多分駄文のオジサン旅日記:Hokuriku
2017-10-21T14:28:24+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
Excite Blog
金沢 兼六園
http://ptaro2009q.exblog.jp/26574368/
2017-04-11T09:22:00+09:00
2017-10-21T14:23:12+09:00
2017-04-11T09:22:07+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
観光客などまず歩くことのない普通の町並みをまだ人々の生活も本格的に始動していない時間帯に歩くのはその町の素顔が見え、また思わぬ小さな発見があったりもして仄かに楽しいものである。
7時には金沢城、兼六園あたりに到着。
開園時間は9時くらいかと思いつつ見てみると何と7時ということで、兼六園に入園した。
随分早い時間から開けてくれるとは有り難い。
普段は団体客の大群、騒々しい中国人客などで賑やかな兼六園であるが、流石に朝7時とあれば静寂・荘厳な真空地帯、とても清々しい気分で園内を歩くことが出来た。
17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする庭園。
なるほど、兼六園のついでに金沢城を観る、という気分でこの辺を歩いていたのだが、兼六園はお城の付属物、と位置関係の認識を改めなければならぬもんだ。
江戸時代を代表する池泉回遊式庭園、このスタイルはこれまで見た多くの日本庭園でもお馴染みである。
3月半ば近くなのでもしかして残雪もありか、とも期待していたが、白いものは全く見えず。
一方冬の風物詩・雪吊りはまだそのまま残っており、これぞ兼六園、という眺望を楽しめた。
後に気になって調べてみると、「兼六園」の名は宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」に由来し、宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園として命名されたとのこと。
なるほどこの名園ではこれら要素を各所で感じることが出来る。
人力が何を意味しているかは定かではないが、早朝にも拘らず多くのお庭のスタッフ、老齢の方が殆どだが、あちこちに散らばり庭の手入れ・清掃に黙々と没頭されている献身的な姿に今回もこころ打たれた。
広い庭園の奥のほうには梅が一面に広がっている一帯あり。
白梅、紅梅、なかなか見事であった。
朝から紅梅の木に近づき立ちながら熱心に写生されている女性がおり、粋であった。
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金沢 ひがし茶屋街
http://ptaro2009q.exblog.jp/26571830/
2017-04-10T11:24:00+09:00
2017-10-21T14:23:43+09:00
2017-04-10T11:24:11+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残り、国の重要伝統的建造物保存地区に指定されている。特に北陸新幹線開通後は、周辺も含めて店舗や飲食店も増えて随分と賑やかになってきた。
金沢には年2,3度くらいの頻度で来るようになったが、真っ先に駆け付ける場所、”THE KANAZAWA”とも言うべきスポットとなっている。
一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を設ける「茶屋建築」が連なっているこの町、京都祇園の茶屋町に似て独特な空気漂わす。
良い具合に経年変化した低層木造の建築、背後に卯辰山なる小山が優しく聳えるこのメインストリートは城下町・金沢の精神・文化が凝縮した一画、写真撮影にあたっては最もアドレナリンが噴き出るスポットでもある。
ただ現実的には特に上の写真に見られる二番丁あたりになると、正直どの店も少々敷居高いというか気軽に中へ入ろうという雰囲気ではない。
勝手に自分が負けているだけなのだろうが、入った店でも、良くも悪しくも、店員さんの気位が妙に高いというか、鼻持ちならぬ気がしないでもない。
観る、歩くには良いが、お愉しみはそこまでか、という頃合いだ。
この二番丁を過ぎて裏道へ廻ると、少々通りも建物も雑然さが増す一方、店の敷居はもう少し低くなり気さくに店内に入って行ける、興味深い店を見つけられるようになって来る。
以前も良いなと思っていたのだが、路地から入り口通路を深く進んだ玄関をくぐるとギャラリーのように品良く金沢の工芸品を展示販売しているお店が特にお気に入りとなった。
やはり街歩きの要諦は裏道にあり、である。
最も日の当たる場所からは一歩引いたところに隠れた良店があることが多い。
朝から4時間以上ずっと歩いて来た時間の頃なら10時半すぎ、先ほどの二番丁の奥左側の先にある宇多須神社を参拝。
流石に疲れたなと思ったら、神社の正面に町家造りの喫茶店らしき店あり。
前回来たときには気付かなかったから、おそらく新しい店のようだ。
玄関口にメニューの小看板があるので、入る気はなかったのだが一寸見てみることにした。
ややあって店から店員さんらしき若い女性が出て入店を誘ってくれる。
敷居の高いひがし茶屋街の店でわざわざ店員さんが出て来てオッサンの一人客に声掛けてくれるなんて、と驚いたが、実に感じの良い方だったので入ることにした。
窓際の特等席に座ることが出来た。
店内、出来て間もないので綺麗、まだ朝も早めなので客数もそう多くはなく静かで快適な空間にすぐ満足した。
この辺のお店は大方そうなのだろうが、古い佇まいの外観ではあるが内装はなかなか和モダンで洒落ている。
玄関先などの一画には九谷焼やその他地元の工芸品が置かれていた。
携帯電話の充電ができるかどうか先ほどの店員さんに尋ねたところ、親切にも電源を教えてもらい、こちらも大助かり。
静かに心地の良い数十分間を過ごすことが出来た。
実は、(名刺は貰っていたのだが)このブログ記事を書く前にこの店の名前を確認しようかとサイト検索したところびっくりポン!
