多分駄文のオジサン旅日記:Weblog
2010-10-31T22:16:47+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
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Asakusa in the Rain
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2010-10-31T11:06:00+09:00
2010-10-31T22:16:47+09:00
2010-10-31T10:10:17+09:00
ptaro2009q
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しかしながら週末に台風首都圏直撃、の予報にこの旅行は断腸の思いで断念、残念!
天城高原でのハイキングが決まった時には、喜びで石川さゆりの「天城越え」のCDをTSUTAYAで借りてiPodに落とし、ハイキングの際には大音響で同曲を流しながら三人で合唱しつつ天城の峠を歩こうと楽しみにしていたので、実に残念でならない。
それにしても今年の天候は酷いもんだ。
10月末でこの寒波、おまけにこの時分で台風、というのは異例尽くし。
綾小路きみまろ師匠ならずとも、「政治も不安定、経済も不安定、そして、お天気まで不安定!」と言いたくなるではないか。
伊豆が駄目なら、ということで、緊急企画変更。
オジサン3人は浅草に集合、落語を聴くことにした。
台風直撃で大雨、にも拘らず、流石土曜お昼の浅草・雷門、人出の多さに驚かされる。
蓑傘を被った観光客用の車引きのお兄さん達も客寄せに必死、いや商売とはいえ、冷たい雨の中、頑張っておられるなあ。
浅草演芸ホール、開演以降すぐにお客は満杯状態。
TVでは見かけぬ若手・中堅の噺家のなかにも珠玉の語りをするものが並び、光る芸人を見つけるのも寄席ならではの楽しみである。
また、所謂「客いじり」など、ライブでしか見えない即興のやり取りなども楽しい。
ネタは新作というか現代ネタが多く、落語のなかでは少々江戸小噺を出す程度、本格的な古典をやった者は居なかった。(やはり聞き手の需要や質にも問題あるのだろうな。)
2時間半ほど、落語のほか、コント、マジックなども楽しみ、だいぶ年老いた桂米丸師匠の一席を見た後、台風での交通麻痺を懸念して、昼席の最後は見ることなく引き上げることにした。
ところで、寄席では思ったよりも若い客も居るなあ、と思いきや、いやどうもハトバスの団体旅行客なんかも大挙入場しているらしい。
概ね彼らのマナーは余り宜しくない。
公演中でもお喋りや途中での入退場で、演者に対しても失礼である。
落語を聴かずにスポーツ新聞をがさがさ広げている輩もおる。
噺家によっては、無粋な客に途中で嫌気がさして、もういいや、と止めちゃった方もいらっしゃる。
客いじりでは定評ある古今亭寿輔師匠、止めるのも芸のうちか、団体客が大挙途中入場、前の方を無遠慮にのろのろしているのを見て、最後にはヤケクソ気味に高座から引き下がってしまった。
勿論時間も計算のうえでの機転であろうが、客を「落ち」にもしてしまう彼の機転の引き出しのひとつを見せてもらって思わずにやついてしまった。
座席のすぐ後ろの列にかばのような風貌のおばあさん、一寸都会には居ないような何とも言えぬ服装、顔つき、語り口。
(公演中にも拘らず、「トイレはどこ?」と何人も席の離れた友人おばさんに大声で尋ねたりする図太い神経。)
コントのときには詰まらんギャグにもいちいち大声をあげて抱腹絶倒、馬鹿笑いのオンパレード、もうどうにも止まらない。うるさい、うるさい!
その後落語に変わってやっとおばさん大人しくなったな、と安堵したのも束の間、今度は大いびき。
いびきは次第に騒音の度合いを上げて大地を揺るがすほどの轟音に変わり、思わず、この演芸ホールにも台風が直撃したかと思ったほどである。
オバサンにしてこのパワー、恐るべし!
