-12-08T19:10:44+09:00
ptaro2009q
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東京国立近代美術館は従って毎朝通るところ。
その割りには、「灯台もと暗し」ではないが、この巨匠写真家の展覧会のことをつい最近まで気付いていなかった。
毎朝電車の中で見るBlogで、何人かがこの「クーデルカ展」を好意的に評価していたものを読み、「行かなくては」の気持ち芽生える。
海外の美術館でもそのパターンが多いが、金曜日はいつもより遅めの夜8時まで開館ということで、退社後駆けつけた。
1938年チェコスロバキア生まれのジョセフ・クーデルカの写真展は、今年国内で見た美術・写真展の中では最もinspiringなものだった。
広い1階のフロアに延々と続くモノクロ写真は時代別・テーマ別に展示され、迫真の作品全部を見終わるには相当のエネルギーが必要。
そして、フィルムカメラの良さを再認識。
世に「東」と「西」の対立するコンセプトがあった1960年代の写真が印象的。
チェコ、ルーマニア、イスラエルの風景写真は見たこともない抽象画のようだった。
また、 「ジプシーズ」のシリーズに魂を揺さぶらされる。
当時のその場に身を置いてみたい、人々の表情を生で見たい、という写真が何枚もあった。
一方、パノラマカメラを用いた大判プリントの抽象画のような風景写真群はコンセプトも構図も実に良く計算されており、お気に入り作品多かった。
最後に見た「侵攻」のシリーズがクライマックス!
プラハ侵攻、戦車が都市を走る衝撃の現場を撮ったジャーナリスティックな作品群。
こちらは風景写真とは対照的な生々しい人々の顔が強烈であった。
常設展も、クーデルカと同年の1938年生まれの森山大道のモノクロ写真が数十点など、見どころ豊富。
閉館時間までの1時間ではゆっくり味わい切れず、クーデルカの2200円の写真集を買って帰ったが、夜、紅茶でも飲みながらゆっくり観賞するのが楽しみだ。
いや、もう一回この展覧会、来ようかな。(1/13迄開催)]]>
夏目漱石の美術世界展 @上野・東京藝術大学美術館
http://ptaro2009q.exblog.jp/20470118/
2013-07-07T19:51:00+09:00
2013-07-07T19:53:50+09:00
2013-07-07T10:25:43+09:00
ptaro2009q
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上野駅周辺の混沌と喧騒の通りを離れ、静寂の森の中を歩くのは格別に豊かな気分。
東京にもこれほど美しく知的な一画があることを嬉しく思う。
本日のお目当ては標記にある漱石の美術展。
NHK番組 「日曜美術館」や月刊「芸術新潮」などで知り、当美術展のことは気にかけていたのだが、最後の週末にやっと滑り込みで訪れることとなった。
村上春樹がその著書で、ジャズやクラシックの音楽を盛んにクォートしているが、この日本近代文学の文豪も日本美術、イギリス美術への造詣が深く、作品の中にもしばしば言及されている。
いや、<漱石は美術評論のさきがけだ>、と言う人さえ少なくないらしい。
展示内容としては、英国留学中に盛んに美術館へ通ったとのことだが、漱石に縁があるターナーやミレイ、ウォーターハウス等のイギリス美術作品が多く見られた。
日本美術では、岸田劉生、渡辺崋山、伊藤若冲、酒井抱一等の作品、そして漱石自身が描いた絵画や自著の装丁等も多数あり、興味深かった。
こころに残ったのは、やはりターナーの「金枝」か。
殺風景な崖を背景に一本の先が傾き加減の松が描かれている殺伐たる風景画であるが、どうも神話的というか宗教的な背景があるミステリアスな一枚である。
「坊ちゃん」の中で、赤シャツと野だいこが眼の前にある松の木を見てターナーが描いた松の枝ぶりに例えて口論している場面があったそうだ。(このような場面があったこと自体、恥ずかしながら全く記憶ない!)
いやはや、「坊ちゃん」は少々ドタバタが入った単なる愉快痛快青春小説かと思っていたが、なかなかどうしてこうした薀蓄を聞くと、漱石の美術への見識や熱情が作品の中に散らばめられて彩りと奥深さを添えているようだ。
日本人を半世紀以上やっておるが、明治の大文豪・漱石の人物像、その魅力、知っているようで何も分かっていなかったようだ。
漱石をもっと知りたくなってきた。
この歳では一寸気恥ずかしくもあるが、「坊ちゃん」の文庫本を明日買って読もうかな。
それにしても、作家の美術体験を展覧会に仕立て上げるというのは、なかなか面白い視点であった。
この企画に拍手!