店名は ”cafe 多門”、昨年10月に開店。
目の前の宇多須神社が「毘沙門天」を祭っていて、その毘沙門天のことを別名「多聞天」というところから付けられたか。
驚いたのは、オーナーがタレントのMEGUMIさんだということ。
MEGUMIと言えば嘗ては「可愛い顔して巨乳」というアイドルタレントだったが、今は結婚されてママタレとして活躍されているようだ。
彼女、頻繁に金沢に来ており、ひがし茶屋街を散策中にこの築100年以上の物件に偶然出会い、カフェをオープンさせたのだという。
加賀野菜などの石川県産の素材を使ったパンケーキが人気メニュー、展示販売している九谷焼や工芸品もMEGUMIが買い付けたものだという。
珈琲の器なども地元若手作家作のものとか。
いやあ驚いたなあ、素晴らしい決断とセンスである。
普段から金沢を愛しているという思いがなければ物件そのものに興味の眼も向かなかったことであろうなあ。
散策中に偶然物件見つけた、というのは驚くべき強運、場所も喧噪から一歩引いた静寂の地の好物件だ。
そして、その偶然性を支えた彼女の資金力も一般市民のレベルを大きく超えるものだったのだろうなあ。
何より(恐らくは)お金儲け、ビジネス、というよりは、故郷でもない土地と文化を愛し、その思いを多くの人にシェアしたいという彼女の気概にたいそう感心いたした。
資金力でもあれば自分も似たようなことやってみたいもんだわ。
そんな由縁のある店とはつゆ知らずに入っていたとは何とも奇遇なことだった。
次回また金沢に行った際にも是非寄らせて貰おう、いやもうその頃にはかなりの人気店として行列必至であろうな、ホントは静かなままであれば良いのだが。
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金沢 五木寛之文庫
http://ptaro2009q.exblog.jp/26552796/
2017-04-03T10:48:00+09:00
2017-10-21T14:24:19+09:00
2017-04-03T10:48:22+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
兼六園から主計町、ひがし茶屋街へ向かう道、近江市場から真っ直ぐ進む道とが交差する橋場交差点の角にレトロな洋風建築あり。
ちょうど坂を下りきる交差点角にあり、一度見ると忘れられない特徴的な建物である。
地元・石川銀行橋場町支店として1929年に建造、2004年に国登録有形文化財の指定を受けたが、現在は「金沢文芸館」として金沢ゆかりの文学にまつわる物品が展示されている。
1階は「交流サロン」、2階は「金沢五木寛之文庫」、3階は「文芸フロア」となっており、金沢の文芸活動の拠点とされているようだ。
嘗ての銀行のカウンターが残るサロン風の1階から、早速2階へ行く。
一緒に後ろからかなり年配の方がエレベーターに乗り込んできた。
2階到着後も、後ろからついてきて「ここで五木先生は。。。。」などと話しかけてこられる。
話しぶりから自分の母親と同世代くらいの方のようだ。
2階は他に入場客もおらず自分ひとりが客であったようで、どうも監視役を兼ねてガイドして頂いたスタッフさんであることを理解した。
もしかして館長さんだったのかもしれない。
金沢では、五木先生、五木先生、と言って地元民からは愛されていることを知る。
自分も、五木寛之に憧れて同じ大学を目指したことを話し、思い入れの深さを少々アピールした。
金沢で作家生活のスタートを切った五木寛之の生原稿や愛用品などが展示。
また学生時代から読んでいた多くの彼の著作も棚を埋めている。
多くの本の表紙の装丁に十分な、或いはそれ以上の思い出がある。
懐かしく読書当時の状況を思い出す。
第二の故郷ともいうべき金沢を愛す五木寛之の思い入れがあちこちで感じられ、改めて魂をゆさぶられる展示室であった。
当館では定期的に五木作品の朗読会が予定されているらしい。(次回は「朱鷺の墓」)
参加したいものである。
金沢市民が羨ましい。]]>
金沢 純喫茶 ローレンス Part-2
http://ptaro2009q.exblog.jp/26543449/
2017-04-02T13:51:00+09:00
2017-10-21T14:24:55+09:00
2017-03-30T20:50:59+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
室内、目の前に拡がるはセピア色の別世界。
室内中央にアーチ状に大きく空けられる仕切り壁ある洒落た空間、モダンでもありレトロでもある。
そしてテーブルの上その他あらゆる場所に大量のドライフラワーの束や木の実、その他不明の静物が置かれておる。
照明は薄暗く重い。
静かなクラシック音楽が良く似合う。
しかし上記に書いた個々のディテールよりも兎に角は室内全体に広がる摩訶不思議なセピア色の空気が自分が異世界に来たことを告げたのであった。
入場して数秒の沈黙がありその時間がとても長く感じられた。
(振り返れば、中世ヨーロッパの古城へのタイムトリップに掛かる時間だったか?)