他の観客が振り返るは勿論、演者にも聞こえるくらいの豪快な大いびきとなる。
ご本人は夢の中を彷徨って幸福の極地におられるが、こちらとしては大変困ったもの、いや、とても落語どころではなく、いびきを聞きに着た様な寄席であったなあ。
(もう、よせ!、なんて、お後が宜しいようで。)
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New Desktop PC
http://ptaro2009q.exblog.jp/14341025/
2010-05-09T10:19:00+09:00
2010-05-09T12:06:45+09:00
2010-05-09T10:19:36+09:00
ptaro2009q
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iPadの発売を待ってみようか、という思いもあったが、旧世代のオジサンとしては、自宅にしっかりとしたデスクトップPCがある方が先ずは重要と考えた。
中国での生産、デリバリにも時間を要し予定は発注から2-3週後に配達とのことで、当初は来週後半あたりに来るものかと思っていたが、予定よりは数日早い昨日土曜日の夕刻に突然自宅に届けられた。
一応組み立てと最低限のセットアップを行って、具合を確かめている。
モニタは横長ワイド21インチのもので、画面は大きくなったというよりは、むしろ写真などは薄っぺらく見える印象がある。
Windows7が搭載されていて、初めてこれを利用することになったが、まだ勝手が分からない。
どうもこうしたものは、へビーユーザーにとっては段々ディテールの点でも細かな工夫が施され使い勝手が良くなっており、開発者側からすると大きな改善を成し遂げた気分でいるのであろう。
しかし一方余りに機能が多くなって平均的なユーザーにとっては必要のない「余計な親切」が逆に増えているような気がする。
本質的な機能がどこにどのように残っているのか良く見えなかったりする。(実は、自分の会社で行っているネット上でのサービスについても同様のことが言えているのであるが。)
慣れるしかないのであろう、時間が解決する、と自分を納得させる。
きっと喜ばしい改善をこれから幾つも享受できることだろう。
Internet Exploreは2面しか出てこず、Multiple Viewにならない?(使い方の問題であろうか?もう少し研究しなくては。)
てなことで、今日日曜日は天気良ければカメラ持って街角散策にでも出ようかと思っていたが、少し時間を割いてパソコンと格闘することにしよう。
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2010 GW Part-2 Tokyo Disneyland
http://ptaro2009q.exblog.jp/14307480/
2010-05-04T18:47:00+09:00
2010-05-04T19:17:10+09:00
2010-05-04T18:21:08+09:00
ptaro2009q
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GW中の我が家のお約束、義妹一家と一緒に新浦安の娯楽の地にて合流し一日を過ごすことになっている。
朝5時半に家を出て全国+海外からも集う異常な混雑の渦中に身を投げる。
昨年までの何年間はDisneySeaの方へ行っていたが、今年は久しぶりに原点回帰、クラシックなDisneylandの方へ行くことになった。
今年で開園27年目とのことだが、約30年前銀行勤務時代にこのTDLに融資シンディケート団への勧誘が当時の幹事銀行であった日本興業銀行(現・みずほ銀行)からあり、在日外資系三大銀行のひとつであった我が銀行も最低金額で融資のお付き合いしたことを良く記憶している。
当時はDisneylandといっても日本ではどの程度ビジネスとなるのか誰も確信はなく、むしろ多くはその先行きに対しては疑心暗疑であったことが今では懐かしい。
Tomorrow landにあるスペースマウンテンやスターツアーズ、開園当時から未来的アトラクションのシンボルとして大人気であるが、朝8時の入園後、先ずはこれらに我が娘と二人で乗る。(最近殆ど多忙な娘には相手にされていないので、一緒に乗れるだけで非常に嬉しい!)
嘗ては「未来的・先進的」と思っていたこれらのアトラクション、宇宙飛行が日常となり、3Dなど画像の世界も技術の最先端たるものを体験できる今日、もう全く「未来的」には思えない、むしろもう1980年代当初に想定していた未来を一気に越え今やその「未来」は「過去」のものになっている、という感覚を持った。
こうしてみると夢に見る未来像などは簡単に陳腐化する。
余りに技術の進歩が速くなり、想像を超えた未来的なものが次々生まれ続けていくと、次に見るべき未来像を描くことは容易ではなくなる。
Tomorrow landが少々不憫に思われて来た。
逆に、Disneylandのお馴染みのキャラクターやアメリカ西部の自然をフィーチャーしたウエスタンランドの方が何だかしっくりと見えてきた。
時代の変化に拘わらず、良いものは良い、という感覚である。
古典の良さ、というべきか。
過ぎ去った27年の速さ、そして、「不易流行」と言う言葉が浮かんだ一日であった。
それにしても人込みの凄まじさ、いやぁ疲れたなあ。
園内の模様、以下の写真集でお楽しみあれ。
(画面をクリックで、拡大)
今回は多くの局面で望遠レンズが活躍してくれた。]]>
フィリピン大暴雨
http://ptaro2009q.exblog.jp/12471960/
2009-09-28T23:34:00+09:00