展覧会は残念ながら本日でおしまい、次は静岡に移るらしい。
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佐倉・川村記念美術館
http://ptaro2009q.exblog.jp/11606508/
2009-05-24T20:54:00+09:00
2009-05-24T23:31:42+09:00
2009-05-24T18:22:48+09:00
ptaro2009q
Art
そこから無料バスで今日のお目当て、「川村記念美術館」へ初めて行く。
以前からその名前は知っていたが、実はリンクを頂いているmstgnさま が丁度この美術館をご紹介されていたのを拝見したのがきっかけで、是非すぐに行ってみようという気になった次第。
それにしても、mstgnさまのブログには、見事なお写真とゆったりとした語り口で、いつも癒されている。
古い町並み、なかんずく、信州の奈良井や会津・喜多方などに行ってみようと思ったのは、mstgnさまからのご指南を頂いてゆえであり、今でも大変楽しく参考にさせて頂いている。
さて、川村記念美術館は大日本インキ化学工業、現名DIC株式会社の創業者・川村喜十郎氏をはじめとする川村家3代の収集品を公開するため、1990年(平成2年)に開館したもの。自宅からも比較的近いし、また、DICが経営していたテニススクール("ルネサンス")に昔随分通っていたこともあり、一度行ってみたい、と思っていた美術館ではあったが、その名を知ってから20年近くにして、縁あっていよいよ出向くことになったわけである。
古いお屋敷などが散在する佐倉の町を過ぎ、随分の郊外を無料バスは合計30分も走る。
美術館到着は午後3時20分。
先ずは着いたところの広大さに驚愕。流石は大日本インキ、である、と言いたくなる。
広さ30万平方メートルのDIC株式会社総合研究所の敷地内に建つ美術館であるという。
敷地には緑の良く手入れされた芝生が大きな池の周りに広がる。
此処だけ見ると、美術館というよりは、ゴルフ場そのものである。
クラブを振り、パットをイメージするオジサンを思わず浮かべたが、実は此処にやってくる客層は若い女性が圧倒的に多いように見えた。
美術館エントランス手前にあるオブジェ。
此処はモダンアート専門の美術館か?
昼飯をとっておらず空腹でもあったので、トニーローマ(アメリカン・スペアリブのお店)の揚げたてオニオンリングにも見えた。(笑)
御覧の通り、ヨーロッパの古城を思わせる。 或いは、ワインセラー、に見えなくもない。(笑) 美術館に入る。
一階には、ルノアール、ピカソ、シャガールなどお馴染みの印象派の近代絵画が並んでいた。
川村家の美術に対する思いを垣間見た。
地方小都市の美術館、元々期待値は必ずしも高くなかったので、少々そのコレクションの充実振りには軽いショック、嬉しい意外感、とでも言うべき感覚を持つ。
2階フロア、こちらはモダンアートのオンパレード。
大きな展示空間に聊か意味不明な絵画やオブジェが並ぶ。
フランク・ステラやバーネット・ニューマンなどの、大キャンパス一面が赤、とか、黒一食で覆われている作品が続く。しかも多くの作品の題名が、『無題』、ときたもんだ。(笑)
作品性自体、どう解釈すべきか、まじめに意味を探ろうとすればするほど苦笑いしか出てこないような作品が堂々と並んでいる。
過去もう20年も前、ニューヨークの近代美術館(MOMA)やグッゲンハイム美術館などでも同様の作品を見たことを思い出した。当時は苦笑いではなく、ゲラゲラ笑って見ていたものと記憶する。
警備員役を兼ねてずっと静かに椅子に座ってこの空間にいるいずれも若き女性の学術研究員さん達、一日この空間の中に居て、頭オカシクならないだろうか、と心配する。
さて、現在のメインの出し物、<マーク・ロスコ 瞑想する絵画>のスペースに移る。
ここも意味不明、という点ではその系譜を継ぐものかと思われるが、色彩の微妙さや、四角や縞の模様が入っている分だけ想像力を掻き立てられ、また叙情性や包容力が感じられる。
脳科学者の茂木健一郎氏が来館し、ロスコ作品を語る機会があったそうだが、どのような話をされたのか聞きたかったものだ。右脳で見るアート、か?
自分の絵画がスペースを豊かに支配する、という意図で描かれたものらしい。
1950年後半ニューヨークのシーグラムビルにて当時開店準備中だった高級レストラン「フォーシーズンズ」の壁画を依頼され連作を描いたが、マーク・ロスコさん、その後どうもそのレストランの雰囲気を気に入らず、世に大きくアピールする絶好の機会も放棄して、壁画の納め先を長年かけて探していたそうだ。
ロンドンのテート・ギャラリーと長く親交をはぐくみ壁画の棲家を遂に見つけることとなったが、壁画を納めるその日に左腕を切って自殺した、という妙に潔癖・完璧主義というか気難しい人だったらしい。
この川村美術館は、その気難しいマーク・ロスコ(一派)のお眼鏡にかなったのであろう、7点のロスコのこのシーグラム壁画を常設し、今回の展覧会では15点を展示している。
確かに広く立派で、ロスコの壁画が似合う美術館である。
最初に自分が就職した米国の大手銀行はロックフェラー財閥系の銀行で、ロックフェラーの美術コレクションが会社の大きなスペースあちこちに壁画として飾られていた。
