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あまりに駆け足で訪れた東大寺。それゆえ写真も斜めになったり。 これまた写真館にて駄作を公開中、御覧くだされ!! 金堂に居る奈良の大仏様は、携帯電話では上手く撮れたが、肝心のデジカメ、ソニーのサイバーショットではフラッシュが全く機能せず全て撮影は失敗。今回は写真館では不採用なり。 行列を成して金堂に進んでいた数十人の僧侶は大仏前に陣取り、数列の正座姿でお経を読み始めた。厳粛にして、壮観。 僧侶を取り囲む信者が大仏前に座る。更にその周りには報道陣や、また無数の観光客で、大仏正面には進めない。 斜め横からの大仏拝観となった。 30年前訪問のときの記憶はなかったが、大仏の後ろを半周して、大仏左側から右側へ行くことが出来るとは、全く想像していなかった。 ![]() この工事に従事した人は延べ250万人に及んだという。752年に開眼供養で大仏の姿が一般に公開されたが、国家を支える筈の大仏の造立が国家を衰えさせる遠因となり、平城京は一歩終幕に近づいた、とある。面白いものだ。 大仏の高さは約11メートル、初めて見た高校時代には、確かに大きい、と思った。 五木寛之は「百寺巡礼~第一巻・奈良」で「東大寺の造営は、当時の国際社会(中国大陸や朝鮮半島のこと)に対する日本の独立宣言だった。そのために律令政府は全エネルギーを注ぎ込み、国家の財政を傾けてまでも、これほど巨大なものをつくりあげたのだ。」と書いている。 歴史家ではなく、小説家としての見解は面白い。 日本が日本となるための大仏、であったというのは、確かに分かるような気がする。中国からの影響を強く受けながらも、そのなかで日本独自の文化を育んでいったその証が東大寺、ということなのであろう。 やはり、古寺巡礼にあたっては事前のお勉強が必要である。 時代背景の理解なしには、やはり受ける感慨も薄口とならざるを得ない。 今回は建築・美術品としての鑑賞眼しか持ち得なかったのだが、味わい深く理解するには、色々な書物に触れておく必要がある。そして、そのうえでこの東大寺にも、是非近いうちに再来したいものだ。 金堂を出たところに奈良公園の鹿がお出迎えしてくれた。 ![]()
乗ったタクシーが渋滞を避けて横道に入った。一寸訳の分からぬところで降ろされた。
通常は南大門から参道を経て行く代わりに、向かって左方の西楽門から入って金堂(大仏殿)にご対面と相成った。 しかし、左斜めサイドから初めて視野に入った金堂の壮大さにはまさに驚嘆の一語。 青い空を背景とし、美しい緑の芝生の先に広がる世界最大の木造古建築の迫力は強烈な感動を誘う。東大寺に青空と芝生は良く似合う。 ![]() それも仏教文化が最高潮に達した天平時代、西暦で言うと740年代の創建だという。聖武天皇の命で造られたというが、これまでの壮大な建物を造った8世紀当時の日本人の心いきは如何ばかりのものであったのか。当時の人にとっての高さ100メートルというのは、圧倒的なものがあった筈だろう。 この中にあの大仏様が収まっていることなど、すっかり忘れ、この金堂の偉大さに畏敬の念を擁く。 丁度我が家族がこの東大寺・金堂を訪れた時に、「聖武天皇祭」というセレモニーが始まったばかり。正面参道に何十人もの僧侶が行列を成して大仏殿へ向かう。 先頭の僧侶は最も権威ある方なのだろう。先般亡くなったローマ法皇を思い出した。 外国人観光客も多数来場しており、この僧侶の行列を見て興奮、"Good opportunity!"と連発しながらビデオ撮影している人も居た。 芝生上では、お稚児さんのカラフルな衣装を着た子供と付き添いの両親達。 奈良でのこうした風景は「日本」を感じさせてくれる。日常的にこうした仏教的な行事が生活の一部としてしっかり根付いているように見える。 それにしても、この金堂前に拡がる芝生、アメリカでは美しい芝生は良く見られるが、日本でこれほどの規模と美しさの芝生を見たのは恐らく初めてであろう。 ![]()
名残り惜しいが法隆寺を後にして次の寺巡りに行くこととする。
JR法隆寺駅から大和路線で奈良駅へ。 ![]() 奈良駅到着、簡単に駅前で食事を済ませて、東大寺に向かうことにする こんな旧式のボンネットが突き出たバスが駅前を走っていた。 どうも観光用のバスらしい。 2,000年近くの歴史のある土地で、3,40年位の時間のズレなどあまり意味もないのかもしれない。 ![]() とりあえずは、時間もなくなってきたのでタクシーで東大寺へ。
法隆寺はその建築や寺境内の構図に美しさがあるが、所蔵の仏像や美術品にも多くの国宝・重要文化財が含まれている。