そして、かの女性店主さんからのお声が掛かった。
「7時でお店は閉めるんだけど、良いかしら…?」
こちらは長居が目的でもなく、あの五木寛之が通った伝説的喫茶店の空気を吸うだけで満足だったので、残り時間あと30分、「全く問題ないですよ」と伝える。
席に案内されることなく、飲み物はコーヒーは出せない旨を知らされた。
純喫茶でコーヒーが出来ないと言われたことには少々戸惑ったが、特にコーヒーに拘る積りもなかったので、何でも良いと答える。
「じゃあ、紅茶をお願いします。」
ミルクを入れるか、レモンにするか、等何度か問答を繰り返す。
この女性店主さんの喋り方、独特の粘着質、完全に彼女のペースに巻き込まれる。
この間当方は入口2歩進んで立ったまま直立不動。
ホントにこの店に入れてくれるのか?
それにしても、噂に違わぬなかなか個性的な店主さんだ。
年の頃なら60台後半くらいか、長い髪の痩せた女性。
このような古い建物、暗い階段を3階まで登ってわざわざ店に来る人はそもそも、通りすがりの喫茶店にふらっと入る人たちとは全く違う目的をもってやって来る筈。
どんな客、どんな人間なのか、少々の会話で値踏みされているのかしらん。
入口付近で、さんざん紅茶の注文どうするか話した後、ココアなんかもどうかという声掛かり、結局紅茶はやめてココアで良い、いや、是非ココアを頂きたい、とお願いすることにした。
どうやら完全に圧倒され主導権握られておる。
それでやっと着席。
店内は見渡す限り席数はそう多くなく、若い男性が一人、30台らしき女性の二人組。
残り席はテーブル上に「予約席」の札が置いてあったが、「閉店間際でもう大丈夫よ。」と言われ、4人が座れる席に一人座ることとなった。
着席した後も店主さん、色々と話しかけてくる。
思春期、思春期、という言葉が話の中で繰り返してきて何のことか要を得なかったのであるが、どうもココアのメニューにも三種類あって「子供(甘め)」「思春期(少し甘め)」「大人(ビター)」に分かれているということを後で知った。
その間にも店主さん、若い男性客とも気さくに話をされている。
どうもこの男性は地元の方で週1,2回はこのお店に来ている常連さんのようだ。
隣りにいる女性二人組はどうも旅行中の方ではないかと思われた。
五木寛之に狂うには少々若い世代にも思えた女性たち。
店主さん、他のお客さんに話しかけていても話は筒抜けで客全員に話は聞こえてくる。
自分に話しかけられたわけでもないのに頷いたり笑ったりする自分が居る。
お客は店主さんを媒介して一体化しているのが何とも可笑しかった。
お客は皆観客で、店主さんの独演会を一緒に楽しんでいるのだ。
店主さんのひと言ひと言に味があり意味があるような気分になってくる。
そうだ、此処は喫茶店ではなく、店主さんの囁きを聴く「小劇場」なのだと悟る。
そんなうちに、やっと注文したココアが出来たようだ。
大き目のカップに並々とつがれたココアを頂く。
(写真はiPhoneで座席より撮影。ココアに加え、お菓子のプレゼントがあった。)
ココアを飲み始めてやがて、他のお客さんは皆去り、自分ひとりだけがお店に残っていた。
閉店時間まであと15分ほどだが、最後まで居ようかな。
二人だけになったことに少々緊張の度が高まる一方、この店主さんとの時間を独りで楽しむことが出来る喜びも感じた。
期待に違わず、店主さんの語りは淀みなく続く。
詩の朗読会か、モノローグのお芝居会か、殆どトピックというかテーマも店主さんが話したい内容だ。
こちらは痴呆のように「ああ」「ええ」「そうですね」と無為な相槌を繰り返すだけ。
五木寛之の小説に出てくる若い頃は尖っていたが屈折した陰を持つ中年男のように、洒落た切り返しの言葉を発したいと思ったが、店主さんの鋭く凡人には及ばぬセンス溢れる話ぶりには、只々頷き続けるばかりであった。
まあそのうち、これは独演会であって、お客のコメントを聞き出そう、お客の人となりを知ろうという意図はない会話なのだと認識。