2009-09-28T23:44:19+09:00
2009-09-28T23:03:22+09:00
ptaro2009q
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週末明けにしては異常にメール数が多いのであるが、フィリッピン・ルソン島を襲った大暴雨に関するものが多く含まれていたためであった。
土日のTVではそのニュースも眼にしていたが、これほどまでに大規模に渡って酷いものとは実は想像していなかった。
被害はかなり甚大のようである。
既に140人以上の死者が報道されており、水が引けば更に被害は広まりそうだとのことだ。
日曜日に偶々TVで見たスマトラ大地震による津波によって街中が洪水となった映像が重なった。
勤務先には首都マニラにも大きな拠点を持っており、この大暴雨による影響による事業継続性(Business Continuity)につき、週末にも拘わらず米国本社を始めとして随分迅速に反応していた。
経営陣や顧客担当者、業務担当者、IT担当者などがそれぞれ世界の各拠点の担当者に連絡を行い、これも週末としては異例であるが電話会議を招集したり、と随分精力的に現地の従業員の安否の確認や、スタッフが会社に来れず事業が展開できない場合のバックアップの手当て等について連絡を取り合っていた。
自分の会社を誉めるわけではないが、このような緊急時における米国人の素早い反応、瞬発力、正義と友愛精神(どこかで聞いた言葉?!)はなかなか大したものと感心した。
現地では、むしろ政府の対応の遅れが批判の対象となっているとの話も聞いた。
日本に限らず、やはりどこの国でも役人さんの動きはいつも後手後手に廻るのが常のようだ。
さて、実は滅多にこのようなことがないのであるが、我が予定としては本日から3日間マニラから設計コンサルタントを迎えて社内のレイアウト変更のための調査・準備を行うことになっていたのである。
この暴雨によりマニラの空港もほぼ閉鎖状態が続き、飛行機は飛ばない。
コンサルタントさん、予定していた来日が出来なくなり、当方も今週の月・火・水の予定はすっかりキャンセルとなってしまった。
また、ミーティングをお願いしていた外部の方々については日程の再調整をすることで、てんやわんや。
本日一日がこの連絡に明け暮れてしまった。
こちらも暴雨により嵐のような一日を過ごすことになってしまった。
当社マニラ拠点のスタッフ、死者・行方不明等は出なかったのは幸いであるが、家を流されてしまった者、また家の二階まで床上浸水となり家財の多くを失ったものは少なくなかったようだ。
日常良く連絡を取り合うスタッフの中でも被害大の者が居て、心が痛んだ。
何ともお気の毒である。
正常へ復帰するまでには随分時間が掛かりそうであるが、何とか気持ちを落とさず頑張って欲しいものである。
社内では募金でもして力になろう、との声が一部の女性からあがり、救われたような気がした次第である。
(写真は、Yahoo! より抜粋)
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深川祭り
http://ptaro2009q.exblog.jp/12142309/
2009-08-16T23:25:00+09:00
2009-08-16T23:32:25+09:00
2009-08-16T22:38:15+09:00
ptaro2009q
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終戦記念のこの日ではあったが、世界の各地から多様なスポーツが生中継で見られる幸せ、何と有難きことであろうか。
終戦から64年が経過、子供達の世代となるともう 「戦争を知らない子供たち」、という歌さえ知らないことであろうが、やはり戦争の悲惨さ怖さを風化させてはならぬ、と思いを改めた次第。
本日は午後から久しぶりに門前仲町へ出掛けてみることにした。
日曜日にやっている骨董市を見るためである。
駅を降り、富岡八幡宮へ向かう舗道はいつもの何倍もの人。
夏らしく浴衣姿の人も目立つ、どうも恒例の深川まつり開催中のようで納得!
御覧の通り、富岡八幡宮の境内は大勢の人々で凄い熱気。
境内の両脇には祭りの出店が並んでおり、お楽しみの骨董市の姿は全く見えない。 ところで本殿の前に至る石段のところに人の行列が出来ている。
一体何であろうか、と寄ってみて、驚いた。
フォークのシンガーソングライター、いまや俳優業もやっている泉谷しげるがサイン会をしていたのであった。
泉谷しげると門前仲町、余り接点もなく、意外な人物が目の前に居る。
高校・大学時代に深夜放送に登場していた泉谷しげるは、反権力、型破り、破天荒な言動で若者の支持を得ていた。
そう言えば、今でも自分のiPodにも 「黒いかばん」、「春夏秋冬」、「眠れない夜」を始め何曲かを入れている。
目の前の泉谷しげる、もっと人に対して毒づいたり荒い言葉を吐いたり、というパフォーマンスが出るかな、とも思って様子を見ていたが、終始好々爺のような優しいオジサンで、丁寧にサインをし、一緒の写真撮影などにも嫌がらずに応じられていた。
カドが取れてすっかり静かな人のように見えた、あのとがった泉谷しげるの面影は全くなかった。
最近の清志朗の死などショックも大きかったことであろうが、何もかも噛んで含めたような悟った風情であったことが印象的であった。
骨董市がなかったのは残念だが、心に残る有名人との遭遇であった。
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「劒岳 点の記」を観る
http://ptaro2009q.exblog.jp/11797312/
2009-06-21T23:48:00+09:00
