多分駄文のオジサン旅日記:Nagano
2017-10-22T17:07:52+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
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北国街道・海野宿に大感激!
http://ptaro2009q.exblog.jp/26646367/
2017-05-09T10:39:00+09:00
2017-10-21T14:13:48+09:00
2017-05-09T10:39:16+09:00
ptaro2009q
Nagano
さてどうしようかと思案の気まま旅、行くべき候補として地理的条件を備えた2案を検討。
①「あんずの里」一面薄桃色のあんずの木が地を覆う文字通り桃源郷のような地
40年前に一度来たことがあるが、今見たらどう思うことだろう。
②「海野宿」懐かしい宿場町。伝統的街並みコレクションの一枚に加えたい。
思案のうえ、②には宿場町のあとにスーパー銭湯があると知り、こちらにすることにした。
上田駅よりしなの鉄道に乗り、田中駅へ。
そこから20分ほど歩く。
すれ違う人は一人もいない静かな街道だ。
まもなく民家が途絶え、右に悠々と流れる千曲川が見える。
流域には時に遠く桜やあんずの木が見られ、信濃の風景にココロ安らぐ。
空も限りなく広い。
安直だが、五木ひろしの「千曲川」のメロディがゆっくりと頭の中を流れる。
(そのうちに何故か五木サンの如く目が細くなる。「千曲川」を唄っているうちにいつの間にか「よこはまたそがれ」に変わっていた。)
上田駅で買い求めた缶ビールをプッシュ~とやり、川岸に腰をおろしながら黄金の液体を喉に流し込む。
さて、のどかな田園風景を進み、いよいよお目当ての海野宿の入口に辿り着く。
海野宿は1625年に北国街道の宿場として江戸幕府によって設置され、佐渡の金の江戸までの輸送、善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され大いに賑わった。
明治時代には鉄道網の発達により宿場町の利用客が減ったため、養蚕業を主に行っていた町らしい。
とにかく驚いた。
この宿場町、一本道が700m近く続き両側に統一のとれた家並みが見える。
何処も実に整然、綺麗に手入れ管理が行き届き、良く出来た時代劇のセットのようだ。
これだけ整然とした美しい街に、観光客歩く姿は実に数えるほどのみ、勿体ないくらいに人は居ないのだ。
これだけの美人の町なのに、大型の観光バスや観光目当てのマイカーが大挙来るわけでもなく、街並みの中にも商業目的の店舗や食堂等は限定されており、且つ実に控えめにひっそりされておる。
まさしく「時の止まった町」である。
これまで日本の各地で見て来たある程度以上に規模を有する伝統的な街並みの中でこれほど静寂と整然さを保つ町は見たことがない。
驚きが感激に変わるのに時間を要しなかった。
宿場町街道の終盤近く、「海野宿資料館」に入る。
お客はやはり我ひとりのみ。
明治時代の旅籠の様子、養蚕などを見学。
この海野宿で現在唯一の宿泊施設、「ふる里館」を最後に尋ねる。
2014年に出来た一日僅か2組のみを受け入れるお宿とか。
こちらも人の出入りどころか、宿・売店のスタッフの方の姿も見えぬ様子で、聊か驚いたが、やがてこの施設のリーダー格と思える男性が姿を現し、訥々と語り始めてくれた。
「これほど静かで美しい伝統的街並みは見たことがない」と褒める一方「お客が少ないことにも驚いたがPRはしていないのか」と尋ねてみる。
男性、はにかみながらも、「確かに街並み全体は住民の生活を最優先にしており、無暗安易な商業化はむしろ謹んでいる。」とのこと。