面白いことに、実はこの会話、全て Face to face, 顔と顔、眼と眼を合わせてする会話ではなく、写真にある向こう側の棚の先にいる店主さんの声だけを聴く会話であったのだ。
この相手の姿が見えない奇妙な会話の時間、何とも天からの声を聴いているようであった。
この世のものとは思えぬ不思議体験なり。
恐らくどの一見のお客にも語りかけるような話、謂ってみれば、古典落語のように繰り返し語られる話も多いのであろうが、記憶に残っている話の一部はこんなところか。
● ビルの竣工は1960年代、この店もそれから今日まで50年以上ここにある。
(店内のレイアウト、店外の階段の手すりなどの装飾・看板など、当時としてはかなりセンスの良いものが溢れておる。)
● 19xx 年生まれとのこと。(自分より5歳年上。もう少し年上かとも思ったが)
● 金沢の美大生だった。(五木寛之が嘗て金沢で住んでいたところが金沢刑務所近くだということで、刑務所がどこかと聞いたところ、大学が嘗ての刑務所近くにあったことを教えてくれた。)
● 旅は嫌い。(意外なコメント。海外事情についても博識とお察ししたが。どうも、店を開いて以来、一日も休みを取っていないとか。開店当初、五木寛之がほぼ毎日通ってきたので、休みを取らずに店を開け続けていたという伝説も。店主さんの教養と想像力からすると、この方は頭の中で十分に旅を楽しんでおられる。)
● 人と交わることは嫌い。(でも良くお喋りなさる。)
● 親も教師だったが、自分も教えることは好き、でも職員室は大嫌い。(忌野清志郎「僕の好きな先生」みたいだな。分かるわ~。)
最近読んだ面白い本何ですか、と不躾にも質問してみた。
考える間も無く即座に回答があったことに吃驚!
「東直子さんの「とりつくしま」という本が良かったわよ。」
この時だけはお姿を現し、身振り手振りでこの短編集の解説をしてくださった。
店主さんとは少々壁が取れた感じがして、とても嬉しい思いであった。
旅を終えてこの「とりつくしま」を読む。
東直子さんという小説家は、恥ずかしながら知らなかった。
平易な書きぶりだが抽象画のような小説、死生観を変えられた気がした。
僅か30分程度の滞在であったが、これまで経験したことのない感激の時間、異空間であった。
「金沢の美味しいもの食べて東京に帰ってね」という言葉を最後にかけてもらって店を出たが、その後予定していた近江市場の寿司屋行きもやめてすぐホテルに戻り、店主さんとの会話を反芻するだけの金沢の一夜を過ごしたのであった。
五木寛之先生が毎日通っていた、というのも、この店主さんの魔力に魅入っておられたからなのかしらん。
旅から戻った翌日、ぐるなびであったか、店の評を改めて読んでみていちいち納得。
とくに秀逸だったのはこれ。
<人はここをローレンス島、またはローレンス塔、と呼ぶ。そこだけ浮世から隔絶された島であり、その姿は孤高にそびえる塔の如し。>
まさしく孤高にそびえる塔であった。
(長文駄文、大変失礼!)]]>
金沢 純喫茶 「ローレンス」Part-1
http://ptaro2009q.exblog.jp/26541992/
2017-03-30T09:02:00+09:00
2017-10-21T14:25:32+09:00
2017-03-30T09:04:26+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
知る人ぞ知る、昭和41年頃というが、五木寛之がまだ駆出しの作家で夫人の実家である金沢に在住していた頃に日々通ってきて小説を書いていたのがこの喫茶店であった。
五木が「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞された際の結果連絡も、この「ローレンス」の黒電話で受けたという話は余りに有名である。
