|
カテゴリ
全体
Round The World Washington D.C. Tokyo Walking New Zealand Architecture Singapore U.S. Drive New York Excursion Indonesia Mountain Germany Thailand Malaysia Weblog Seattle People Sports Music MLB Nara Book Trip Bali Art SAKABA Hokkaido Rakugaki Art Tokyo's River Tokyo's Bridge ライフログ
最新のコメント
お気に入りブログ
以前の記事
MY姉妹サイト
Ojsn Photo Studio Tokyo Walking Walking in Cities 検索
タグ
New York
青春18きっぷ
群馬
房総
信州
家族
HDR
Indonesia
ハイキング
建物
街歩き
古い町並み
Thailand
東京
New Zealand
登山
桜
Malaysia
Singapore
ぶらり途中下車
ファン
|
時間の問題かと思われていたが、新型インフルエンザ、遂に関東上陸。
川崎、八王子、と複数の箇所で感染が確認されたそうだ。 今週は、日常業務繁忙に加え、月曜日朝から取引先より、どのような対策を講じているか、社内体制やBCP(Business Continuity Plan)の有無など、やたら問い合わせも増えてきていた。 慌ててマスクなどをアスクルで注文しようとしたが、在庫がないようだ。 街の薬局でも状況は同じ。大口で買い占めているところも結構あるのであろうが、何だか石油ショックのトイレットペーパー騒動を思い出してしまった。 海外では、「パンデミック」とは言いながら、新型Swine Fluを一般のインフルエンザとそう区別している様子もない。 やはり日本は少々過剰反応、食の安全やら衛生問題には世界一ウルサイ国民なのではなかろうか。 それにしても、感染の多くは高校生中心に若い人。 オジサンオバサン世代には既に免疫がある、という説も聞く。 安心して良いのであろうか。 さて、仕事のほうもかなり忙しく、早朝から深夜まで気が抜けぬ日々が続いている。 まだまだ前半がやっと終わろうか、というところだが、これからが大変な時期となる。 いやな時にインフルエンザが流行っているが、従業員が罹ると大変厳しい状況となるだけに、何とか切り抜けられることを祈るしかない。 時間が何倍速にも速く過ぎ去るが、そういう時に限って時間が止まる場所を思い出したくなる。 繁忙期を過ぎると赤道直下の南国へ骨休めに行くのがここ4,5年のならいであるが、今年はまだ色々とプロジェクトなども抱えており見通しが立たない。 バーチャルに南国に思いを馳せようか、とiPodに入れているバリの写真でもご紹介しようかという気になった。2006年12月撮影、とちょっと古い。 宿泊したConrad Hotelあたりの写真、そして、最後はバリ島中央部ウブド近くの棚田である。 棚田は英語でRice Terraceというそうだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() バリの写真を並べて癒される、かとも期待していたのだが、実際には、バリ旅行の最後に患った腹痛のときの苦しさを思い出してしまった。 何かの食べ物に当たったのであろうか、最後の2日は殆どホテルで体をくの字にして苦しんでおった。 いや、余裕のない時は、楽しいところを思い出そうとしても、その内容はどうも前向きではないようだ。
前掲キンタマーニ高原ツアーにて、一箇所、寺院に寄ってもらうように、ツアーのガイドおじさんに無理矢理お願いし、訪問したのが、<聖なる泉の寺>と呼ばれるティルタ・エンプル。
森の中に佇むひっそりとしたこの寺院は、訪問前に幾つかのバリ寺院の写真を見て、最も強い印象を持った寺院であった。 イスラム教国インドネシアにあって唯一ヒンズー教のこのバリでは、多くのヒンズー寺院がある。バリ6大寺院といって、他にも美しい、特徴ある寺院があるのだが、今回訪問した寺院としては此処が唯一のところとなった。 ![]() 何と言う神秘的な青だろう。エメラルド色とでもいう色か。 現在は沐浴は禁止であるとも聞くが、女性が二人、いや、女性と言うよりは少女のようであったが、沐浴中であった。 全く恥じる様子もなく、ただひたすら沐浴に集中している。 強い信仰心の裏付けがあるのであろう、周囲の観光客なども眼に入らないのだろうか。 自分を含め観光客はこの沐浴中の少女の写真をパチリパチリと撮るが、どうも敬虔なるものを侵す極めて無神経な存在にも思えるくらいであった。 ![]() 呑気な無宗教観光客としては、何となく罪悪感さえ感じながら、足早に撮影をしながらその場を去るしかなかった。
バリ到着後の翌日はホテルで多くの時間を過ごしたが、その次の日はHISのガイドおじさんよりどこかのツアーに参加しないか、と誘われており、素直に応じることにした。