なるほど、この静寂さは彼ら住民のポリシーの反映なることが確認でき納得した。
客を呼んで繁盛、町の活性化をはかるというような考えではないことに好感、喝采した。
こういう町があっても良い、更にファンになった。
違う季節にまた別の表情を見に来たいものだ。
さて余りほめPRし過ぎると海野宿のせっかくの静寂さも乱される、この辺で止めておこう。]]>
真田の郷・上田 Part-2 柳町通りの古い町並み
http://ptaro2009q.exblog.jp/26643806/
2017-05-08T10:00:00+09:00
2017-10-21T14:14:14+09:00
2017-05-08T09:31:52+09:00
ptaro2009q
Nagano
早朝は人々の活動が活発なお昼間とは異なり、その町の意外な素顔が見られることがある。
2年ほど前の夏の日の朝5時半頃であったか、松本の古い町並みを歩いていると自転車に乗った中学生2人が向こうから近づく。
この時間、外を歩いているものはほぼ皆無であったが、この学生さん達、部活の早朝練習か何かのための登校途中だったのであろう。
見ず知らずのオッサン旅人(私)に二人の明るく「おはようございます」の声重なる。
僅かひと声だけなのだが、自転車過ぎ去ったあと、とても爽快な気持ちとなった。
フレンドリーというよりは、極めて実直な礼儀正しさ。
知らない人でも目上の人への敬意。。。
松本市民に備わる生真面目さと教育の賜物なのかと、松本の好感度は大きくアップしたことを良く覚えておる。
さて、上田駅前のホテルを午前6時に出て1時間ほどのお散歩へ。
お目当ては柳町通り、旧北国街道。
駅前通りを真っ直ぐ北上、15分程度で見つけられた。
以前車で通ったことがあるが、歩いて訪れるのは初めてだ。
柳町は石畳や長屋が軒を連ね、真田氏による城下町形成以来の長い伝統を誇る街。
かつては参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路として多くの往来があった歴史ある界隈である。
現在は酒屋、パン屋、蕎麦店などの店舗が並んでいる。
流石早朝とあって人や車の往来も殆どない静かな一画。
今時の都市景観の中、江戸時代からすっぽり時の流れが止まった場所である。
確か200mもない短めの通りで規模的には聊か物足りない気もしないでもないが、何度も行ったり来たりでこの街並み、家屋のディテールを楽しむことが出来た。
家並みは軒高が統一されて整然とした印象。
また、建物の2階の格子模様が独特で、長いもの(親)と短いもの(子)が交互に並ぶ「親付き切り子格子」と言われる模様が良い。
家によって親と子の本数が異なるのも面白い。
この格子模様パターン、上田市のなかではこの柳町でのみ見られるようだ。
酒屋のほうは 岡崎酒造という蔵で、若いご夫妻が「亀齢(きれい)」という銘柄を醸している。
350年の歴史もつかなり古い蔵だが、先日開催された第86回関東甲信越国税局酒類鑑評会において、首席である「最優秀賞」を受賞されたことを後で知った。
創意工夫と努力で秀逸な酒銘を造りあげたご夫婦お見事、日本酒は飲めないが買って帰りたかったものだ。
お店は早朝にも拘らず門戸が開いており中に入って行くことが出来たが、ひと気は全くなく誰も出てこられなかった。
閑話休題。
この柳町通りを訪れた後、ホテルへ戻る途中のこと。
或る専門学校のビル、確かIT関連の学校らしいが、ビルの玄関口を出たところで白衣のご老人が登校してきた学生さんが来るたびに大きな声で「おはよう」と気合の入った挨拶をかける。
随分遠いところからでもこの様子を知ることができた。
近くを通り過ぎると、ご老人、挨拶だけではなく、両手で握手もしている。