何度も金沢には来るようになったが、これまで実現できていなかった。
是非この伝説の喫茶店を訪れたかった。
嘗て金沢出身の会社同僚からは彼が高校時代に通っていた金沢21世紀美術館近くのジャズ喫茶「もっきりや」を教えてもらい、同店に何度か行ったのだが、彼からはこの「ローレンス」の話も聞いていたことを思い出した。
五木寛之ゆかりの店だが、店主の女性のキャラクターは魔力に満ち実に興味深い人物であると。
当日は前篇でも書いた長町武家屋敷跡を午後に歩いた後、近くで見つけた銭湯に入り、その後香林坊のホテルに投宿した。
ひと休みした夕方6時過ぎに、香林坊の裏手にあると聞いていた「ローレンス」を探す。
彼岸前で6時を過ぎるとあたりは闇に包まれ、住所をiPhoneのナビで検索しながら店を探したが、なかなか見つからず苦労した。随分の時間が掛かった。
店を見つけられずに彷徨った30分弱の間、これまで読んでいたこのお店や店主に関するコメントを頭の中で反芻、妄想拡大、不思議な感覚が闇のなかで体内渦巻く。
やっと見つかったのは、光もない3階建ての古いビル。
コンクリート建てだが、此処だけが周りのビルとは異なり昭和がそのまま残っておる。
古色蒼然、おどろおどろしい雰囲気、階段も暗く匂いはしないがカビ臭いような感覚。
まるでヨーロッパの古城か、はたまたお化け屋敷のようだだが、3階にかけてある看板を見つけて間違いなく探していた店にやってきたことを確信した。
店の扉も少々特異、中の様子は良く分からないが、普通の喫茶店ではないことだけは分かる。
此処まで来たら入るしかないと勇気ふり絞り入場。
鬼が出るか蛇が出るか、という心境。
喫茶店に入るのにこれほど勇気と決断を要したことはこれまでの人生なかったわい。
相変わらず、前段の話が長くて恐縮であるが、Part-2に続く。
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金沢・長町武家屋敷跡
http://ptaro2009q.exblog.jp/26539594/
2017-03-29T07:47:00+09:00
2017-10-21T14:25:59+09:00
2017-03-29T09:47:20+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
人通り多く、交通混雑甚だしい香林坊の活気は、この一画に来て一転「静」になる。
加賀藩時代の上・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ねているこの辺りは長町武家屋敷跡と呼ばれている。
土塀のせいで家屋の様子は余り良く見えないが、藩政時代の雰囲気を味わうことができる。
建築的には、土塀は質実剛健、門の様式に武家らしき格式と誇り高さを感じさせる。
武家屋敷だけに、人を寄せ付けぬ厳しさと閉鎖性も匂わないわけでもない。
この辺り、観光客も多く、またツアー客を引き連れたガイドさんが道の途中で説明している場面にも度々遭遇する。
昨年初めてこの長町に来た時に偶々ガイドさんの説明をグループの後ろで聞いていたら、<この屋敷はXXホテルのxx会長のお宅なんですよ>と。
門に掛かった表札をのぞき込むと、風化されて文字も擦れかかっているが確かにあのお名前が。
ド派手な帽子を被った写真をトレードマークにしているオバサンが社長、何か月か前にホテル各部屋に据え付けている自著で中国南京大虐殺を否定して中国で大炎上した旦那さんのご夫妻宅とは驚いた。
ご夫婦とも確か同じ北陸の出身ということは存じておったが、なるほどと合点。
ビジネスの成功でこの伝統ある地域の良物件を入手されていたとは恐れ入ったわ。
表札の擦れ具合からするとかなり古くに入手されているものと想像された。
(なお、普段は東京・西麻布の3階建て8LDKという大豪邸で暮らしているそうな。嗚呼!)
