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昨晩金曜日の夜は、シンガポール赴任中のH先輩が出張で帰国中ということで、同じテニス仲間・ハイキングメイトのS先輩と一緒に新浦安に集合した。
久しぶりの集まりに話ははずみ、焼き鳥屋→ホテル内のパブ(外人さん多数で一緒に盛り上がる!)→別のホテルの最上階バー(ベイエリアの夜景抜群!)と三軒をはしご、終わりは1時半を回り、タクシーで自宅へ辿り着いたのは深夜2時半近く。 いや、こんなの久しぶりだったな~。 総じて閉塞状況強く、経済成長も鈍化している日本に比べ、シンガポールの景況は活気溢れるものだという。複数のカジノ建設を含めて、新築・再開発など多くの巨大プロジェクトが進行中で街並みも驚くべきスピードで刻々変化している。 今年は9月にF1のGPレースが予定されており、街中の道路をF1カーが轟音立てて疾走することになっているらしい。 レーシング・チーム毎に大型ホテルをクルー、スタッフ用に一軒まるまる予約を取ったりすることがあるらしく、需要逼迫。ホテル料金も既に従来の2-3倍に跳ね上がっているケースも多々見られるようだ。 あれだけあるホテルにも拘らず、まだ国全体では6,000室不足ということで、続々ホテルも新築・増築が進んでいるとか。まさに、<バブルでGo! > そのままである。 このところ、大手金融機関UBSへの資本注入や、東京のウェスティンホテルの買収等で世を驚かせたシンガポール投資庁の躍進を初めとして、シンガではお金も人も巧く闊達に働いているように見える。 また、近く視察の旅にでも行きたいものである。 いや、そういうところで仕事をしてみたいものだ、なんて邪念も...。 さて、大した脈絡なく安易に話題は飛ぶ。 下の写真は、昨年7月にシンガの街歩きをしていた時に見かけたオブジェ。 詳しい場所は定かではないが、都心からはやや離れフォートカニング・パークから国立美術館あたりに向けて歩いていた途中だったと記憶する。 どこかで見たオブジェ....。 こちらは1月末の西新宿、アイランドタワー手前の広場にて。 おなじみのシーンである。 4年前の初夏、New Yorkのセントラルパーク近くでも同じものを嘗て見ていた。 これらの作品はいづれも米国人、Robert Indiana氏によるもの。 上記のものだけでなく、同じものが全米の都市、世界各地にもあちこちにあるようだ。 フォントや色を変えると、同じLOVEも随分印象が変わってくることだろうか。(笑) #
by ptaro2009q
| 2008-02-09 11:50
| Art
門前仲町はいつも街歩きをするときの一番最初の下車駅と決めている。
骨董市や深川メシ等のお気に入りのキラーコンテンツがあることに加えて、昔のおもちゃ箱のように、一歩路地に入ると古きシーンの数々を発見が出来るのが楽しい。 隣り駅の茅場町は大小の証券会社がひしめく金融の地であるが、一歩こちらに踏み込むとタイムスリップした世界があちこちに拡がっている。 隅田川を挟んで、時間の流れが極端に速い地域と遅い地域が呉越同舟なのが愉快だ。 下の写真は路地ではなく、永代通りという大通り沿いに茅場町方面を目指して歩いていた時にふと見つけた 「何でもない風景」。 モルタル塗りの家屋にコカコーラの看板のお店がいい味を出している。 場所は、隅田川に架かる永代橋の手前あたりであったが、何だか昔は普通にあった原風景。 中央の水路はこの先、大河・隅田川に注ぎ込んでいる。 後ろに、ハドソン川のほとりのマンハッタンのアパート群と一瞬見間違うような(笑)、佃島に聳える高層マンションの頭部がにょこっと顔を出している。 未来的なものとうらびれた懐古的なものの興味深い対比が楽しめる東京的一シーン、思わず足を止めてしまった。 ここのシーンも、一面雪景色となった寂寥感を撮ってみたいという衝動をこの前の雪の日曜日に持ってしまった。 #
by ptaro2009q
| 2008-02-07 23:55
| Tokyo Walking
マタマタ来てしまった上野・不忍池。
あのビルがなくなってもう何ヶ月かが過ぎた。 おかしなビルだったが、無くなってしまうと喪失感に襲われる。 屋台に座って、おでんを突付きながら、今はなきあのビルの思い出を結構若そうに見えた屋台のおかみと語るのも悪くないな、と思いながら、次の散策地へ足を進めたのであった。 (此処に座っていたオジサンがちょっと羨ましい....。) #
by ptaro2009q
| 2008-02-05 23:32
| Tokyo Walking
先般のエントリーで 『東京の階段』 という本をご紹介した。
