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軍艦島に上陸。
小雨も降る鉛色の重い空、強い波風、島に打ち付ける風で大きく飛び散る飛沫。 何とも憂鬱な気象状況の中で目に飛び込んで来たのはこれまた荒涼たる景色。 ドキュメンタリー番組で見たシリア内線の跡か、はたまたインカかエジプトあたりの文明が崩壊し長期に放置された跡、というような印象。 かつて海底炭田の採掘地として栄えた軍艦島ではあるが、現在は無人の「廃虚の島」。 炭鉱施設は殆ど解体されており、朽ちたコンクリートの高層住宅群だけが往時の面影を伝えている。 この島で初めて石炭が発見されたのは、19世紀初頭。 その後、1890年に三菱が本格的な採炭を開始した。 1916年には、日本初の鉄筋アパートが建設され、その後7‐9階建ての高層住宅が次々に建てられた。 最盛期には東京ドームの1.3倍ほどの面積に約5200人が暮らしていたという。 人口密度は1平方㎞あたり何と5万人という異常な高さ。 島内には食堂・共同浴場・学校の他、パチンコ店・映画館・プールと、日常生活に必要なものは何でもあった。 石炭の産出量は年間約25万トン。 世界的にも良質と評された石炭は鉄鋼生産用として福岡の八幡製鉄所等に輸送され、日本の近代工業の発展を支えた。 1974年に閉山するまで、戦後の高度経済成長にも貢献した。 その後、護岸工事が行われただけで、長く放置されたままだったが今世紀に入ってから保存の動きが強まり、長崎市は2007年から見学用の桟橋や通路の整備を開始、2009年には上陸ツアーが開始されたという。 ツアーでは島の端っこ、計3か所において主催者の説明を数分づつ聞くようなスタイルで進行する。 時に雨も強まり、寒さも沁みる。 眼に見える荒涼とココロの中の荒涼感がぴったりと重なる。 実際にすぐ近くで見る景観はもう建物は殆どが崩壊し、その残骸が僅かに残っているだけのポイントなので正直なところ本当に見たいところではなかったが、恐らく見たい建物の廃墟には崩壊の危険性が高くて人を近くには置けない箇所となっているのであろう。 実際のところ、強風、波風でコンクリートとは言え風化が激しい建物の状況を見ると、今後建物の崩壊は進み、景観も次第に変わって行くのではないかと想像された。 閉山後は皆島を去り、一気に人の姿が消え長いこと放置されていた。 政策の変更によりこれほど極端に土地の状況が変わることは極めて珍しい例ではあるが、もしかして石油で繁栄して超高層ビルが並び栄華を誇る中東産油国なども、新しいエネルギー手段が席巻した場合には、いずれこの軍艦島と同じ運命を辿るのかもしれない。 政策変更によって土地が変わる「未来予想図」がこの軍艦島の姿なのである。
by ptaro2009q
| 2017-02-28 10:44
| Kyushu
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