かなり熱烈な握手だ。
良く見ると、ご老人だけではなく、学校のスタッフらしき方々・先生たちであろうか、年配の方が多かったようだが、数人が続いて、やはり学生さんと声かけ握手しておった。
わざわざ路上にまで出て、間断的に登校してくるどの学生さんにも、いずれも同じように声掛け・握手が続く。
いやこれは良いものを見た。
最初は聊か時代錯誤的な精神主義かとも思ったが、特に白衣のご老人の学生達を迎える熱意溢れる表情を見続けると、学校側、教員・スタッフの教育にかける熱心さ・若人への誠意が伝わってくる。
恐らく毎朝のルーティンになっているのであろう。
熱心に迎えられている学生さん達のモーチベーション、いやでも高くなること間違いない。
こういうのを見せられると、オジサン、涙腺が決壊してしまいそうだよ。
また地方都市で印象的な良いシーンを見ることが出来た。
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真田の郷・上田 Part-1 上田城
http://ptaro2009q.exblog.jp/26641496/
2017-05-07T11:12:00+09:00
2017-10-21T14:14:35+09:00
2017-05-07T10:54:00+09:00
ptaro2009q
Nagano
ドラマの終盤あたりから関連する書物・小説などを読み漁り、また昨年末には大阪の真田丸跡(三光神社)や真田幸村(信繁)最後の地といわれる安居神社を訪れ、感慨を新たにした。
こうした知識や実体験を通じて真田や真田丸への思いは強まり、改めてDVDで見るこの大河ドラマにおけるシナリオ展開や設定のディテール、役者の科白などへの理解度は随分高まったものである。(役者では、草刈正雄と遠藤憲一が実に良かったなあ~‼)
これまで何度か訪れている上田にも、多少違った心持ちで今回訪れることになった。
昨年「真田丸」で盛り上がった上田はドラマ放送終了後も引き続き熱い。
長野新幹線が通る上田駅にも駅舎ビル壁面には六文銭が貼り付けられ、駅商店街の店頭には真田の赤い甲冑が飾られておる。
市内にも至るところに真田ののぼり、旗がひるがえり、真田十勇士の石像が散見される。
いやでも気分は盛り上がる。
「真田丸」のテーマ曲のバイオリンの高音リフレインが頭の中を駈け回る。(笑)
さて上田城、上田駅から徒歩10分のところにある。
桜はほぼ終盤で訪問にはベストタイミングとは言い難かったが、盛り過ぎた城跡もまた良し。
お馴染み、上田城東虎口櫓門。
最初に上田城を訪れたのは社会人一年目、米国銀行の送金部に在籍していた時の部内旅行のことであった。
今から何と40年近く前というからもう大昔のことである。
その頃はお城のことなど殆ど知識も興味もなかったが、何となく天守のないお城に拍子抜けしたことを覚えておる。
もとより戦国時代にも天守は建造されていない城、徳川勢を2度も撃退した上田城は巨大な堀を備えた防御型の城、少ない人数でも効率良く敵を撃退した史実を知り、今は納得だ。
城内を一巡したあと、あまり時間はなかったが、最後に上田市立博物館を訪れる。
別館にて真田の特別展をやっており、15分ほどのビデオを観る。
徳川、北条、豊臣などの大大名に翻弄されながらも、知略策略をめぐらし生き抜き土地を愛した真田一族への興味は尽きない。]]>
長野・善光寺
http://ptaro2009q.exblog.jp/26638946/
2017-05-06T10:28:00+09:00
2017-10-21T14:14:52+09:00
2017-05-06T10:28:27+09:00
ptaro2009q
Nagano
これが二度目のお詣りとなる。
ご利益2倍となるかいな?