このロスコの作品も確か含まれていたのではなかったか、と思われ、少々懐かしい思いにも駆り立てられた次第である。
来館記念に売店で、ロスコのポスター、絵葉書と一緒に、「現代アート、超入門!」(集英社新書、藤田令伊著)を購入。
目次の幾つかを見て大笑いしたからだ。
モダンアートに対する本質的な問いだわな、これらは。
-美しいとは思えないのだけど? ピカソ 『アヴィニョンの娘たち』
-何が描いてあるのかわからない カンディンスキー 『コンポジションVI』
-上手だとは思えないのだけど? キルヒナー 『ストリートシーン ベルリン』
-これがアートといえるの? ヂュシャン『泉』
-わかったような、わからないような マグリット 『光の帝国』
-何なのか、意味が分からない ロスコ 『無題』
-アートとアートでないものの違いって? ウォーホル 『ブリロボックス』
-許せる?許せない? セラ 『傾いた弧』
などなど、多かれ少なかれ知っている作品について、このような標題で書かれており、実に面白そうだ。
いずれもこれらの疑問は極めて率直であり、根源的であり、正しいものである。
それらを問うこと自体が、モダンアートの存在感のひとつの理由なのであろうか、ははは。
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阿修羅展@上野・東京国立博物館
http://ptaro2009q.exblog.jp/11448036/
2009-05-02T06:24:00+09:00
2009-05-02T09:39:24+09:00
2009-05-02T06:24:39+09:00
ptaro2009q
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てなことで、昭和の日4月29日に、上野の「国宝 阿修羅展」に出かけた。
世はまさに「仏像ブーム」、この阿修羅展もTV, 雑誌などで盛んに宣伝されておる。
雑誌のほうでは、「一個人」、「BRUTUS」、「芸術新潮」の近刊に仏像や阿修羅特集がある。
みな、美男子・阿修羅クンのお顔がアップになって表紙を飾っているが、それぞれの雑誌の編集方針に従って仏像を楽しく分かり易い切り口で解説している。
三冊買って、比較しながらあれこれ読んでいたのだが、古人の思いや美術的技巧が千年以上の歴史を経て伝わってくる。
頭の中には阿修羅のお顔が十分過ぎるほどに刷り込まれた。
そして、やっと本物を見に行く機会が来たわけだ。
上野の森も緑があっという間に濃くなってきた。
正面に見えるが東京国立博物館。
手前の公園の池、ベルサイユ宮殿風お庭の池のようである。(笑)
この阿修羅像については、かなりの個人的思い入れがある。
初めてその像を写真で見たのが小学校4,5年の頃であろうか、それ以来の思いである。
恥ずかしながらもう何十年も前のことである。(笑)
当時の子供は切手のコレクションがブームになっており、私も熱狂的切手コレクターであったのだが、その中で<国宝シリーズ>の切手が売り出されていた。
第二集・奈良時代の切手の中にはこの阿修羅が含まれており、多くの仏像、絵巻などの中でも最も強烈な印象を残していた。
また中一の頃であったか、石膏で20cm四方のレリーフを造る美術の時間に、この阿修羅の顔3面、手が6本の姿をテーマに選んだ。
なかなかの秀作になったらしく、のちのちご近所でも評判になり、母方の実家が寺院を営んでいたことから、「流石にお寺を実家に持つお坊ちゃん」と妙な誉められ方をしたと、母から聞かされたことがある。
四年前に奈良を家族で訪れ、法隆寺、東大寺を巡ったあと、興福寺で阿修羅像を拝もうと思ったのであったが、公園で鹿と戯れる時間を取りすぎ、興福寺には寄れずに泣く泣く伊丹空港に戻った苦い思い出がある。
一句詠める、.... 興福寺 阿修羅を見れずに 降伏し(興福寺)
もう一句、..... 阿修羅見ず 残ったものは 痛み(伊丹)のみ
さて、相も変らぬ前置きの長さであるが、休日の午後5時頃、10分待ち程度で平成館・館内に入ることが出来た。
希望者は500円で、黒木瞳ナレーションの音声ナビゲーションを聞きながら仏像などの解説を聞いて鑑賞することも出来る。混雑がひどく、ゆっくりとは出来ないだろうと思い、黒木さんのは止めておくことにした。
館内、やはり相当の人。予想通り、年輩者が多い。なかなか列が進まないので、列には並ばずに後ろから覗きながら駆け足で巡る。
ネタばれになるが、第一会場の最後にこの阿修羅像に(劇的に) ご対面することが出来る。
阿修羅像のフロアに至るには、根津神社の朱色の鳥居のトンネルのような暗い空間、此処は登りスロープになっており、ディズニーランドのスペースマウンテンの通路のようでもあるが、此処を通り抜けるのである。
通路脇には、ソニーの液晶ディスプレーが並び、そこに阿修羅の顔が幾つも映し出されている。
古代と未来的・宇宙的な意匠が混在し、また少々期待感をあおる演出に緊張感も増してくる。
そして、スペースが開け、暗闇の室内、スポットライトにフォーカスされた阿修羅像をやや上方から対面することになる。
思わず、おおっ、と声が出る。見えた!