この事実を知って以来、このお宅の前を通る観光客にはお節介して「このおうち、XXホテル会長宅よ」とつい教えたくなるわね。
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金沢・主計町(かずえまち) Again
http://ptaro2009q.exblog.jp/26534341/
2017-03-28T10:09:00+09:00
2017-10-21T14:26:53+09:00
2017-03-27T10:09:02+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
金沢では最愛の地、いや、個人的にはこれまで訪れた日本全国 数ある古い街並みの中でもベスト3に入る美しく情緒的スポットである。
浅野川のほとりに並ぶ料亭や旅館の佇まいは、賀茂川に並ぶ京都・先斗町を思わせるも、俗を寄せ付けぬ凛とした静寂はこの主計町が優るか。
橋を渡ってすぐ右方にある「ひがし茶屋街」が特に北陸新幹線開通以来、金沢の大人気スポットとして多くの観光客を集めているのに比べると、こちらはその至近の地であるにも拘らず閑静を保っており貴重、歴史ある金沢の気質を体現した一画と思われる。
この主計町を舞台とした五木寛之の「浅の川暮色」という短編小説を思い出すことを前回も書いておるが、街角あちこちに物語を感じる街歩きは実に楽しい。
主計町では勿論浅野川のほとりの小径を歩くことから始める。
男川と喩えられる同じ金沢の犀川に対して、女川とも謂われる浅野川の穏やかな流れはたおやかな風情を醸し出す。
昼間はどの料亭にも殆ど人の出入りもなく、実に静か、極めて閉ざされた空気なり。
この小径を歩いているといつも金沢と京都、似て非なる空気が何であろうかという謎解きの時間を楽しむことが出来る。
夕暮れや夜の主計町も見てみたい。
桜の季節も美しいことであろうな。
醍醐味は建物の切れ目に走る細い裏道に入り迷路のような路地裏歩きを楽しむことにあり。
昼間なのに仄暗い路地裏には、どこからともなく笛や太鼓の音が幽かに聞こえることもあり、異世界にトリップしたような感覚となる。五木寛之の小説そのものの世界である。
路地裏のハイライトは二つの坂だ。
「暗がり坂」
尾張町から主計町に通じる小路。
日中も日の当たらない暗い坂道であることがこの名の由来とか。
かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために使われてきた坂道と言われているようだ。「人目を避ける」という言葉がしっくりくる狭い坂道で、坂の上から見ると異世界へ続く不思議な道である。
写真のほうは石段の坂道を入れていないが、坂上から撮影したものである。
「あかり坂」
「暗がり坂」の次の区間、平行する坂でこちらの方が更に狭く、より暗い感じもするが、2008年に地元住民からの依頼を受けて五木寛之が自らの小説の中で命名したとのこと。
あかり坂の下に標柱があり、五木寛之の言葉が刻まれている。
「暗い夜のなかに明かりをともすような美しい作品を書いた鏡花を偲んで、あかり坂と名づけた。あかり坂は、また、上がり坂の意でもある」。
なるほど、明るいから「あかり坂」ではなく、明るさを希望とする「あかり坂」かしら。
坂を上がったところには金沢の生んだ文豪・泉鏡花の生家があった。
鏡花の意を汲んだ現代の巨匠・五木寛之の絶妙なセンスがこの二つの坂で交叉する。
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能登半島・雨晴海岸を歩く Part-3(おまけ)
http://ptaro2009q.exblog.jp/26523968/
2017-03-25T11:17:00+09:00
2017-10-21T14:27:22+09:00
2017-03-23T10:11:33+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
ご覧の通り、忍者ハットリくんが車内外ふんだんに跳ねておる楽しい電車である。
漫画家・藤子不二雄のひとり、藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄氏)は氷見のご出身で、彼の代表作品のハットリくんが電車にもフューチャーされている。
前篇で書いた雨晴海岸から氷見へ向かう長距離散歩の際には、本来なら雨晴駅から氷見駅まで乗って行くべき次の電車(11:12高岡発)を、砂浜から藪をかきわけ線路わきで待ち構えてパチリ。
この便も同じくハットリくん電車だったが、気分はもう「撮り鉄」になったぞい。
何と一両の列車だったのだなあ、乗客は余りいないので無理もないか。。。(存続が心配。「呑み鉄」には好都合だが。)
昭和30年代後半、少年漫画誌の黎明期、小学生中学年の頃はどの子供も皆こぞって漫画には夢中になっていた。
個人的には、比較的ドラマ仕立ての作品が多い「少年マガジン」よりはギャグ漫画の多い「少年サンデー」がお好みであったか。
(その後、「少年キング」「少年ジャンプ」「少年チャンピオン」等が続々と刊行開始。)
一時は漫画家が憧れの職業、漫画家になりたいと思ったことさえあったなあ。
しかし以降は、中高生時代、成人になって以降も含めて、漫画・劇画の類は殆ど読まない人生歩んで来た。
従って我が漫画史においては藤子不二雄と赤塚不二夫の両巨頭が少年時代の記憶そのまま変わらずに残り、どの漫画家にも凌駕されることなく我が「ザ・漫画家」として燦然と君臨しておる。
特に藤子不二雄氏については、成人となった後に、彼ら二人が漫画家を夢見て上京する「まんが道」(漫画、TVドラマとも)に大いに感銘、最近ではDVD「トキワ荘の青春」なんかも見て半世紀前の時代を思い遣ったものだ。
そして、藤子不二雄と言えば「ドラえもん」でも「忍者ハットリくん」でもなく、やはり自分にとっては「オバケのQ太郎」であることは言うまでもない。
間抜けで大食い、化けることも出来ない低能力オバケにして友情に厚い憎めぬオバQは、『日本人の心の原風景』、我が小学生時代はオバQとともに歩んで来たと言っても過言ではない。(笑)
オバQを生んだ藤子不二雄氏お二人がこの氷見・高岡の出であり、彼らの少年時代を過ごした地をこうして踏むことは彼らを囲む原寸大の景色を見ているようで何とも嬉しいことである。
余談ではあるが、氷見駅から市内をぶらぶら歩きをするのは楽しい。
商店街には藤子不二雄Ⓐ氏の人気キャラクターのオブジェが数多く並ぶ。
(喪黒福造がお気に入り!)