長野駅からとことこと表参道を歩く途中、空腹に耐えられずに激安ビールと博多ラーメンのお店へ。
食事中に雨が強く降り出してきた。
時間の関係もあり雨宿りをしている暇もないことから雨中参道を進み、参拝することに。
寺前の風情ある街並みが良い。
創建は633年、国宝となっている本堂を始め、重要文化財の山門、経蔵その他堂々たる建築が座しておるが、今一つ思い入れを抱くところがない。
善光寺あたりの土地は戦国時代、信濃侵攻を行う甲斐の武田信玄と北信国衆を庇護する越後の上杉謙信の争いの舞台となり、寺は兵火を被り荒廃したらしい。その後、善光寺仏は地方に流転、織田や徳川、豊臣の手を経て転々としたとの説あり。
この辺、少し勉強してみたい。
山門。
本堂。本堂から山門を。
前回も同様の感想を持ったのだが、印象に残るのは寺そのものよりも 長野駅から真っ直ぐに寺に連なる表参道の美しさ。
古色蒼然の街並みをイメージしていたが、洗練されており、道はゆったり。
周囲の建物も歴史あるもの、現代のもの、いずれも綺麗に整えられ参拝客を迎えておる。
経緯は知らぬが、長野オリンピック前あたりに大々的に整備されたのかと想像した。
和風シャンゼリゼ通り、と言えば聊か大袈裟となるが、もうひと手間加えれば更に華やかで人気を呼ぶ通りとなるのではないか。
寺と駅とを往来するミニバスの運転手がいずれも若い女性であったことも目についた。
古くて新しい街・長野、周囲の美しい自然と相俟って、まだ知らない魅力がたくさんありそうだ。
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松本から長野経由、小布施(おぶせ)へ
http://ptaro2009q.exblog.jp/26638081/
2017-05-05T22:52:00+09:00
2017-10-21T14:15:15+09:00
2017-05-05T22:52:41+09:00
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運転手席横の最前列に一人席をおろし流れ行く景色を堪能した。
まずは安曇野の平野、背後に聳える北アルプス連峰の雄大な景色が美しい。
また、JR線でも一度体験した「日本三大車窓」と謂われる姥捨駅から見下ろす棚田+盆地の絶景がバスからも見られ感激した。思わず途中下車の誘惑に駆られてしまう。
更には、長野を目前に高速を降りると目の前に聳える妙高山であろうか?(これは自信ない。。。)
こちらも立派な山で、「登ってみたい」病、登山欲が強く湧く。
終着の長野は一度善光寺参りをしたことがあるので、一旦パス。
すぐに昨春にも来た小布施へ向かうことにした。
長野電鉄のローカル線で約30分。
前回は車で上田から来たこの町、今回は駅から自分の足で町を歩き町を感じる。
車で廻った時とは随分印象が異なり、特に町のサイズ感、一般の町並みの感じ等を肌感覚で知ることが出来た。
前篇でも同じことを書いたが、この小布施でも外国人グループが結構来ていた。
10数人の年配者グループが駅から歩き始めているところに声を掛けてみたところ、「スコットランドから来た」との声。
<「英国(UK)」と言わず、わざわざ「スコットランド」と言われるところに、独自の誇り持つ様感じます~>と言うと、男性「そうだそうだ」とのご反応。
それにしても随分遠いところからわざわざ信州の春を見に来られたのか。
なお、小布施の先の湯田中なる温泉は、サルが温泉に入る人気スポットがあることを思い出した。
長野電鉄の特急電車の外装にも Snow Monkeyと称して、温泉猿の写真シールが貼られて売り物にしておったが、これも外人さんのお目当てかしらん。
小布施は「栗と北斎の町」と言われ、当地には北斎美術館がある。
訪問時には「日本とイギリス」なる特設展が開催中であった。
もしかして、このためにスコットランドのご一行は小布施を訪ねられたのであろうか。
さて、小布施の町の中心部は桜その他の花と洗練された和モダンの建物の組み合わせが美しく、町そのものが宝石箱のようだ。
繊細かつ洗練された建物や庭がこれほど集合的に見られる町もそう多くない。
もう一方の売り物、「栗」については、栗のお菓子・ケーキなど、女性客には大人気である。
前回行ったモンブランのケーキを食べれる喫茶室へ行き感激をもう一度と願ったが、残念ながら店は定休日、見事に空振りであった。