先ずは、憧れの阿修羅に対面したことへの大きな感激。
734年の作と言われているようだが、1,300年の時を経ても保たれている美への賞賛と憧憬とでも言うべきか。
次に、いや、思ったより小さく、肉感的ではなく、立体的ではなかったことに少々拍子抜け。
余りに偶像化されたイメージだった故、勝手にもっと大きなものかと思い込んでいたが、随分華奢な感じだ。
上のフロアから一段下に廻ると、今度は阿修羅像を360度あらゆる角度で見える設定となっている。
像の周りは何重もの人垣で身動きが取れない。
通勤時の満員電車以上の混雑振りで、自分の意思で行きたい場所に辿りつけず何とも息苦しい状況であったが、それでも何とか食い入るように阿修羅の表情や体躯の様子を脳裏に刻もうと必死に見る。
じわじわと感慨が湧く。
阿修羅の表情、見る距離、角度によって、色々な解釈が出てくる。
光線の加減もあるが、色加減も様々な色彩が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
阿修羅はもともとインドの出で戦いの神、であったようだが、日本に来て表情も柔和で憂いを秘めた美少年となったようだ。(笑)
少々、貴乃花の顔を思い浮かべた。(爆)
見れば見るほど、興味は尽きない阿修羅像。
何をどう書いて良いものか、言葉が続かない。
恐らく言葉を越えた存在なのであろう。(と誤魔化す)
もっとあれこれ研究してみたいものである。
興福寺では薬師如来像、日光・月光菩薩立像など多くの著名な像を収める東金堂が建替えられるそうだが、いつか是非現地にて再び阿修羅像にご対面したい。
新たな夢が出来た、と思う。
なお、この阿修羅展、第二会場の鎌倉時代の仏像は、第一会場とは対照的な力強い大きな仏像が並び、大迫力だった。印象としては、こちらのインパクトはなかなか強かった。
阿修羅展以外にも、東京国立博物館、各展示館、歴史ある建物(本館)、モダンな建物(法隆寺宝物館がお気に入り)そのものも素晴らしい。阿修羅展以外は、見物客も少なく、逆に優雅な気分で鑑賞の時間が持てた。
New Yorkの美術館など平気で20ドル、30ドル取られるが、それを考えると、1,500円で一日ゆっくりと国立博物館での時間を過ごすのは、かなりコストパフォーマンスの良い贅沢ではないか、と改めて思った一日であった。
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ヴィルヘルム・ハンマースホイ展-静かなる詩情
http://ptaro2009q.exblog.jp/10273828/
2008-12-06T19:28:00+09:00
2008-12-07T07:36:09+09:00
2008-12-06T12:06:27+09:00
ptaro2009q
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フェルメールを見た足で、同じ上野のこちらにも足を運んだ。(名前が長いので、"こちら"、と書く)
フェルメール展、余りにも混んでおり、お口直し、と思ったのだが、こちらも結構混んでいた。
全く予備知識がない画家であったが、19世紀末デンマークを代表する画家とのこと。
毎日何度も覗いている日経新聞のサイトの右側帯に下の写真の絵 「背を向けた若い女性のいる室内」 (1904年) がいつも見られることから、この絵が脳裏にしっかりと刷り込まれていた。
室内画が多く、ほぼ一貫したモチーフを追求しているようだ。
色彩はあくまで抑制され落ち着いたモノトーンにも近いもので、巧みに光と空間を描きだしている。
静謐で精神の安定をもたらす成熟した大人の絵である。
個人的好みとしては、先に見たフェルメールよりもこちらの方に軍配あげるが、絵の構図のとり方には少々フェルメールを思い浮かばせるものもあった。
それにしても、流石は北欧の画家、というべきか、赤、黄、緑、といった強い原色はなく、色素がすっかり落ちきったような画風は北欧人の顔や髪の毛の色のイメージそのものであり、妙に感心してしまった。
人物も何故か後ろを向いている女性が多く、シャイな国民性を想像させられるものであった。
同展覧会が開催されている国立西洋美術館の建物自体にも興味を持っていた。
写真に見えるように、絵画の大ポスターと同館の壁色の色調が一致し、調和している。
同館は近代建築の三大巨匠の一人、スイスで生まれフランスで主に活躍したル・コルビュジエによる設計であることを知り、以前から建物を何度か見に来ていた。
1959年開館、というからもう50年近くの歴史であり、現代の巨大ビルを思えば今やそう大きな建物ではないのであるが、当時のデザインの秀逸さが偲ばれる。
コルビュジエの作品のひとつとして、世界遺産候補となっているようだ。
上野公園のあちこちには、同館を世界遺産へ、というノボリがあちこちに立っていた。
建物と絵画と両方を満喫し、コストパフォーマンスの良い 「こちら」 の鑑賞機会であった。(笑)
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フェルメール展
http://ptaro2009q.exblog.jp/10230514/
2008-12-05T23:31:00+09:00
2008-12-06T10:40:29+09:00
2008-11-30T12:02:28+09:00
ptaro2009q
Art
2週間前の週末に上野公園を歩き、フェルメール展へ向かう。
展覧会も終盤に差し掛かり、かなり混むだろうと思えたが、案の定、1時間待ちの長蛇の列であった。
時刻は午後3時頃のことであったが、こんなに混むのなら、朝一番に来るべきだった、と思いながら列に並ぶ。
フェルメールは5年前にワシントンD.C.のナショナルギャラリーで「フルートを持つ女」など3点、ニューヨークのメトロポリタン美術館で4点ほどを鑑賞した頃から意識し始めた画家であった。
僅か30数点のみ、という寡作の画家であり、何かと謎めいている。