平成10年に建造されたという大宝蔵院に入る。ここが1400年に渡る法隆寺の信仰の遺産である宝物が多数保蔵された伽藍である。大英博物館、ルーブル美術館、NYのメトロポリタン美術館、伊フィレンツェのフィッツイ美術館, と世界的な美術館を数々見てきたが、この法隆寺の大宝蔵院も所蔵品数では劣るもlのの、その質においては、充分にこれらに肩を並べるものがある。 玉虫厨子 (飛鳥時代 国宝) 高さ2.3mの木造の厨子で、飛鳥時代の建築様式をそのまま伝えている。この厨子は我が国最初の女帝である推古天皇の御物だと言われている。昔の学校時代にこの名前に触れた記憶がある。実物の記憶よりも、この名称についての記憶が強い。実物がどんなものだったかの記憶はそれこそ「玉虫色」のあやふやなものであったが、実物を目前にして新たな感慨を抱く。玉虫色、というよりは、殆ど真っ黒ではあるが、その形状など見れば見るほど味わいもにじみ出てくるようだ。 百済観音像 (飛鳥時代 国宝) この百済観音像が、やはり法隆寺の数ある国宝の中でもハイライトであろう。高さ約2m、八頭身の長身で、樟の一本造りで水瓶と蓮華座だけが檜で出来ている。 由来や作者など全て謎に包まれているが、その神秘性が何とも様々なイメージを拡大する。 この観音像は大きな四角体のガラスの中に収められており、その有り難さにこちらの気分も自然と厳粛・謙虚なものとなる。 飛鳥の時代の日本と中国と中国の文化交流の状況、当時の権力の在り方や人々のこの観音像への供養の様子等に思いが巡るが、当時の日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿・優美で慈悲深い表情は1400年の時空を越えた現代性さえ感じられる。 「国宝」、の他に、大宝蔵院には多くの、「重要文化財」が展示されていた。 この両者の違いはどこにあるのか?誰がどう決めているのであろうか。 楽しい疑問が沸いてきた。これから色々なことを調べて行くことができるし、新しいことが分かればまた次のことを知りたくなっていくのであろう。 家族はあまり心を動かされていない様子ではあったが、和辻哲郎いわくの「日本人の心の原点をさぐる旅」は好奇心をくすぐり楽しい。 我輩の「古寺巡礼」の長い旅は、この法隆寺で始まったばかりである。
いよいよ法隆寺のハイライトのひとつ、「夢殿」とご対面!
![]() 意外と狭い囲いの中にある八面体の建物、どこかで見たことある。 財布の中の10円玉見てみる。「平等院か、違うな...。」 ちなみに、昭和25年1月発行の1,000円札の裏面にこの夢殿が描かれている。まだこの頃は流石に我が輩は生まれていなかったのに何故記憶があるのだろうか??? なお、この1,000円札の表面は聖徳太子である。 まさに法隆寺そのものがお札になっていたわけである。 なにはともあれ、聖徳太子等身の秘仏観音像(飛鳥時代)を安置しているこの円堂は、なかなか神秘的な匂いを醸し出している。それにしても、「夢殿」とは良く名づけたものだ。 単に Yumedono、では全く感じが出ないが、「夢殿」と書くと、時代背景やその存在の人々に与えるイメージやらが大きく頭の中で拡がっていく。 日本の文化、歴史、やはり捨てたものではない。 上の写真は夢殿の屋根の頂点にある宝殊。 形は天平11年(739年)創建当時のままだという。 お見事と言うしかない。
何故か理由も定かではないが、今回の法隆寺訪問で心に残った1シーンがこれ。
![]() 西院から東大門を経て夢殿に向かうただの一直線の通路である。 両辺には薄土色の塗り壁の塀が続き、中にある左手の律学院、宗源寺、福生院、右手の羅漢堂などを包み隠している。垣間見る瓦屋根や松の木々、中央を走る石畳とその左右の細かな砂利の整然とした様が、日本を感じさせる。 素晴らしき空間と色彩ではなかろうか。 拙い写真で、その感動を表現できないことが、誠にもどかしい。 「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と正岡子規は詠んだ。 今、此処、法隆寺に居る。季節は初夏を迎えるところであり、柿の季節にはまだ遠いが、秋深き頃の法隆寺も悪くないなあ、と早くも次の訪問機会のことに思いを馳せてしまった。 四季折々にこの寺を存分味わいたい、永遠の時の中に何度でも身を置きたい、という衝動が走る。 西院向かって右手前にある鏡池は池の周辺に植えられたつつじも満開だが、ここに子規の句の碑があった。 (ひとり、感激...) 四季折々に子規の句を詠む、...なんちゃって。 時刻丁度12時には、確かに、聊か人工的な音のようにも聴こえたが、鐘が鳴っていた。
拝観料1,000円なり、を支払い、いよいよ西院伽藍の中へ。
聖徳太子や推古天皇が創建したという世界最古の木造建築群を眼の前にして,静かな興奮を覚えたいところであるが、聊か現地の小学生軍団がやかましく、興醒めなり。子供には勝てぬ。 現地の子供はこのような世界的な建物を日常的に見ることが出来る幸せを感じているか?(無理だろうな。そういう我が娘さえもも、同様に全く寺に興味を持つ様子なく、本日は父親の付き合いで表情も昨日のユニバーサル・スタジオの時の興奮した表情はすっかり枯れておった...。歴史も何も学んではおらず、無理もないか。) ![]() 金堂、五重塔、大講堂、そして囲うように四角く続く廻廊、とそれぞれが建築としてもとても8世紀に建てられたとは思えないデザインの斬新さがある。また、それらの配置・構図が何とも壮大・絶妙で、これも世界的な美術工芸、色々見てきた眼でも、何とも時空を越えた宇宙的な美さえ感じられる。日本で最初に「世界遺産」に認定されたと聞くが、まさに世界に誇ることが出来る日本が此処にある。 ![]() 聖徳太子の時代からの場に自分が居る。 自分が死して居なくなった後も、この場所は、当然のように何百年、何千年、同じ姿を伝えて行くのだろう。歴史のゆったりした流れの中で自分の存在などほんの一瞬であることを感じさせられるが、この場に来たことに幸せを感ずることが出来た。 ![]() < 前のページ次のページ >
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