市内中心の川に掛かるハットリくんのからくり時計も見もの。
また、「氷見市潮風ギャラリー」は彼の原画や因みの物などを展示するギャラリー。
漫画本も揃えられていてファンには堪らない施設である。
同ギャラリーからほど近い光禅寺は、650年以上の歴史を持つ加賀藩前田家ゆかりのお寺。
藤子不二雄Ⓐ氏の生家でもある。
氏が小学5年生のときに高岡市へ引っ越すまで住んでいたそうだが、此処にも人気キャラクターの石像が並んでおった。
氷見の街歩き、なかなか楽しいぞお。
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能登半島・雨晴海岸を歩く Part-2
http://ptaro2009q.exblog.jp/26518987/
2017-03-22T09:32:00+09:00
2017-10-21T14:28:00+09:00
2017-03-21T12:12:17+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
空気の澄んだ日には、富山湾越し約60km先の北アルプス立山連峰が望める。
まるで屏風のような3000m級の山々が海のうえに佇む様子は壮大、感動的。
岩礁と白い砂浜、それに青松が続く雨晴海岸は、万葉の歌人・大伴家持が多くの歌を詠んだ絶景なり。
前回同様、雨晴駅から砂浜に渡り、前篇でも写真掲載した義経岩まで、ひとり小雨の中を歩く。
あたりには人影は全く見られない。
まあこの季節この天気では無理もない。
人から見れば全く酔狂というしかないだろうが(実際電車で飲んだビールで若干酔っ払っておった)、自分では粋で何とも贅沢なお散歩と悦に入って砂浜を歩くのであった。
少々大袈裟ではあるが、これまでの人生や自分を取り巻く人々のことを想いながら歩く。
感傷的気分を盛り立てるにはこの海と砂浜は絶好のロケーションなのである。(笑)
しばらくは岩の前に雨中傘をさして立ち続けておった。
この景色を胸に刻み込んでおきたかった。
岩後方にある立山連峰はこの雨雲で見ることが出来なかったのが残念であった。
それにしても、 美しい海岸風景だ。
能登渚 盆栽のような 岩なりけり (凡才詠める。。。)
目的の海岸を歩きほのかな達成感、さて、この後どうしようかと迷う。
次の氷見行きの電車時間まではまだ40分以上あるし、駅周辺は時間を潰せる飲食店や名所などはないことも知っている。
天気も宜しくないが、電車には乗らずこの砂浜を歩き続けて氷見まで行くことにした。
以前も電車でこの地を通った時に、この砂浜を歩き続けたい、とボンヤリ考えたことがあったが、実現する時が来たと悟る。
一部はサイクリングロードも敷かれており歩きやすい。
歩いているうちに何と天気のほうも徐々に好転し空に青さが出始めてきた。
砂浜に隣接する松林が美しい。
30分も歩く頃には信じられぬことに、背後にこれまで全く見えなかった立山連峰がうっすらと見えてくるではないか。
何という僥倖であろうか。
展開が自分に運が向くドラマチックな仕立てになってきたことに驚く。
随分長いこと砂浜を歩きに歩いた。
目的地である氷見番屋街は氷見駅を越えて更に20分ほど歩く観光スポットだが、其処まで結局計3時間弱を歩くことになった。
その間 途中ですれ違った人はお散歩のオバサン一人と、木材伐採工事のオジサン一人だけ。
広大な自然のなかを黙々と歩き続けた。
嬉しい一人の時間。
今後の目標として、四国八十八か所巡りやスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を歩くことを意識しているが、そのための練習と思えば、3時間の歩きはそう大した長さでもないか。
過去・現在・未来、色んなことが頭を巡り、また自然や土地の様子を目にしながら、自分の肉体とも会話する、この「歩く」という行為はなかなか奥深く、楽しい。