別の店の屋外テラスで静寂の空間を楽しむ。
大きな栗の入ったクリームあんみつを食し、町を去ることとした。
小布施が北斎ゆかりの地となったのも、美しい自然に加え、この栗の美味に北斎が魅了されたからなのかもしれない。
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夜の松本城
http://ptaro2009q.exblog.jp/26632872/
2017-05-03T19:45:00+09:00
2017-10-21T14:15:37+09:00
2017-05-03T19:49:05+09:00
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松本城夜桜会2017
http://ptaro2009q.exblog.jp/26631632/
2017-05-03T08:44:00+09:00
2017-10-21T14:15:57+09:00
2017-05-03T08:44:11+09:00
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Nagano
今年は満開のタイミングが昨年より1週間以上遅かったようだが、訪問した日は幸いまだ夜桜会が開催中の日で本丸庭園が無料開放されていた。
夜の帳が降りた頃、観光客は勿論であるが、何より松本市民が続々と松本城に押し寄せている様子に微笑ましさを感じる。
信州にもやっと遅い春が訪れたことへの喜び。
謹厳実直で我慢強い信州人を祝福したい心持となる。
夜桜会は2回目。
初回は3年前であったか、暗闇にライトアップで浮かぶ松本城天守の雄姿と、城の一部となっている櫓の和室から雅楽・邦楽の生演奏が聞こえる様子、それに何より大きな枝垂れ桜の妖艶さを初めて観ることが出来、大きな感激を覚えた。
一昨年、昨年も「その感激をもう一度!」と、この夜桜会を観ようと松本宿泊の予定を入れたが、運に恵まれず既に夜桜会は終わっており、今回は久しぶりの僥倖となったわけだ。
雅楽の音色が庭園に響き渡る。
暗闇とお城に実に良くマッチした春の幻想に酔いしれた。
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花の中仙道 妻籠宿
http://ptaro2009q.exblog.jp/26629374/
2017-05-02T09:52:00+09:00
2017-10-22T17:07:52+09:00
2017-05-02T09:52:40+09:00
ptaro2009q
Nagano
毎度お馴染み、中仙道の妻籠宿。
当ブログでも何度も同じことを書いて来たので妻籠宿の解説は省略、写真のみ掲載としよう。
まあ今回も掲載しようとした写真は大体過去にも同じようなシーンを掲載済みであり、余り変わり映えしないわなあ。
桜美しく一年のうちでも古い宿場町が最も華やかに映える日々であった。
今回の妻籠宿訪問、やはり白人客の姿がやたらに目立つ。
「江戸時代へのタイムトリップ」ではなく、「欧米へのテレポーテーション」となったわい。(笑)
その日は、この宿場町を歩いている観光客全体のうちの白人比率がかなり高かった。
既述の通り、ひとつ前の福島宿で会った米人女性、南木曽駅の待合室や妻籠宿に至る中仙道のハイキング道路でも白人が多かったので一日中この傾向を見せられた。
一方同じ外国人でも、いつもは見られる中国人客の大群、嵐のようにやって来て嵐のように去って行く中国人団体は不思議なことに驚くほど何処も少なかった。
単に時期的タイミング的な理由だけなのか、欧米の場合所謂 「Easter(復活祭)休暇」というのがあるが、その辺の絡みで観光客が増えたという偶々の一時的現象なのであろうか、いや、何だかこれ、トレンドになっているのではという気がしてならない。
白人客からの日本の人気観光スポットでこの妻籠宿が最上位の部類にランクされていることを或る記事で見かけたこともあるが、欧米における妻籠宿の知名度・人気度急上昇なのであろう。
情報が一度浸透し始めると、反応が急速に顕現するということもあろうか。
京都などのベタな観光都市は経験済みでそれ以外で「古き日本の原風景」を見たいという旅慣れた欧米客が随分増えていることに感慨持つ。