2009-06-22T00:10:13+09:00
2009-06-21T23:19:53+09:00
ptaro2009q
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何はともあれ、寝たい時に寝る、横になることが出来るのは、何より有難く、涙が出るくらいである。
とは言え、若いときと違い、拘束から解放されても爆発的喜びがないのが、何となく寂しくもあるのだ。
本日日曜日は天気が良ければいい汗かきに、山登り、奥高尾縦走でもしたいな、と考えていたが、せせら笑うように、朝から大雨。
天は我にもう少し大人しく休息を取るよう、優しくも謂われておるようだ。
夕刻家族で外食をしたあと、駅前の東宝シネコンで昨日封切された新田次郎・原作の「劒岳 点の記」を一人で観に行く。
繁忙期が終わったら一番最初にしたいこと、のひとつであった。
<明治40年、日本地図完成のために命を賭けた男たちがいた >
原作はさっと駆け足で一度読んでいたが、映画の方は山岳シーンの凄まじさに圧倒されっ放し。
数々の名作を手掛けてきた名カメラマン、木村大作の初監督作で、本当の寒さ、風雪の中でのロケで、作り物でないリアリズムを見ているものに訴える、という制作裏話をTVで見たことがあるが、それにしても、あまりに過酷な気象条件の中での撮影に、観ている者としては、監督サンの強い思いに頭は下がるが、感動というよりは、少々スタッフや俳優さんたちに同情というか文字通り寒い想いがしてしまった。
途中からはホントに寒くなってきて、逃げ出したい気分に。
(どうも映画館内の冷房も意図的かどうかは定かではないが強めで、持参していたスウェットを思わず途中からはおってしまった。)
山登り好きの立場からこの映画を見ると、剣岳の難攻不落ぶりが強く印象に残った。
どの山にも最初には道がない。
踏み固めた道、道標もなく、危険を避けながら合理的に山頂に行くことの容易ならざることを知らされる。
これまで登った幾つかの山にも先人の苦難と犠牲と努力があったからこそであろう。
落石シーン、雪崩シーンも実に大迫力であった。
それにしても、現在の剣岳、どのような状況となっているのであろうか、一般人も登頂出来る筈ではあるがどのように現在のような登山ルートが出来たのか興味深いものである。
いつか一度挑戦してみたい山ではあるが。
さて本日は父の日。
札幌に居る父はお陰様で健在だが、此処3,4年顔も見せず親不孝しておる。
一方、自分が父親の立場となると、中三の娘に対してどんな存在なのであろうか。
心身とも成長著しくもう独立した人格を持つが、親のほうが子離れできていない。
娘からのプレゼントは、娘にせがんだが、特になし、だそうだ。
後で嫁サンから聞いた話。--
娘が我がブログを携帯電話の画面で最近読んでいたとか。
オモシロイ、と言ってたよ、とのこと。
意味が分かるのであろうか。
まあ、兎も角、娘が読者であることを意識すると今後は下手なことも書けない、ブログも少々書きずらいな。
これこそ<ちょっと難しいプレゼント>を父の日に娘から貰った気分である。
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いよいよ忙しくなって来た+市川真間点描
http://ptaro2009q.exblog.jp/11711645/
2009-06-09T00:06:00+09:00
2009-06-09T06:59:00+09:00
2009-06-08T23:51:19+09:00
ptaro2009q
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今日は時間が普段の5倍速。
気がつけばお昼で、次に気がつくと6時で、あれよあれよ、といううちに夜も10時近くになっていた。
月曜日からこのストレスと消耗度では身が持たない。
先週末も腰や頭が痛くてしんどかった。
そろそろ明日あたりから、会社近くのホテルにでも寝泊りしようかと思っている。
朝の通勤で1時間以上立っているのは辛いものである。
寄る年波には勝てないなあ。
てなことで、ブログのほうも少々ペースが落ちること、お許しあれ。
何の取り柄もない当ブログではあるが、ご来場頂くアクセス数は昨年に比べ随分増えて来たようで、まことに皆様には感謝感謝である。
何とか楽しんで頂きたいので、文章はともかく、せめて写真だけでも並べてエントリー数を或る程度保って行ければ、と考えている。
矢切の渡しに行く散策の出発点、京成線・市川真間駅周辺の点描を。
市川真間と書いて、いちかわまま、と呼ぶ。
この辺に詳しいというS先輩によると、銀座のクラブのやとわれママの多くがこの辺に居を構えており、市川ママ、という地名となった、とのたまっておられたが、真偽のほどは知らない。
JR総武線市川駅にほど近いが、JR線に比べると京成線の何と地味で鄙びたことよ。
駅前の開け具合もまさに雲泥の差であり、往来の人も少ないが、それが何だか悪くない。
都会に近いが、静けさが残り、色褪せた古さがいい塩梅に残る町。
最近気になっている錆びた建物も発見でき、こころ密かに踊ったのである。
もっと歩けば、もっと沁みたいい味を体感できるかもしれない町。
そのまま、で居て欲しい。
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山の上ホテル@神田駿河台
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2009-05-31T10:33:00+09:00
2009-05-31T11:07:47+09:00
2009-05-30T21:32:29+09:00
ptaro2009q
