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気力を振り絞って合戦小屋から頂上へ向けて約15分を歩行、しかし、時間や残った体力を考え、「もはや、これまで」、の決断をしたことを前篇で書いた。
標高2,400m地点でのことだった。 あと300数十メートル、時間にして1時間を進めば美しい燕岳山頂をのぞめた筈。 そもそも燕岳を初登山の対象に選んだのも、山頂の三角錐の美形、真っ白の岩肌とハイマツの深い緑の何とも言えぬコントラストに魅せられたからであった。 しかし、霧のベールも益々濃くなり、その山頂を感動で拝むのも難しく、何よりも登山口から穂高駅まで戻る最終バスの時間を逃すと明日の時間の過ごし方が全く変わってきてしまう、という強迫観念が最も強く働いていた。 踵を返し、山をくだる。 一旦降りる、と決めたら気持ちはぐっと楽になった。 それにしても、下り道の足の運びの軽さよ、速さよ。 平地をジョッギングで走ると時速10kmほど、普通に歩くと4-5kmほど。登山の場合には徒歩の何分の一かの本当にゆっくりした足取りでしか進めないのであるが、難儀な登りに比べると下りの足取りは異常に速く感じられた。 重力は当然下に向かうので、急がなくても急いで降りるような勢いが自然とついて来る。 飛ぶように歩いている、いや、もう「坂道を転げ落ちる」、という感覚である。止まらない。 人ひとりがすれ違うのがやっと、という細い山道、登って来る人たちと時折すれちがう。 その度に「こんにちわ」の声を掛け合うのが山のオキテらしい。 時には、あれ、何でこんなところで降りてくるの、というような反応をする人が居た。 時間的にも山頂に至らず降りること等、有り得ない、というように見られたか。 すれ違う人達、という点では、圧倒的に中高年、それも団塊世代から60歳を超えた人々が多い。二人連れで登山口からずっとここまでおしゃべりをしながら上がって来たらしきオバサン達は驚異的。 こちらがもう死にそうな、泣き顔で登って来た急坂を、おしゃべりしながらまるでその辺に買い物にでも一緒に出掛けているような平気な顔して登っているとは、アンビリーバブル、というしかない。 寓話「ウサギとカメ」のカメさんのように、マイペースで決して急がない、決して体力があるとも思えないのだが、その足取りは実に着実で乱れがない。とても不思議だ。 そういう不思議な人達と何度かすれ違った。 山は不思議なところだ。 下り坂では足取りも軽く、速い、と書いたが、実は結構危険もある。 重力ゆえに自分がコントロール出来ぬほど体が速く下に落ちていく。 足の動きがそれに伴わないことがある。また、足を滑らすこともある。 実際に、急坂を降りる際に二度ほどしりもちをついた。 頭を打って卒倒でもしたら、誰が助けてくれるのだろう、と一瞬不安がよぎる。 先週の3連休に穂高で62歳の男性が滑落死、という報道を目にしたが、下手をすると死と隣り合わせの状況がある、ということを感覚的に理解した。 登りが終わって安心するのはまだ早い、下りも十分に慎重に、ということだ。 さて、1時間強下り続けて、やっと第一ベンチまで辿り着いた。 平地でゆっくりしたい、という不純な動機も後押しして、一気に下って来た。 登山口まではあと僅か、時間にして15分くらいであろうか。 しかしながら、初めは快調に思えた下り道も、段々ひざへの負担も多くなり、また、これまで余り長い休憩も取らずに来たツケが出てきて、またも泣き顔状態となってきた。 この時間、もう登りで来る人たちのバスも終わっており、すれ違う人の数も殆どなくなってきたので、心行きなく泣き顔のままで居られる。(苦笑) 第一ベンチから終着点の登山口に到着するまでは随分長く感じられた。 実は計算上はもう着いても良いと思われる時間になっても、全然終着点らしき雰囲気が感じられなく、「もしやして道に迷って遭難?」という懸念を次第に大きく持つ状況となった。 <オカシイ、到着する時間なのに何故だ?> <山では携帯電話も圏外で下界との連絡は取れない、何処か分かるところまで戻るべきか、いや、そんな体力あるわけない>、等と恐ろしい会話を自分とする。 その間の10分位は、聊か悪夢のような時間で実に長く感じた。 終わりと思った行程が終わらぬことで、肉体も悲鳴を上げ始める。 顔は泣き顔から破れ顔となる。 汗と、涙と、ついでに、ヨダレが、混じり合う。 顔が破れたあと僅かして、しかし、出口の表示があり、やっと無事生還となった。 この時の嬉しさと安堵感といったらない。 生存の喜びは、(山頂)征服の喜びに勝る。 出口を通り抜け、小屋の前のテーブルで食事を摂っていた登山ベテランらしきオジサンから「お疲れさん!」と声を掛けられたのが何とも照れ臭く、嬉しかった。 その後、小屋でペットボトルのポカリスウェット(300円、やっぱり此処でもこのお値段!)を一気に飲み、バスが来るまでの1時間半、ずっと硫黄臭漂う砂温泉の隣りの岩場で死んだように寝ていた。 山間の谷間のような場所で、周りには行き交う人はいない。 登山者は皆登り終えて山小屋で時間を過ごしているのだろうか。 山頂ではなく谷間ではあったが、何とも大自然に抱かれたような1時間半であった。 穂高駅行きの最終バスの乗客は自分ひとりだけであった。 (長文・駄文、お付き合い有難うございました!)
by ptaro2009q
| 2007-09-29 16:51
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