自分も今後海外、欧州へ行くなら、人の少ない田舎町が良いかと思って居る。
情報提供が十分であり、安全、宿が確保出来ていることが前提とはなるので簡単ではないが。
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花の中仙道 妻籠の旧‣小学校校舎
http://ptaro2009q.exblog.jp/26619444/
2017-04-28T08:46:00+09:00
2017-10-21T14:21:24+09:00
2017-04-28T08:45:58+09:00
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Nagano
町並みへ向かう道ではなく、一段山側の道を進むと、やがて 小山の麓に古い学校の校舎やグラウンドが見えて来る。
この妻籠宿には過去10年近く毎年2度ほどのペースで通っているが、この校舎との出会いは、宿場町へ行く筈の道とは別の道を誤って進み遭遇したものであった。
この木造校舎を見つけた時にはその懐かしい佇まいに大きな感激を抱いたものである。
(時には、道間違いも良い、思わぬ発見をもたらしてくれることがあるのだ。)
これぞ「日本の原風景」、と言って良い風景。
セピア色の古い映画にでも出てくるような。
(実際、この校舎でロケをした映画があったようだ。)
自分がやはり小学生だった頃には かくなる木造校舎は日本全国どこにでも普通に見られたものだが、現在では絶滅危惧種のような存在となって来た。
実際この小学校も20年前に廃校となったものと聞き及び、現在は全くひと気のない建物となっているが、校舎自体は壊されずに保存されているのが実に有難く嬉しい。
感涙を呼ぶ。
今回の訪問でもこの校舎が無事残っていたことに安堵し歓喜した。
おまけにソメイヨシノや枝垂れ桜も満開、文字通り、我が歓喜に花を添えてくれた。
メインの校舎。
こちらは体育館のようだ。
木造建築が長く維持されるのには大変な手間とコストが掛かる。
余り比較にもならないが、我が家でも猫の額のような庭の半分をウッドデッキにしておるが、20年の風雪に今やデッキ部分のかなりは朽ち果てて、まともに歩くのは危険な状況となってきた。そろそろ大改修が必要な頃となって来た。
既に廃校となったこの校舎の維持や管理にも、地元の方々の並大抵ならぬ努力が費やされているものと容易に想像できる。
何とかいつまでもこの姿が残ることを祈っている。
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花の中仙道 JR南木曽駅~妻籠宿をハイキング
http://ptaro2009q.exblog.jp/26617152/
2017-04-27T09:52:00+09:00
2017-10-21T14:21:44+09:00
2017-04-27T09:52:13+09:00
ptaro2009q
Nagano
木曽の高山の谷間、木曽川に沿って走るローカル電車は客数も極めて少なく閑静。
のんびりと美しい車窓風景、左右に高山、見下ろすと蛇行しながらどこまでも流れる木曽川。
木曽路の多彩な景観を眺めながらの時間はひとり旅の喜びをこの上なく満たしてくれる。
南木曽駅では荷物をコインロッカーに置き、身軽な格好でハイキングへ。
当駅から妻籠宿に至る旧中仙道の山道・田舎道は、花に溢れる美しいコース。
真冬の経験はないが、春夏秋はおりおりの季節を感じながら心地よく歴史の道を歩むことが出来る。
木曽山中の中央部はまだ桜開花がほど遠い様子であったが、南部のこの辺りになると桜はほぼ満開。
都会のように作られた並木ではなく、自然に成長した桜も多く、その分感動の度合いも大きく増す。
桜以外にも濃いピンク色が鮮やかな桃の木や、紫のミツバツツジなども咲き始め、花々乱舞、まさに花園と言っても良い。
南木曽駅を出て間もなく、線路際の道から出発。
白とピンクのグラデーション、桃の木が美しい。
既に夢見心地となる。
目的地までの中間点ほど、ちょうど坂の上から逆U字形に湾曲した田舎道が美しい。
息を飲む。
「絶景」ではないが、世界有数の「美景」の地ではないか。
永遠の美しさと思え、しばし立ち止まり現実離れした景色を楽しむ。
この景色を見るためには死ぬまで毎年この時期此処に来たいと思う。