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発売初日にして、出版元の新潮社は3度目の増刷を決定し、累計で68万部を記録。
7年ぶりの新作で、発売前の宣伝、情報開示をしなかったことで、読者の飢餓感・渇望感をほどよく刺激したことも営業上は奏功しているようだ。
これまで村上春樹の作品はあまり多くは読んでいない。
1982年発表の 『羊をめぐる冒険』あたりから、時々読む程度だった。
彼独特の感覚や旋律には少々すべるものを感じ、今ひとつ強い思い入れが出来ない。
ついていけないのは恐らくは自分自身のイマジネーションが不足しているのかしらん。
海外からの評価も高く、知り合いのアメリカ人でも熱狂的なハルキストが少なくないようだ。
(一番好きな村上作品は、「ねじまき鳥クロニクル」、なんて外人サンに言われると、そのマニアぶりに思わず苦笑いしてしまうのだ。。。)
アメリカ文学の翻訳作家でもある村上の作品が英語になってどのように受け止められているのか、最近は少々興味を持たなくもない。サリンジャーの新訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』やチャンドラーの『ロンググッドバイ』など訳本系は読んでおきたい本リストに入れているが、今回の「1Q84」も読んでみたいものだ。
村上春樹といえば今年の2月にエルサレム賞を受賞し、授賞式でイスラエルによるガザ侵攻を大統領の前で批判したことが実に印象的だった。
<私たちはみな国籍や人種・宗教を超えてまず人間であり、『システム』という名の壁に直面する壊れやすい卵である。私は常に卵側に立つ>と堂々と英語で述べた姿には凄みがあり、驚かされた。
実にセンシティブな政治状況にある舞台での日本人としては珍しい勇気有る物言いに喝采した。
恐らくこの辺の事情も伏線となって今回の新刊本の売れ行きにも火がついたのではなかろうか。
それにしても初日で68万冊、凄いな。
日本の閉塞状況の裏返し現象、此処にもあり、か。
さて、話題変わり、御茶ノ水にある山の上ホテルの写真を掲載させてもらった。
今週、商用でお昼の会食をしたところである。
昭和12年営業開始の歴史あるホテルで、昭和の作家達にも愛された名ホテルである。
都心の繁華街・学生街から僅かばかりの坂道を上がる小高い丘の頂点に建てられたホテル。
昨今続々と進出してきた超大型高層ビルの外資系ホテルに比べると、その規模も程よく小ぶりにまとまっており、見ただけで安らぎを感じるクラシックホテルである。
アール・デコ調のファザードは優雅で良き時代を思い出させる。
週末のTV番組で、村上春樹の新刊本を購入して、家に帰らずにJazzの聴ける店に立ち寄り、ウィスキーを飲みながら読む人が紹介されていた。家に帰るまで読むのが待ちきれない、ということもあるが、読む場所にもこだわりがあるそうだ。
お店は新宿の「DUG」 。(このサイト表紙、Blue Noteのジャケット風でカッコいいなあ~)
Jazzファンには有名な店で、村上の小説にも出てくる店なのであるが、このような本の読み方、面白い。
味わいが一層増す、のか。
「山の上ホテル」の喫茶室・バーで読む本なら何が良いだろうか。
やはり、三島由紀夫や川端康成作品が良いか。
そういう優雅な時間を過ごして見たいものだ。
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ROSE 京成バラ園
http://ptaro2009q.exblog.jp/11567045/
2009-05-19T00:09:49+09:00
2009-05-19T00:09:49+09:00
2009-05-18T23:17:12+09:00
ptaro2009q
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土地を買い、注文住宅を建てた頃には、まだ最寄駅前も広場だけで今のような大型ショッピングモールもなく、手っ取り早い週末のお楽しみは、ガーデニングであった。
猫の額ほどの庭ではあるが、マンション生活から一戸建てになって初めて自分の庭というものを持ち、花や木を育てることに夢中になった。
そんなことで、10年前のマイブームは、ご近所の「バラ園」。
まだ幼児だった娘を連れ、夫婦で花を見たり買ったりすることが週末のお約束であった。
あれからもう10年(....と、綾小路きみまろの漫談調になるが)、今では我が庭も「国敗れて山河あり」とでもいうべき惨状で、時々草むしりしてご近所に迷惑を掛けぬようにするのが精一杯。
嘗ての花への情熱もどことやら、という状況となってしもうた。
昨日の日曜日、天気も小雨続きで宜しくないが、試験勉強をしている娘を家において、嫁さんと二人でこの「バラ園」へ向かうことにした。
「バラ園」に行くのも久しぶりなら、また夫婦二人だけで何処かに出向くのも久しぶりであった。
赤ん坊だった娘を連れて良く此処へやって来た時代を二人で思い遣る。
娘はどんどん成長し、今や意図も簡単に母親の身長を抜き、精神的にももう見下ろすような態度である。
10年が光陰矢の如く過ぎたことを改めて二人で驚く。
小雨にも拘わらず、バラ園は結構の入場者の数。
それにしても、広大な土地に何百もの種類が見事に咲かせている。
カメラオジサンにとっても、絶好の腕の奮いところであろう。
一眼とコンデジを持参したのだが、一眼のほうは、2,3枚取るや、すぐにバッテリー切れ。
コンデジで行くしかないッ!
それでも、コンデジでのマクロ撮影、ちゃんと後ろはぼけとるゾ。(立派、立派!)
最後の一枚は、嫁さんが選んだ今日のベストのバラ。
「ノスタルジー」という品種で、ドイツ原産のバラであるとか。