日本でも近来随分と人気が出てきて、8月2日から開始された今回のフェルメール展、あっというまに来場者70万人を超えているとのこと。ゴッホやルノアールなどの分かり易い近代印象派ではない1600年台の作品ゆえ、TVのCM(確か、シャープであったか)などにも彼の絵が紹介されるようなブームになっているのには少々驚かされる。
その日も多くのオバサン達が列を占めていた。
今回は少々勉強して予備知識もつけての鑑賞となった。
何冊かを読んだが、「フェルメール 全点踏破の旅」(朽木ゆり子著・集英社新書)と、「芸術新潮」2008年9月号<やっぱり気になるフェルメール>、こちらは雑誌ならではの薀蓄、雑学、野次馬的なフェルメール作品論や展覧会運営談などが面白かった。
今回展覧会にて注目したのは、下にある「小路(こみち)」という作品。
フェルメールの風景画は僅か2枚で、そのうちの1枚というわけだ。
TV東京の番組 「美の巨人」 にて紹介されたことで、興味を持っていた。
彼が暮らしていた街・オランダのデルフトの町並みを描いた作品であるが、TV番組ではその景色がどこなのかを探す小旅の様子を紹介していた。
混雑の中、見た作品は随分小さく(54x44cm)正直やや拍子抜けもしたが、小さな絵の中にある大きな世界、というのがフェルメールの面目躍如たるところでもある。
風景画の中に二人の人物像が随分ビビッドかつ精緻に描かれているところに面白みを感じた。
この二人の存在感が圧倒的な大きさの家屋を或る意味では凌駕しているように見える。
上記で紹介した「全点踏破の旅」は、フェルメールの作品が展示されている世界の美術館を全て訪れ実際に全作品を鑑賞する模様が書かれているが、こうした旅ができること自体が、素晴らしく、また羨ましい。 朽木さんの「全点踏破の旅」、を踏破してみたい気分である。(笑)
それにしても、フェルメール、知るにつれ更に興味を惹かれる不思議な画家である。
上記の「小路」を展示してあるアムステルダム国立美術館に興味を持っている。
威厳あるレンガ建ての建物で、近くにはゴッホ美術館などもあるそうである。
絵に描かれたデルフトの街も魅力的に映った。
一度オランダを訪れてみたいものである。
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上野・東京藝術大学
http://ptaro2009q.exblog.jp/8958526/
2008-06-07T07:59:00+09:00
2008-06-07T18:43:41+09:00
2008-05-31T16:19:03+09:00
ptaro2009q
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BAUHAUS experience, dessau
於:東京藝術大学大学美術館(東京・上野公園)
7月21日まで
最近、骨董市などで時折古い看板やポスターなどで単純だがびっくりするほど斬新で創意に富んだデザインを見掛けて感心・感激することが良くある。
古いが骨太な創意、イマジネーションの豊かさ、意外性に驚かされる。
モノが溢れて、デザインそのものより素材の新しさなどで勝負するような美術工芸品も多くなってきた現代だが、そもそものデザイン力とは、創意とは、と問うべき状況がある。
ある週末の日、上野の森を歩いていて芸大キャンパスで見かけた標記展覧会に入る。
場所柄、美術系の学生さんらも多数来ていてなかなかの人気とお見受けした。
「バウハウス」は1919年にドイツ・ヴァイマールに誕生した造形美術学校(てっきり、飲み屋の名前かと思ってた!)で、ナチス時代には閉校を余儀なくされたものの復活、世界のデザイン・建築界に大きな影響を与え続けている。
展示会場にはデザインの原型、とでもいうべき椅子やテーブルの数々が印象に残った。
デザイン愛好家の方々にはたまらない展覧会であろう。
入場料1,400円なり、決して高くはない(だろう)。
閑話休題、通りを一本挟んだところには先ほどの美術学部と対峙して同大学の音楽学部のキャンパスが広がる。
入り口の守衛室の裏に、恰も廃屋であるかのようにひっそりと佇むレンガ建ての館。
あまりにもひっそりとしすぎていて少々同情さえしたくなるが、シンプルにして時空を超えた美しさ、洋風にして和の侘び・寂びの風情を漂わせる佇まいにココロ惹かれる。
ちなみに、こちらは、ずっと昔だが、我が嫁さんが出た学部である。
学歴に惹かれて結婚したが(笑)、最近まであまり彼女の出身校そのものには興味を持ったことはなかった。
このところ上野がお散歩のお気に入りコースとなるや、しばしばこの地に立ち寄っては過ぎた時間に思いを寄せるのである。
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谷中 SCAI THE BATHHOUSE: 「横尾忠則の壷」
http://ptaro2009q.exblog.jp/8317923/
2008-02-26T23:03:00+09:00
2008-02-26T23:26:37+09:00
2008-02-25T23:33:49+09:00
ptaro2009q
Art
比較的広い路地沿いには若干中層のマンションなどもないではないが、概ね家並みは低く、その分空は随分高い。
旧・吉田家から真っ直ぐ北上するとまもなく、左手に銭湯らしき建物が見える。
瓦の屋根には銭湯のシンボル、ちゃんと高い煙突が聳え立っている。
昔はどこの町にでもあったありふれた景色であったが、正面に廻って見るとこれが何と....。
いや、実はこの建物、その正体は銭湯ならぬ、現代アートを展示するギャラリーなのである。
意表をついた変身ぶりが実に愉快である。
前身は200年もの歴史をもつ「柏湯」
-1993年に現在の"SCAI THE BATHHOUSE"に改修された。
中はコンクリート床に白い壁。
高さ8メートルの高い天井がお風呂屋さんの名残りを漂わせる。
天井のガラスから降り注ぐ自然光が緩やかで心地良い。
(どちら側が女湯だったか、なんてことは考えません、ハイ!)
当日の出し物は、「横尾忠則」展。
「横尾忠則の壺」
2008年2月1日(金)-3月1日(土)
大物の展覧会に遭遇し、血沸き肉踊る。(実は、入場無料なのです!)