妻籠宿までの一時間のハイキング、大方の人々は妻籠宿へはマイカー或いは団体客用の大型観光バスで直接現地へ行くのが殆どなので、ハイキング客は必ずしも多くない。
今回は妻籠宿から南木曽駅に向かってすれ違ったハイカーは10人ほどであったが、そのうちの9人が何と西欧人であった。
歴史的に彼らは歩くことにより拘りを持っておるのかしらん。
カップルの若夫婦、老夫婦あり、一人歩きの若い女性もいた。
どの顔にもこの美しい木曽路の花々、日本の原風景に満足されたような顔つきであったことが印象的。
嬉しくなった。
それほどに美しい1時間でもあり、長年に渡って日本人が培った自然に対する敬意、その結果として出来上がった自然美に関する誇りのような感情が湧き上がる。
此処に来て大満足であった。
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花の中仙道 木曽福島 Part-2
http://ptaro2009q.exblog.jp/26614754/
2017-04-26T09:35:00+09:00
2017-10-21T14:22:06+09:00
2017-04-26T09:34:31+09:00
ptaro2009q
Nagano
同じ木曽路中仙道の宿場町である奈良井宿や妻籠宿に比べると、観光スポットとしての宿場町の町並みが小さいことで少々賑わいには欠けている、というのが実感であった。
前回、4-5年前であったか、の記憶では、木曽川の谷から小さな丘陵を上がったところに宿場町の町並みがあった筈。
「上の段」と呼ばれる地である。
「上の段」を探す途中の坂の踊り場にて、蔵をモダンに改装され、蔵内をオフィスのようにデスクを置いている様子が見えた。ひとり仕事をされている若い男性が見えたので蔵に入り、場所を聞くついでに声をかけてみた。
最近は東京に本社を置きながら地方、それも嘗ては過疎の町と言われるような地で古民家を格好良く改装し、サテライトオフィスを設置し、東京から移住して地方勤務するような従業員がぼちぼち増えて来ているTV番組を見たことを強く記憶しておった。(NHK BS ぐっさんのバイク旅、徳島の村だったか。)
地方移住を促進し、地方の町興しにも貢献する好い企画と感心した。
日本あちこちにこのような企画が増幅して行くことであろうと期待。
さて、この蔵に居た男性は地元の方とのことでサテライトオフィスではなかったのだが、蔵の中はなかなか洒落た大人のスペース、何よりとびきり閑静な環境で仕事をされていて羨ましかったものである。
不躾な旅人の侵入にも拘らず、男性の丁寧な対応に好感を持った。感謝!
「上の段」はすぐに見つかった。
高速バスの終点の町、それもランチタイムの賑わいの時であるにも関わらず、歩いている人は誰ひとり居ないことに驚いた。
冒頭に書いた印象のように確かに観光スポットとしての集客能力は今ひとつであることは認めるにせよ、誰も居ないとは寂しいような、いやしかし、これはこの宿場町の景観を独り占めできる贅沢なひと時なのかと考えるようになった。
むやみに商業化された宿場町に比べると、何だか良い居心地である。
昼食を此処で食べようかとも思ったが、店の半分以上は定休日、残りの店も人の出入りがないので、入店は正直はばかれた。
荒天予想した天気予報が嘘のような快晴、閑静な空気と時間を路肩に座してゆっくり味わうことにした。
木曽福島は昭和2年に大火があったが、この「上の段」は被災を免れた貴重な場所とのこと。高所であることが幸いしたのであろう。
写真にある家々は前回来訪した時からは変わり、イタリア料理店やバーなどお洒落な店に変身しておった。外国人含めた観光客シフトなんだろう。
派手さはないが、穴場かもしれぬ。
近くの木曽駒ケ岳や噴火した御嶽山などの山登りの後に訪れ静かな大人の夜をこの地で楽しむのも良いかもしれない。
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花の中仙道 木曽福島 Part-1
http://ptaro2009q.exblog.jp/26609513/
2017-04-24T10:03:00+09:00
2017-10-21T14:22:36+09:00
2017-04-24T10:03:24+09:00
ptaro2009q