雨の雫(しずく)に濡れたバラもオツなもの、自分も嫁さんの審美眼に一応敬意を表して、やはり今回はこの赤の縁取りが美しい「ノスタルジー」をベストにしておこうか、と思った次第。
いやいや、その時夫婦二人で抱いたノスタルジーとは、やはり過去10年前へのノスタルジーであろうか。(笑)
MY SECOND BLOGにも、少々お花の写真を並べてみた。
こちら をどうぞ。
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Collage by PICASA 3
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2009-05-12T23:26:00+09:00
2009-05-12T23:39:55+09:00
2009-05-11T23:07:13+09:00
ptaro2009q
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遊んでみた、というよりは、使いこなせていないので、遊ばれている状況であるが(笑)、コラージュなどは以前のVersion2に比べて自由度が高く、遊び甲斐があるようだ。
自宅近くの「京成バラ園」で撮影したバラの花、計69枚の全写真を無造作にコラージュ。
綺麗なバラの一枚、下手くそに並べると、文字通り、バラバラの統一感のない一枚になる。
これぞ「合成の誤謬」か。
GW中の房総の旅で撮影した計279枚の全写真を無頓着にコラージュ。
PICASA2では最大9枚ほどしかコラージュ処理は出来なかったので、これだけの枚数を対象とすることが出来ることには驚かされた。
いずれもただ単に各フォルダーに収めた写真を技もなくコラージュにしただけなのだが、こうして一連のテーマの写真を全部並べることによって見える全体風景やら色彩やら、というのも、意図するもの、しないもの、集積の結果として見る面白さがある。
各写真のサイズの拡大・縮小や位置も自由に設定することが出来るようだ。
面白い使い方、研究の余地ありそうだ。
逆に、このコラージュを意識しながら、どんな一枚を撮ろうか、と考えて撮影して行くのも、新機軸となるか。
さて本格的繁忙期に入り、かなり心身ともに目一杯の状況となってきた。
本日、朝6時過ぎ、いつもより1時間ほど早く家を出た。
通勤電車内、駅など、少々景色いつもと違う。
サラリーマンより、中高の学生サンの姿が随分と目につく。
早朝より若い諸君、皆頑張っているのだなあ。
それを支えているニッポンのオカーサン達も同じく立派だなー。
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昭和の日
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2009-04-29T11:38:00+09:00
2009-04-29T11:58:44+09:00
2009-04-29T11:26:31+09:00
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平成になって、「みどりの日」に変わり、いつのまにか「昭和の日」となったが、もう平成も21年、早いものである。
こうして昭和を振り返ると、「戦争と平和」の時代であったことを思い知らされる。
自分の世代は戦後の復興、団塊の世代の後の、「三丁目の夕日」の時代を少年期に体験した世代であるが、発射台が低い分だけ右肩上がりで将来に対して希望の光を感じられる時代感覚を当たり前のように有しておった。
その後世は大きな経済成長、技術革新を遂げ、様々な盛衰を大小繰り返して現在の世界同時不況の時を迎えているが、こうして見ると昭和は前半の暗く厳しい戦争時代を乗り越え、豊かさに向かう過程において日本人が凄まじいエネルギーで勤勉さや創造性を発揮した或る意味豊かな時代でもあったものと思われる。
今こうして齢を重ね、それなりの経験もしてきたものとしては、あれこれ昭和の明暗をゆっくりと振り返ってみたいという気持ちが静かに湧いている。
世論調査でもあったが、我が昭和のヒーローは、やはり少年時代に強い憧れ抱いた長嶋茂雄と大鵬かなあ。昭和の事件では、府中の三億円強奪事件が、まだ強烈な印象を残している。
さて、写真は2年前に青春18きっぷを利用して訪れた東京都下・青梅(おうめ)の街の様子。
「昭和」の匂いをあちこちに漂わせ、映画の看板一つ一つに思い出を甦らせる何とも懐かしい街である。
赤塚不二夫氏、まだご存命の頃であった。
モンローの映画、「お熱いのがお好き」の看板。
英文の原タイトルから良くこのような絶妙な日本語タイトルを付けられたものだ、と感心。
昭和の時代の言語感覚、うまい、何ともお見事。
青梅の映画看板の写真は、こちらをどうぞ。
本日は天気晴朗なり。
久しぶりにヤンキースが勝った試合を見た後、お出かけでもしようかと行き先を考えていたところ。
休日でいつも宿題攻めされている中三の娘、今日は珍しく宿題もないというので、一緒に上野博物館に阿修羅の仏像でも見に行こうかと誘ったところ、アッサリと振られてしまった。(苦笑)
<「戦争を知らない子供たち」を知らない子供たち>、である我が娘、大きくなってくるとなかなか親父には付き合ってくれないのが哀しい。
時に、世代感覚を共有し得ない遠い宇宙人のような存在に思えて来る、しょうがないなぁ。(ぼやき)
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クレーン横転@麹町
http://ptaro2009q.exblog.jp/11328550/
2009-04-15T00:42:00+09:00
2009-04-15T23:06:42+09:00
2009-04-15T00:22:06+09:00
ptaro2009q