1960年代にグラフィックデザイナーとして鮮烈なデビューを果たし、以降イラスト、写真、本格的絵画などで幅広い活躍をしている横尾氏、とてつもないインスピレーションの持ち主であると中学生時分の頃からいつも注目していたアーティストであるが、今も現役で大活躍だ。
全くこのようなところでこのような展覧会があることなど知らなかったが、その幸運に感謝。
「紫の胎動」 1994年 193.9 x 193.9 cm
展覧会名が「横尾忠則の壷」、壷の意味たるや何なのだろうか。
壷の中につまっているイマジネーション、妖気、不思議な匂い???
こちらは横尾氏の得意技、「Y字路」の景色である。
雑誌「東京人」の巻末近くで毎号都内のY字路の写真を何枚かづつ掲載している。
少々哀しみが漂う光景が何とも言えないが、このY字路コレクションも視点が実にユニークだ。
赤のフィルターで見たY字路に、手前には鮮やかな白百合、これこそ横尾ワールド、と言うべきか。
このギャラリーでは、1週間置いて、第二弾、「横尾忠則のふたつめの壺」が開催されるとのこと。
2008年3月7日(金)-4月5日(土)
また行こう。
おまけ:
横尾氏のウェブサイトもなかなか斬新なデザインの中、見所多い。
お手紙紹介コーナー(全5ページあり)が実に興味深い。
ところで宛て先は、<世田谷区成城、横尾忠則様>、だけでも手紙はちゃんと着くらしい。(凄いね!)
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三都物語?
http://ptaro2009q.exblog.jp/8190068/
2008-02-09T11:50:00+09:00
2008-02-09T11:55:34+09:00
2008-02-09T10:04:53+09:00
ptaro2009q
Art
久しぶりの集まりに話ははずみ、焼き鳥屋→ホテル内のパブ(外人さん多数で一緒に盛り上がる!)→別のホテルの最上階バー(ベイエリアの夜景抜群!)と三軒をはしご、終わりは1時半を回り、タクシーで自宅へ辿り着いたのは深夜2時半近く。
いや、こんなの久しぶりだったな~。
総じて閉塞状況強く、経済成長も鈍化している日本に比べ、シンガポールの景況は活気溢れるものだという。複数のカジノ建設を含めて、新築・再開発など多くの巨大プロジェクトが進行中で街並みも驚くべきスピードで刻々変化している。
今年は9月にF1のGPレースが予定されており、街中の道路をF1カーが轟音立てて疾走することになっているらしい。
レーシング・チーム毎に大型ホテルをクルー、スタッフ用に一軒まるまる予約を取ったりすることがあるらしく、需要逼迫。ホテル料金も既に従来の2-3倍に跳ね上がっているケースも多々見られるようだ。
あれだけあるホテルにも拘らず、まだ国全体では6,000室不足ということで、続々ホテルも新築・増築が進んでいるとか。まさに、<バブルでGo! > そのままである。
このところ、大手金融機関UBSへの資本注入や、東京のウェスティンホテルの買収等で世を驚かせたシンガポール投資庁の躍進を初めとして、シンガではお金も人も巧く闊達に働いているように見える。
また、近く視察の旅にでも行きたいものである。
いや、そういうところで仕事をしてみたいものだ、なんて邪念も...。
さて、大した脈絡なく安易に話題は飛ぶ。
下の写真は、昨年7月にシンガの街歩きをしていた時に見かけたオブジェ。
詳しい場所は定かではないが、都心からはやや離れフォートカニング・パークから国立美術館あたりに向けて歩いていた途中だったと記憶する。
どこかで見たオブジェ....。
こちらは1月末の西新宿、アイランドタワー手前の広場にて。
おなじみのシーンである。
4年前の初夏、New Yorkのセントラルパーク近くでも同じものを嘗て見ていた。
これらの作品はいづれも米国人、Robert Indiana氏によるもの。
上記のものだけでなく、同じものが全米の都市、世界各地にもあちこちにあるようだ。
フォントや色を変えると、同じLOVEも随分印象が変わってくることだろうか。(笑)
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国立新美術館
http://ptaro2009q.exblog.jp/6061845/
2007-05-12T09:59:00+09:00
2007-12-31T22:53:53+09:00
2007-05-11T23:32:34+09:00
ptaro2009q
Art
「建築は哲学」と言い切る氏のスピリッツとそれを具現した様々な実験的な建築物、更には都市計画(特に海外)も40年以上の長きに渡って第一線の建築家として手掛けられており、何れもイマジネーションを強く喚起させられた。また関連の建物・人物にも興味が連想ゲームのように拡がって行った。
実際に氏が携わった建物や、同じ思想を持った他の建築家の作品などを、書面を通して、或いは、実際に自分の眼で直接触れることが多くなってきたものだ。
何だか知らぬ間に、建築・建物の入門本が自宅の本棚にも増えてきたようだ。
生きる現代的・未来的建物だけではなく、古く懐かしい建物、更に「廃墟」・「廃屋」なんていう随分カルト的な分野にも興味は及び始めている(笑)。
さて、東京・乃木坂にこの1月開館したのが、「国立新美術館」である。
これも黒川氏の設計によるものである。
まだ開館まで2,3ヶ月前、というときに、偶々タクシーで青山墓地付近を走っていたときに、歪んだフォルムのガラス張り外壁曲線の奇妙な建物が見えたときには、一体何かいな、と思ったものだった。、また最近流行りのガラス張りの建物か、今では学校なんかでもこんなのが沢山出来ており、もう特別な斬新さは感じないな、という程度のちらり見の印象であった。
開館した1ヶ月強たった三月初旬に同美術館を訪れた。
余りの人の多さに吃驚。
世の中に美術ファンはこれほど多いのか、単なる新しもの好きなのか、純粋な黒川ファンってえのはどの位居るのだろうか。
建物、内部のインテリアについては、人の多さに煽られ、冷静に感想を述べる段階にはなかった。ガラスの壁面が生きるように、美術品を見る展示室のスペースは奥のほうにあり、ガラス壁面沿いには大空間が構えられている。もう少し人が少なく、美術館らしく(笑)ゆったりと静かな時間が流れないと、この空間は生きないな、と感じた程度である。現状は、新装開店のデパートの特売場のような異常な熱気であった。レストラン・カフェなどは長蛇の行列、ここはディズニーランドか?
