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911の同時多発事件では、このWTCで3,000名以上の方が命を落とされたという。日本の大手金融機関勤務の方も相当数犠牲になられたと聞いている。
初めてこのWTCを訪れたのは、そこに事務所を構えていた幾つかの日本の金融機関を訪問するためであった。1980年代後半のことである。当時、米国大手銀行に勤務し、何箇所かの業務部署や経理等の経験をしたあと審査部に配属され、その後金融機関担当のマーケティング部に来て営業活動を行っていたわけだったが、ビジネスの対象となる金融機関はどんどんと海外にも拠点を拡大していた。 その頃は日本経済はまだ好調で、バブルが膨らみかけているところであった。 大手は勿論、地方銀行や、今では死語になったが、相互銀行なども或る意味でのステータスを求めてNew YorkやLondonに拠点を持つようになった。New Yorkでは、それで地銀などでもこのWTCに事務所を構えていたところが結構あったのだ。New Yorkでも最もシンボリックなビルに事務所を構える、というのは、新規に良質の学生の就職を募るにも好都合、良い宣伝効果が得られる、という話を聞いたことがある。 初めてこのビルに入った時には、エレベーターの大きさに驚いた。一度に100人程度は優に乗れるような、これまでに見たこともないような圧倒的な大きさであった。一定階より上に行くには、途中でエレベータを乗り換えなければならない。もう電車の乗り換えみたいなものである。このエレベーターの設置場所や途中乗り換えのアイデアは高層ビルの建築上は当時は画期的なアイデアであったという。 ぐんぐんと上に登り、エレベーターを乗り換える頃には、遥か向こうに見える窓の外には、漂う雲が見え、もうとんでもない所に来ている、という恐怖感を抱いたものだ。それこそ、足が地に付かない感覚である。こういうところで、何かの事故でも起きたら、もう自分自身が必死に逃げてもまるでコントロールはきかないだろうな、ということを瞬間的に考えた。まさか、あの911事件で、本物の飛行機がビルに突っ込んでくるなどとは夢には思わなかったが、まさしく、その「何か」が起こってしまったのだ。ビルの住人達の日常の意識はどんなものだったのだろうか。 当時WTCで訪問した地方金融機関は、その後殆どが不良債権問題から逃れることも出来ず、NYを含めた海外拠点をたたんで撤退した。バブル崩壊後、あれだけ海外進出に積極的で、また右へ倣えの体質を持った金融界も大きな曲がり角を向かえ、今度はこぞって縮小を繰り返す。しかし、これは、WTCの事件では、幸いした。「残っていたらどうなったか、ぞっとした」と言う知り合いの声を良く聞いた。人の運命の不思議さを感じる。
by ptaro2009q
| 2005-05-27 00:05
| New York
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