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これまで続けてきた<さくらレポート>は休止、いや、もう終えるべきであろうか。
本日も朝は千鳥が淵を歩いてきたが、もうすっかりピンク色は失せた。
お堀に浮かんだ桜の花びらもピンクではなく茶色に萎んで、桜の季節の終焉を思わせた。
午前11時過ぎ。
当然ながらオフィスで仕事をしていたのだが、上空にヘリコプターの音がうるさい。
最近も近くの市ヶ谷・防衛省で入省したての若者が飛び降り自殺をした時に、ヘリコプターが長いこと旋回していたことを思い出し、また事件か、と胸さわぐ。
ヘリコプターの音は次第に大きく、更に重なりあうようになり、喧しくて仕事どころではない。
窓から見上げると、何と見える限りでも計5台のヘリが輪を描くように一定の距離を互いに保ちながら旋回しているではないか。どうもただ事ではないようだ。
地上では、サイレンの音なども時に行き交う。
同僚の誰かが早速携帯サイトでニュースをチェック。
どうやら近くの麹町の道路で工事現場のクレーンが横転したとのことで、意識不明者も出たとのこと。
また、幹線道路である新宿通りを塞いで、交通もパニックになっているらしい。
午後1時。
午前の仕事を終え、次のミーティングまであと30分ほど時間があったので、気分転換を兼ね表に出ることにした。
考えてもいなかったのだが、まだ飛んでいるヘリの音につられて、ほぼ無意識に事故現場であろう方向に足が向かってしまったのであった。
皇居・半蔵門から新宿へ抜ける「新宿通り」を四ツ谷駅側から撮影。
既に気分は 「事件記者」なり。
御覧の通り、日頃は多くの交通量を誇る幹線道路であるが、通行止めとなっており、事態の異常さを想像させられた。
現場は一般人は通行止めであるが、事件から2時間ほど経過後でも見物人は絶えず、何重もの人垣が出来ていた。
いや、日頃赤坂方面への抜け道として、また、夜は鮨屋などに寄るため、徘徊の頻度の高い場所でもあり、良く知った近場でこのような恐ろしい事故が起きたこと自体、とても信じられぬ心持ちであった。
おちおち外も恐ろしくて歩けないな、と思う一方、足の向くまま気の向くまま、時には説明の出来ぬところを街歩きと称してぶらぶら歩くことにも結構な危険が付きまとうか、との自戒の念も抱く。
クレーンが倒れた現場なのだが、そのクレーンを立ち上げようとするクレーンそのものが不安定でとても恐ろしく見えた~。 報道陣の姿も数多く見られた。
TVの著名レポーターやアナウンサーなどお目にかかれるか、などとケシカランことを考えたりもする。
また街頭インタヴュー用のマイクとレコーダーを抱えたスタッフなどもうろうろしていた。
尋ねられたら何と言おうか、などとこれまた不埒なことを考えたりもする。
火事と喧嘩は江戸の華、と言われたものだが、野次馬の多さには驚かされた。
いや勿論皆驚いて見に来ているだけなのであろうが、日常的に見ているクレーンにこのような脆さ・恐ろしさを見せ付けられると、日頃の安全感覚が揺らいでくることと震撼しているに違いない。
余り興味本位に見てくれるなよ、という感じで突然大粒の雨が降り始めた。
それまで立ち止まっていた野次馬さん達、一斉に蜘蛛の子を散らすようにオフィスに戻り始めたようだ。
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さくらレポート Part-6 サクラでサクラ
http://ptaro2009q.exblog.jp/11256562/
2009-04-05T11:30:00+09:00
2009-04-05T11:47:43+09:00
2009-04-05T10:37:40+09:00
ptaro2009q
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やっと週末が来た。
嫁さんと娘は早朝から慌しく、9時過ぎには外出。
残されたお父さん(私)もあれこれ外で用事を済まし、11時過ぎにマウンテンバイクに乗り、改めて外出。
都会の桜も良いが、田舎の桜でも見ようか、ということで久しぶりに近くの新川から印旛沼に抜けるサイクリングロードを走ることにしたのである。
北朝鮮のテポドン発射が予想され緊迫した日ではあるが、何とも平和ボケ丸出しである。
新川の住宅地周辺部には市民が植えた桜の苗木が年々成長し現在桃色の花を付けていた。
植えた人の当時のメッセージが木に絡めつけられており、それらを目にすると少々熱い思いになる。
あと10年、20年すると相当立派な桜並木となることだろうと、楽しみである。
その後暫く走ると、桜並木の筈が下の写真の通り、もう青々と茂った木々がとめどもなく続く。
初めは別の種類の木かとも思ったが、やはり桜並木なのだ。
花は跡形も無く消え、みごとに葉が茂っている。
此処だけは5月、6月の状態のようにさえ見えた。
いつ桜が咲き「、いつ散ったのであろうか。随分の早業じゃないか。
千葉県はそんなに早くから温暖だったのか、と不思議な感覚を持つ。
サイクリングロードを走り続けて40分ほどして、やっとまともな桜並木が見えてきた。
やはり千葉県の気候、そんなに異常ではなかったと安心する。
むしろ東京よりは少し開花状況は遅れているくらいに思えた。
My Bikeと桜の記念写真。
日頃雨がふってもそのまま屋外に放置しておいたので、ハンドルなどにもさびが出始めている。
大事にしなければ、と思う一方、新しいロード用の速いバイクが欲しいな、なんて浮気な思いもちらちらあるのである。
一時間弱走り、取り敢えずの目的地・佐倉ふるさと公園の風車小屋に到着。
本日のエントリー <サクラでサクラ>は、何を隠そう、「佐倉で桜」、という超古典的な駄ジャレだったのだ...(ツマランね !)