館外にある、と言われて、実は興味を抱いていたのが、新美術館の「別館」との位置付けらしいのだが、旧歩兵第三連帯兵舎。226事件ゆかりの歴史的建造物でその一部が保存される、ということでこの辺も黒川氏の思いが実現したものらしい。
実際には、一部保存、というが、ホントに極く一部カケラが残っている、という程度で、説明もなければ、何が何だか分からない小建築で、拍子抜けした。
それよりは美術館近辺に建てられた、異様に細高い建築物、、恐らく外資系金融機関に勤務する外人サン向けのような成金的なアパートに見えたが、妙な景観を形成していることが気になった。
先輩格の六本木ヒルズ、そして開場まもない(当時)東京ミッドタウンを周辺に擁し、六本木トライアングルの空気がどのように熟成していくのか。個人的には、聊かプチブルジョア的(もう死語?)で、言わば、格差社会の陽の極のシンボリックな場所、真に心休まる場所ではないと感じたが、少し冷ややかな思いで今後の様子を見つめて行きたいと考えている。
新美術館の写真をアルバムにした。
写真の出来映えは、うーん、いまひとつ、かな。
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鈴木信太郎展
http://ptaro2009q.exblog.jp/4780290/
2006-10-22T23:53:00+09:00
2006-11-25T10:34:15+09:00
2006-10-22T23:53:32+09:00
ptaro2009q
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自宅からは電車で1時間半以上掛かる場所でもあり、プライベートで横浜へ行くことなどこの30年間殆どなく、横浜の著名スポット等についての知識もほぼ皆無であった。
本日の目的は、横浜そごうデパート内・そごう美術館でやっている「鈴木信太郎展」へ行くため。
<親密な空間、色彩の旅人>とサブタイトルが付けられているが、恥ずかしながら、鈴木信太郎、これまで全く知らない画家であった。
実は、「散歩の達人」という雑誌の最新号が出て、これは有楽町・新橋・日比谷・汐留の特集をやっており大変面白かったのだが、その雑誌を読み終えた後の裏表紙がこの「鈴木信太郎展」の広告となっていた。広告にある絵の童心溢れる豊かな色彩に五官を強く揺るがされてしまった。
是非行ってこの眼で見てみたい、と思った次第であった。
鈴木信太郎は1895年生まれ。
八王子の生糸を扱う裕福な商家に生まれたが、足が不自由になり、跡取りではなく絵画の道に進む。若いうちは、なかなか芽の出ない時期も続いたようだ。
当初の油絵はセザンヌを思い浮かべさせる、一寸重い静物画が多い。正直言って、凡庸なものも少なくない、という印象があったが、次第に画風も変わってくる。
この展覧会でも最もシンボリックに紹介されている「象と見物人」(1930年)など、色彩、構図、絵の対象、全てにひと皮もふた皮も剥けた、ポップにさえ見える楽しい画風が次々と登場する。
「緑の構図」(1936年)なども、過去の画風とは全く異なった清々しい作品である。
また、数寄屋橋、霞ヶ関、など1930年代の東京を描いた作品も当時の風景が偲ばれ、非常に興味深い。
まだ、絵画を職として手掛ける、という人は少ない20世紀初頭時代にどういう気持ちで取り組んでいたのか、と興味をそそられる。
特徴的なのは、こうした油絵だけでなく、30歳台半ばからは、本の装丁やお菓子のパッケージなどの商業デザインも手掛けていることで、額縁つきの絵画以外に、これらのものも陳列されていた。生活のためにこういう分野に手を出したのかとも想像されるが、彼の多彩な才能がむしろ遺憾なく発揮されており、実にいい感じであった。
尾崎士郎の「人生劇場」、源氏鶏太の「三等重役」のシリーズ本などの装丁、ホントにいい味を出している。洋菓子屋の包装紙なども、どれも愛らしく、印象的だ。(2,100円で解説本も買ったが、やはり、本物を見る方が遥かに良い!!)