この本に出会ってから、街歩きもひとつ新しい視点が出来て更に楽しくなった。 どうやって坂や階段を捉えたら美しく、面白く撮れるか、なんてことをひっきりなしに考えるようになってしまった。 どうも悪い癖になりそうで、怖いっ! さて、雪の週末、家に閉じこもり写真アルバムの整理をしていて見つけた一枚の写真。 港区の白金あたりの住宅街で撮ったもの。 季節はずれで恐縮、青々した草木でご想像つくことだろうが、時は昨年の5月の連休中のことだった。 今見ると、眼に眩しい。 目黒の東京都庭園美術館を訪れ、その後ぶらりと八芳園方向に向けて路地の中をうろついた時に見つけた場面であった。 その時には何の明確な意識も持たずに撮影したもので記憶も全くないのだが、今、階段ファンとして見た場合には結構面白いシーンである。 この辺は白金の地名をもじり、シロガネーゼと呼ばれる上品でお洒落なお嬢さん達が闊歩する街、とも呼ばれているが、小さな路地をうろつくと結構古い昭和の家屋が瀟洒なモダン家屋と並んでいてその落差が面白い。 最近偶々知己を得たいのうえさま, 街歩きの達人でいらっしゃるが、そのいのうえさまのBlogでこの言葉を見て思い出したが、この写真の階段、まさに「トマソン」的なオブジェ、とでも言うべきものか。 「トマソン」- 用もない、とか、意味もない不可思議な存在、を指す。 例えば、外に出られない二階の玄関ドア(???)、登っても行き先なく壁にぶつかる階段、とかで良く形容されていたことを思い出すが、とても懐かしい響きだ。 もう、この「トマソン」の語源そのものをご存知の方も随分少なくなってしまったのではなかろうか。 どうでも良いが、嘗ては純血を誇っていた巨人軍、外人選手をもう恥も外聞もなく、乱獲状態になってしまったなあ~(分かるかな~?!)。 #
by ptaro2009q
| 2008-02-04 23:53
| Tokyo Walking
節分の本日、東京2年ぶりの大雪となった。
思いのほかに大粒のボタ雪で随分と積もり、驚いた。 家の前の雪かきも大変!庭木も随分傾いてしまった。 天気良ければ今日も街歩き、知人が出展している上野の国立博物館あたりを中心に徘徊、とも思っていたが、近くのスーパーに買い物に行くにも足元が覚束ない。 寒い思いをして、滑って転んでさあ大変じゃ、いいことない。外出やめとこう。 いや、実は部下の勤務評定書を書く仕事が金曜までに片付かず週末家に持ち越しており、これがなかなか進んで居なかったのである。 土曜日にも終わらず(というより、気を揉みながら結局手を付ける気にならず)、今日に持ち越した。 一年に一度の仕事とは言え、ひとさまの給料・ボーナスにも繋がる重要な内容で、安易なことも書けず気が重い。 しかも、外資系企業の辛さだが、コメントは英語で書かねばならぬので、幾ら何を書いても何だか小学生の作文のようだ。これまた嫌になってしまうのだ(苦笑)。 てなことで、雪かき以外は、本日はほぼ一日中家の中に閉じこもり。 さて写真は先々週の日曜日の街歩きで訪ねた御茶ノ水駅近くの坂、「紅梅坂」。 以前このあたりは紅梅町という名前であったことから付けられたとか。 自分が田舎から上京した1970年代は学生街そのものだったお茶の水、駿河台周辺も、随分と大きなビルが立ち並ぶビジネス街に変身している。大学や予備校・専門学校の校舎も随分派手で分不相応にも思える近代的デザインの大型ビルに姿を変えているのには聊かの違和感を覚える。 上の写真にも顔を覗かせている。 この学生街の雰囲気に実に良く溶け込んだ建物で、嘗ては明治大学の一部なのか、なんて思っていたことが懐かしい。 [建築の様式はビザンティン式で、聖ニコライの依頼によりロシアの建築家ミハイル・シチュールポフが基本設計図を作成。お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが設計の一部を修正したうえで監督にあたり、1891年に竣工した。] (Wikipediaより) いや~、ここでもコンドルさんが登場、流石に日本の近代建築の父と呼ぶに相応しいが、なかなかの引き出しの多さにも感心。 上部の緑色のドームや鐘楼、壁面の模様など、どれも美しい。 ロシア人と思えるような人達が随分と居て、異国情緒あり、また、一種近寄り難い独特の空気をかもし出していた。 今日のような雪化粧したニコライ堂も寒きロシアを思い出させ、見てみたい景観である、とふと思う。 #
by ptaro2009q
| 2008-02-03 19:03
| Tokyo Walking
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