佐倉ふるさと公園、ただいまチューリップ祭り開催中。
車で駆けつける見物客でそこそこの賑わいであった。
チューリップの開花状況はまだ咲き始め、ということでピークはもう少し先になりそうだ。
此処で鼻の下を伸ばしながら(笑)チューリップの花でもゆっくり鑑賞する時間があれば良いのであるが、それも許されぬ状況があり、京成佐倉駅近くに急ぐ。
本日は、当地近辺のホールにて娘が習っているピアノの発表会がこれからあるのであった。
現在娘はバレエに週4日通い、嘗てのようにピアノに割く時間も少なくはなってきたようだ。
しかし、優れた音感を持つことはバレエにとっても有用と、親としても応援しているところである。
限られた練習量の割には、モーツアルトのトルコ行進曲という結構難しい曲を弾くことになったようであった。
有名曲だけに少々プレッシャーもあるか、とも想像されたが、まあ本番でも頑張ってもらって何よりであった。
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丸の内・行幸通り地下
http://ptaro2009q.exblog.jp/10936957/
2009-02-21T18:43:00+09:00
2009-02-21T19:11:37+09:00
2009-02-21T17:23:19+09:00
ptaro2009q
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待ち合わせは、丸ビルのロビー。
ロビーには大きな白骨標本がある恐竜展のPRコーナー, また、前回参加チームのサインボールなどが展示されているWBCコーナーが設置されており、賑わっていた。人待ちをしていることも気にならない。
写真は、東京メトロ・地下鉄東京駅を降り、丸ビルの地下階に向かう途中の行幸通りの地下部分。
行幸通りとは、レンガの東京駅中央口から皇居・内堀通りへ向かう道路で、幅は70メートル以上もある。
天皇家が東京駅から皇居へ帰宅(?)する際に車や馬車が走る由緒ある通りであるが、写真部分はそのちょうど地下にあたる。
このような静かな通路があるとは気が付かなかった。
混雑の東京駅や隣接の丸ビル、新丸ビルの賑わいとは対照的な静けさが悪くないと思い、撮影。
モノトーン調、シンメトリーの構図は、行幸通りの品位に相応しい。
また、東京での地下の建築技術の優秀さをも垣間見る。(これだけ地下空間が至るところで発達している大都市は世界そうあるものではなかろう。)
通路両側には嘗ての行幸通り沿いの建物やその内装などを紹介する写真や資料が並べられており、こちらも興味深そうだ。また、ゆっくりと見に来よう。
外資系大手投信会社に勤務しているN氏、昨秋以来の市場の崩壊に表情も険しい。
兎に角これだけ株価も落ち景気先行きも不透明な中、投信を買う個人投資家も極端に減り、商売上がったりのようだ。
社内での経費節減に留まらず、このままだと業界の同業者数も激減することが懸念されるとのたまっておられたが、まさに同感であった。
それでも、我が世代は昭和の高度成長も体感、また平成バブルも経験しており、良き繁栄の時代も十分享受できた身分であり、若い世代に比べればまだまだ幸せか、なんて話も。
確かに、お昼には1,500円のランチを食べ、そのあと500円のコーヒー飲み、なんていうお金の使い方を毎日していても何とも不思議ではなかったような時代が何年も続いておったね、などと懐かしんだ次第。
子供の教育費やら老後の備えのためには、昼食に幾ら使うかヒーヒー悩んでいる現状を鑑みると、信じられない時代を経験したものだ、と二人でお互い顔を見合わせ、苦笑いしたたわけである。
そんなことで話も暗い話から徐々に陽気さを取り戻し盛り上がって、帰宅は1時半なり。
ビール一杯が適量の自分にとっては飲みすぎだったのか、今朝は早朝から頭痛がひどく、珍しく朝も起きられぬ重症であった。
結局朝ごはんにありついたのが午後2時過ぎ。
まっとうならぬ体調、という点では、某大臣のアノ時もこんな感じだったのであろうか、とツマラヌ想像をしてみたりした。
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Inauguration Day
http://ptaro2009q.exblog.jp/10678403/
2009-01-21T23:25:00+09:00
2009-01-24T09:20:12+09:00
2009-01-21T22:42:06+09:00
ptaro2009q
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その時刻の日本でのTV視聴率は何と5.9%の高率だったという。
オバマ氏への人気と関心は日本でも相当高かったのだと思い知る。
会社の部下でも、NY帰りの女性がやはりうとうとしながらも演説の19分間釘付けになったという。
幾ら後で録画で見れても、同じ時間に生で見ることに価値ありと思う人は何処でも多いのだろう。
朝の通勤列車の中でiPhoneでネットサーフ。
いつも愛読している識者のブログに就任式・就任演説に関する感想などが早速書かれており、いつもながらに感心、実に面白かった。
いずれの筆者も長き大統領選開始前からの選挙ウォッチャーでずっとオバマ氏を追っており、本日の就任式は或る意味、「大団円」と言っても良いエベント、深夜でも当然見るべきもの、と考えられていたのに違いない。
観察眼の鋭さ、情報分析力、情報収集力には脱帽である。
かんべえの不規則発言
伊藤洋一 Day by Day
株式市場のほうはオバマ氏の演説が終わった段階で下げ幅拡大、NYダウは4%の大幅下落で8,000ドルを割った。大統領就任日の下げ幅としては史上最大であったという。
米国では、「ご祝儀相場」、というのはないのかしらん。
この下げは当然オバマ氏に絡むものではなく、金融機関の決算に起因する経済的懸念の再燃によるものであるが、祝賀の日にも何とも現実は厳しいものであった。
さて、この写真であるが、写真投稿サイトFlickrで2ヶ月前に見つけたもの。(撮影者さん、無断転載お許しを!)
御覧の通り、オバマ氏のポートレイトが飾られているところを写したものである。
これらの絵は、一体売り物だったのであろうか?
(それにしても、一番右のオバマ氏、少々麻生某氏に似ていなくもないな。)
この日のために、偶々見つけたこの写真をわざわざ保存していたのである。(笑)
これだけであればこの写真、そう特段に面白いものでもなかったのだが、実はこの写真の撮影現場はアメリカではなく、日本、あの小浜市であることが実はオチであった。
小浜市にはこのようなオバマグッズが溢れているのであろうか、流石というべきか。
一度その小浜市、(初めは失礼ながらその安易さをバカにしていたが)、オバマ当選後一体どのようなことになっているのか一度訪れてみたいものだ、と本気で思ったものである。(笑)
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