絵の中では、「靴屋」(1931年)という作品が気に入って、何度もこの絵の前を行ったり来たりした。
それにしても、絵を描く、というのは、楽しいことだ、と思わせてくれる展覧会であった。
奥さんを67歳の時に亡くしたが、自分は93歳まで生涯創作活動に励み人生をまっとうしたという。実に羨ましい人生だ。
絵を描くことに取り組みたい、と心の底ではそんな欲求を細く静かに持ち続けているものの、一向にその契機を掴むことなく今まで来ている自分であるが、今日の展覧会でちょっとその引き金に指が掛かったかな、という微かな気持ちを自覚した時間であった。
実に快適な展覧会であった。]]>
伊藤若冲
http://ptaro2009q.exblog.jp/4418583/
2006-08-26T09:32:00+09:00
2006-08-27T00:05:35+09:00
2006-08-26T07:48:36+09:00
ptaro2009q
Art
また、今週NHKハイビジョンで連続放映していた『日本の名山』も、息を飲む素晴らしい映像続出で日本各地の代表的な山を取り上げていたが、これも日本がこれまでに美しい国なのか、ということを再認識させるものであった。
さて、美術の分野でも、最近は日本人画家の描く絵画が見直される機運があるが、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう 1716-1800)もその一人である。
上野の国立博物館で開催中の ">『プライスコレクション 若冲と江戸絵画展』 に行ってきた。
本日は、朝の通勤時にマガジンハウス発行の雑誌「BRUTUS」の若冲特集でおさらいをし、夕刻上野の森へ向かった。金曜日の夜だけは閉館時間が午後8時、と遅い。
ニューヨークのメトロポリタン美術館やMOMAなどもそうだが、勤め人にとっては仕事の後に立ち寄れる特に有り難い制度である。(ついでに、入場料もただだともっと良いのだが....!)
さて、この若冲だが、つい最近までは知る人ぞ知る(ちょっと変わった)画家であったが、近年その超越した技巧や奇抜な構成が再評価され、飛躍的にその知名度と人気を上げている。
最近では日経新聞での特集や、TV東京の美術番組「美の巨人」でも取り上げられ、このところとても気になる存在であった。
今回の展覧会は米国人コレクター、ジョー・プライス氏所有する若冲を含めた江戸絵画のコレクションが多数陳列されているが、外国人によって日本画家の評価に光が当てられた、というのも面白い。そう言えば、明治時代初期、法隆寺を始めとした日本建築や美術の偉大さを世界に伝えたのもアーネスト・フェノロサだったことを、思い出した。
「BRUTUS」の特集記事の中で、このジョー・プライス氏を美術史家・明治学院大学教授の山下裕二氏がインタヴューしたものがあり、興味深く読んだ。
プライス氏が若冲を知ったのは大学卒業後の1953年。父親の知人であったかのフランク・ロイド・ライト(これも凄い縁故だ!)の鞄持ちでニューヨーク行きにお供をしたらしい。ニューヨークで国際的古美術商をしていた瀬尾さんという方の店に、日本通のライト氏と行ったのだが、その時に掛け軸の一枚がどうしても気になってしょうがなかったという。店を出て、ライト氏を数ブロック離れたプラザ・ホテルに送り届けた後、一人でもう一度その店に戻った、という。誰の作品かも全く分からなかったのだが、この掛け軸を買うことにしたという。
なお、金額については、語られていないが、相当の額だったようだ。
当時プライス氏が大学を出たばかりであったが、父親からメルセデス300SLのガルウィングを買うためにその購入資金を手に入れていたという。何と、その資金をこの掛け軸のために費やしたそうだ。
プライス氏いわく、...
「日本美術に出会って、スポーツカーへの興味がなくなってしまった。」
(Oh, my god ! という科白である。)
その後プライス氏は、若冲を始めとした江戸時代の日本美術を買い集めて600点、今回の展覧会にも100点を越える作品を送り出したとのこと。いや、確かに、江戸時代の屏風絵、浮世絵、創意に溢れ、構図、色彩、素晴らしい。日本美術、まことに素晴らしい!!
当展覧会にも、このプライス氏が初めて若冲と出会った作品である「葡萄図」が陳列されていた。
もの凄い人だかりであった。
正直申し上げて、他の若冲作品に見られる常軌を逸した色彩感覚や構図ではなく、どちらかというと、比較的タッチもボンヤリした中国の墨絵のような地味な印象の掛け軸であった。黙っていれば、俗人には恐らくは違う絵のほうに興味が行くような程度のものにしか見えないのだ。
この作品が気になってしょうがなかった当時絵画素人のプライス氏の慧眼、若冲に潜む恐ろしき才能に閃いたプライス氏の感受性には、今や驚愕するしかない。フランク・ロイド・ライト氏が媒介となった若冲とプライス氏の出会い、というのも、偶然ではなく、何か必然のものにさえ思えてくる。(ご興味ある方、是非「BRUTUS」お買い求めください。同展覧会の売店にもありました。)
同展覧会は27日(日曜)まで。あと2日間です。(次回は、京都)
関連ブログをどうぞ!
いやー、それにしても混雑がひどかったです ^^;]]>
'PICASA' Part-2
http://ptaro2009q.exblog.jp/3034693/
2005-11-09T23:41:00+09:00
2005-11-10T00:11:02+09:00
2005-11-09T00:26:41+09:00
ptaro2009q
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まだ使い勝手が分からず、泣きを入れたところ、リンク先のhesse60さまよりご教示頂き、いじっているうちに何だかイメージしているものが形になってきた。一歩前進することが出来たようだ。うーん、そろそろ年賀状の図案も考えねばならぬ季節だが、こんなの使えるか?
Yellowstone N.P.の写真を材料にして、こんなのが出来た。
当初は白枠付きのコラージュにしようとしたが、こっちの方が見映えが良い。是非色々な機能を更に試してみたいものだ。
hesse60さま、アドバイスを有難うございました。]]>
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