同じ個所でも四季折々の表情を見てみたい。
自分のライフワークとして旅と歩きを究めたいなと改めて思う次第であった。
波打ち際に長蛇に並ぶ多数のカモメ君達にもなごまされたわ。
PS
雨晴駅から氷見駅までは2駅、6.5㎞。
雨晴駅、氷見駅、ひみ番屋街ではレンタルサイクルのサービスがあるようだ。
次回は利用してみたい。
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能登半島・雨晴海岸を歩く Part-1
http://ptaro2009q.exblog.jp/26518903/
2017-03-21T11:58:00+09:00
2017-10-21T14:28:24+09:00
2017-03-21T11:30:18+09:00
ptaro2009q
Hokuriku
幸い若干落ち着いて来たこともあり、気分転換に旅に出ることにした。
行き先は北陸。
さて、NHKのBSで不定期に放映しておる「呑み鉄本線・日本旅 」という番組をご存知か。
ドラマ「相棒」等でもお馴染みの俳優・六角精児が鉄道の先にあるうまい酒、うまいものを求めて、走る列車に身をまかせ、「あ~、今日もいい気分!」とやる番組である。
毎回番組の冒頭はお約束。
乗客も極く少ない最果ての地のローカル線に乗り、電車が動き出すや缶ビールをプシュっ~とやりながら車窓風景に思いを寄せる。
そして、至るところで何かにかこつけて缶ビール、コップ酒やっとる。
鉄道と酒を愛する旅人の自由と気儘さを羨み微笑むお気に入りの番組になった。
これまで何篇かを見たことがある。
最近では厳冬・大雪の<津軽鉄道、弘南鉄道篇>、その前に<能登鉄道篇>もあった。
いずれも閑散たるローカル線、しかし地方にはなくてはならない線でもあるのだ。
缶ビール何缶かをコンビニのポリ袋に入れ列車に乗り込む六角サンに我が身を投影させる。
自分でも同様の経験あるが、人様が忙しく働いている朝から、都心から遥か遠い地方ののんびりとした電車でビールを飲む背徳感・快感は実に捨て難い。
一度味わうとクセになる。
ギャンブルで人生破滅、離婚3回結婚4回を経験し波乱万丈人生送る六角サンがギャンブルから目を逸らすために興味を持ったという鉄道・電車にお酒が絡むと、何とも愉快痛快な旅となる。
観るほうにもこの不思議な人物・六角サンに妙に思い入れが強くなっていくわ。
番組に時に入るナレーションが壇蜜サンなのも良い、この人もタダ物ではない、コメントも独特なセンス漂う才女だな。
番組途中に挿入される六角サン本人自作自演のヘタウマな歌も味があるわ、いや、これもクセになる。
前触れが長くなってしまったが、自分がやりたい旅はまさしくこの「呑み鉄旅」なり。
(酒はビール一杯で真っ赤となり、日本酒は全く飲めない下戸なのだが。)
早朝に金沢駅から高岡駅へ出て、JR氷見線に乗り換え。
この氷見線、能登半島東岸を北上、途中からは海岸線を走り、好天だと能登湾振り返り立山連峰聳える絶景が眺望できる。
電車も4人座りのボックスシートを独占して旅情に浸れる、謂わば「呑み鉄旅」には打ってつけの路線なのである。
電車が動き出し、一駅を過ぎたところで予定通りの儀式、缶ビールを窓際におく。
そして海が見えたころから黄金の液体を喉に流し込んだのである。
人生、山あり谷ありも 楽しからずや。
前回訪問時には車窓景色を眺めて衝動的に予定にない途中下車をした「雨晴(あまはらし)駅」に今回は確信を持って下車。
雨模様でもあったが、とにかく下車したのは我れ一人であった。
しみじみと目の前に置き観たかったのはこの岩なり。
「雨を晴らした」という地名の由来となった義経伝説が残る義経岩に涙す。
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