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桃山期の手法で築かれた「諏訪の浮城」
日本全国お城めぐりをしたいと考え、信長・家康にゆかりのあるお城を中心に行脚を始めている。 城に関する本や小説も随分読んできた。 旅をする時にはお城が目的でなくとも近くにあれば寄ってみるよう心掛けている。 5月末、松本から帰京する途中に上諏訪駅で途中下車、徒歩でとほとほ15分ほど静かな街を諏訪湖方面に向かって歩いたところ、高島城を訪れた。 「諏訪の浮城」の異名は嘗てこの城が諏訪湖に面して築城され恰も水中に浮いた城のように見えたことに端を欲する。この異名に惹かれて訪れてみようと思った次第である。 城内に嘗ては温泉が出ていたというのも面白い。 現在の当地は埋立地となった住宅地の中にあり、殆ど浮城の面影はない。 「看板に偽りありか?」 いや天守に登り、隣接の高島公園をひと回りする際に後で分かったのであるが、城の北側にお濠があり、其処からの景観は浮城であった頃の面影を確かに残しておった。 1598年というから関ヶ原の戦いのちょっと前、豊臣秀吉系の武将・日根野織部によって築城 日根野は安土城や大阪城築城にも関わった築城の名手らしい。 1601年には 徳川家康の恩恵で藩主となった諏訪頼忠の子・忠水が入封、以後明治まで諏訪氏の居城 江戸末期~明治初期 高島城の湖側を埋め立てて水田に 1871(明治4) 廃藩置県、高島県の県庁舎に 1875(明治8) 廃城、天守撤去 1876(明治9) 本丸を高島公園として開放 1970(昭和45) 天守、櫓、門、塀を再建 う~ん、明治維新のあとに日本のお城の多くは城狩りに会い、天守を失っている。 実に勿体ないと思われるが、当時維新を実行した為政者からすると城は封建制、旧権威・旧文化の象徴として撲滅すべき対象だったのであろう。 しかし、やはり町の精神的な支柱としてのお城の存在感というのは住民にとっては大きかったのであろう。復興への道が早期に敷かれたのは良いことだと思われる。 1970年天守再建のときに建設にあたったのは大手ゼネコンの熊谷組だったのは、少々笑えた。 駅から歩いてやっと初めて眼にした高島城天守はまるでオモチャというか、プラモデルそのものであった。 これは天守ではなく櫓かと思ったくらい。 前日&当日朝にみた国宝・松本城の重厚にして壮麗な姿と比較してはいけないが、スケール感、質感ともに、格落ちは否めない。 とはいえ、関ヶ原の合戦後長く諏訪氏の居城として地方を治めてきた矜持はそこはかとなく感じさせられる。 天守から見下ろす諏訪湖の光景は絶景かな。 その後、お城から約1㎞を歩き諏訪湖のほとりにたどり着く。 随分の広さを埋立てたのだなあ。 人通りも疎らな静かな街、昔の栄華を思い遣った。 最後に、諏訪湖のほとり。 風が思いのほか冷たく強く、ゆっくり感傷にふける間もなく立ち去ることとなった。
by ptaro2009q
| 2015-06-21 08:12
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