Nagano
毎年この時期、東京の桜が終わる頃が信州の桜の見ごろになることもあり、定例の行事としている。
いつもならマイカーでのドライブ旅かJRの特急あずさに乗って松本に出るのが普通であるが、今回は新宿BTから高速バスで木曽福島へ行く便を利用した。
朝7時45分発で現地には12時過ぎに到着、松本での乗換えも不要、直接目的の地に行けるので便利である。
平日でもあり、バスは客数も少なく、静かでのんびり。
前夜から早朝にかけて強風豪雨で旅を控えた人も少なからず居たのかもしれないが、バス中では期待通りの閑静さ、心地よさにほくそ笑んだ。
バスが進むにつれ車窓から次から次に見える山々、相模湖を過ぎると富士山の雄姿、その後は南アルプス、八ヶ岳、北アルプスの見事な連峰、最後に木曽駒ケ岳や御嶽山、と名山が立て続けに雪を被った美しい姿を見せてくれる。山への思いが募る。
桜の方も、都内の桜は既に散り葉桜と化したものの、やがて山梨に入ると再び花開いたソメイヨシノやピンク色が鮮やかな桃の木畑が目に入って来て、もう何とも言えぬ桃源郷、幸福感をもたらしてくれた。
バス走行の4時間半は殆ど苦にならず、あっという間に目的地に到着した。
さて、木曽福島である。
江戸から京都へ続く中山道、中でも山谷険しい木曽路にある宿場町である。
現存する宿場町の町並みそのものは同じ中仙道の奈良井や妻籠宿に比べると小規模かつ地味であるが、町そのものはこの地方としては随分大きく人口も多いようだ。
駅前でバスを降車し木曽川までの坂道を下って行く。
やがて町の中央を流れる木曽川に遭遇。
昨晩からの大雨のせいか、轟々と大きな音、大きな白波を伴った激流に驚かされる。
川沿いには「崖屋造り」と呼ばれる古い家並みが特徴的な姿を現す。
木曽川にせり出すようにで出来た家々。
建物そのものとしての美観は正直言ってかなり雑然粗末であるが妙に胸打つものあり。
木曽福島は木曽川の両岸山あいが迫ってくる木曽谷の狭い土地にあるが、こうした形状を有効的に使用するためかくなる家並みが明治時代に形成されたようだ。
木曽川の速く強い流れと相俟って奇妙な迫力を醸し出す。
その後川沿いの何でもない通りを歩いていると足湯に遭遇。
そこには銀髪‣白人のご婦人がひとり足湯に浸かっておられた。
団体ではなくお一人のようなので声をかけてみた。
米国フィラデルフィアから旅しているとのこと。
米国東岸、NYやワシントンDCよりは南の米国最古の部類の大都市からの方である。
何だか<世界を歩く会>というような協会に所属していてその活動として今回日本各地を歩いており、その日は妻籠宿からこの福島宿まで歩いてこられたとのこと。
(電車でも50分ほど掛かるので、その日全て歩いて来たとも考えずらいが。。。。)
米国、欧州、オーストラリア、色々なところを歩いているようだ。
当方も、<歩くことには非常に興味を持っており、歩くことは人生なり、と思って居る、次の目標として四国88か所やスペインのサンチャゴ巡礼路などに意欲ある>と告げると、ご婦人からも強い反応あり、サンチャゴ巡礼路の話では結構盛り上がったものである。
それにしてもこのような陸の孤島のような僻地にわざわざ白人が歩くことを目的にやって来ていることに驚かされた。
その後木曽福島の観光客が集まりそうな箇所は或る程度歩いたが、このご婦人の仲間らしき白人には遭遇せず。(そもそもそれ以外にも殆ど観光客らしき人は歩いていなかった。)
ホントにひとりで歩いておられたのだろう、ネットでこのようなニッチな土地の情報も世界中で容易に拾うことが出来、様々な形態でカスタマイズされた旅を楽しむことが出来る時代になったことに今更ながらに驚く。
自分も海外旅においては、余り知名度高くない田舎をとぼとぼ歩く旅を余生多くしてみたいと思っていたが、非常に励まされた思いでもあった。
写真は上の段から観た足湯。
左側、屋根の下に青い服のご婦人が見える。
随分長い間(私以外には)誰にも邪魔されずに足湯を楽しんでおられたようだ。
今回の旅では不思議なことに、どこでも見られる中国人客は殆ど見られない代わりに、至るところでやたらと白人客が多く、これにもかなり驚かされた。
偶々タイミングの問題なのであろうか、新しいトレンドが生まれているのであろうか?
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