幾つかの候補地があったが、行き先は、キンタマーニ高原!! あまり大きな声で口に出すのは正直はばかれる地名であるが、高原リゾートの大パノラマ、というコピーと、やはり地名のインパクトの強さに惹かれて、吸い込まれるように決めた。 名前どおり、此処はバリ観光の「急所」か?! (笑) (12月21日)朝九時にホテルを出る。 ホテルのあるヌサ・ドゥア地区はバリ島の南端にあるが、そこをずっと北上し約2時間半ほどで到着する。途中、車中からは、作業場を兼ねた木彫の店、石彫の店、日本でもお馴染みのバリ風家具の店、そして、棚田や、独特の建築様式が目を引く寺院など、実に興味深い対象が次から次に姿を現し、アート心に溢れたバリを強く印象付ける。その度に車を停めて貰い、ゆっくりと一箇所一箇所見学したい心持であった。 さて、最後は山道を上下しながら、キンタマーニ高原を見渡す展望台レストランに到着。 確かに、一大パノラマである。見晴台から眺めるその姿は、バリの水源バトゥール湖を中心に、西にバトゥール山、東にアバン山がそびえる。その構図からは、かつて訪問した信州は車山高原から八ヶ岳連峰や白樺湖を見下ろす景観を想起させた。 ![]() 2枚を繋げたパノラマ写真でお見せできないのが残念である。 ![]() 日本ならこれだけの景勝地がそのままで手付かずで居られる筈もない。当然湖畔にはホテルや温泉旅館等の観光施設が軒並みひしめき、混雑の極みとなる。また、土地を無残に削ってゴルフ場だ、テーマパークだと、開発と言う名の自然破壊も横行。 しかし、全く此処キンタマーニ高原は驚くほどひっそりとしている。 聞いてみると、観光施設がない、という事実以前に、村の人家には、電気も水道も敷かれて居ない生活が続いているという。この時代に、電気も水道もない生活などは途上国でも少なくなって来ていることと思われるので、もう驚くしかない。 恐らくは、開発が遅れているのではなく、むしろ開発を強く拒む強い意志、恐らくは「信心深さ」のようなものが強く村人の伝統として残っているのではないか、と想像した。 独自の風習や宗教を持ち続ける村人達を包み込むこのキンタマーニ高原の大自然に、得体の知れぬ神秘を感じた。その謎は湖畔や村中を見れば何か掴めるのかとも期待したのだったが、ツアーのガイドおじさんは、食事後、我々家族を湖畔に案内することもなくそのまま帰路に向かったのであった...。
新年早々の第一週目の木・金には、米国本社と計3時間近くの電話会議があった。
相手の顔も見えない電話会議、それも英語、というのは、なかなか辛いのもであり、正月休みで得た英気も緊張とストレスでいとも簡単に吹っ飛んでしまった(苦笑)! 来週末には、米国に飛び、社内の国際会議に参加することになっており、これまた聊か気が重い。 英語を母国語としない国の民にとって、敵地の土俵(言語)で相撲を取らなければならないのはやはり非常に不自由である。日本語が世界の共通語であれば、どんなに良いか、等と時々ボヤクこともあるのだが...。(いや、日本語でさえ、最近の自分は随分不自由になってきたたように思われるのだが...。) バリ島に来て驚いたことのひとつに「日本語の浸透度の高さ」がある。 最初に出迎えてくれた旅行会社HISの現地人ガイドのおじさんは随分流暢に日本語を話していた。 決まりきった旅程の説明程度、毎日話していることだけは流暢に喋れるのだろう、と思っていたのだが、2日後のオプショナル・ツアーに半日付き合ってもらい、彼のガイドの説明で随分広い語彙を持っていることを知り、驚いた。 彼の日本語を褒めると、「イヤ、ニホンゴハ、ソンケイゴ、ケンジョウゴ、テイネイナイイカタ、ジョシノツカイカタ、ミナ ムズカシイデスネ....」と言って来る。いや、これは一本取られた! タクシーの運転手なども、何処から来たかを英語で先ず尋ね(時々、台湾人に間違えられたりもした)、「日本から」と言うと、運転手は皆、日本語で話しかけてくる。 面白いことに、以下のような科白がどの運転手からもハンを押したように出てくる。 「トウキョウカラカ?」 「バリハ、ハジメテ?」 「ナンニチイル?」 「アシタノヨテイハ、アルカ?」、「アシタドコイク?」 「クルマノテハイ、シタカ?」 どの運転手も、或る程度以上の日本語の会話が出来ることには、驚いた。 生きるためには、日本語は必須の商売道具となっているようだ。 (静かに車に乗っていたいのに、続けて話しかけられ辟易する場面もあったが...。) 日系人が生活している地域以外では、これだけ日本語が浸透している地域は世界広しといえども、バリが随一ではないかと思えるほどだ。まあ、それだけ日本人観光客が如何にバリに絶大なる経済効果を与えているかを知ることが出来る。 恐らくは、バリでは日本語がどれだけ出来るかによって、どれだけ付加価値の高い仕事、給料の高い仕事に就けるかが決定されるのであろう。 或るタクシー運転手は、「英語はTVや新聞など、触れる機会が多いので、自然に習得出来るが、日本語はその機会が少ない。タクシーに日本のお客さんが乗ってきたときには、出来るだけ話をして練習するようにしている。」と言っていた。また、語学としての日本語の難しさを嘆く人も少なからず居た。(全く、同感である。) 日本も単に経済援助だけではなく、本格的に語学研修の施設建設や人的交流に支援をすべき状況があるようだ。 それにしても、自分の母国語が海外でも機軸言語として機能している状況は、いつも英語で苦労している身だけに、丁度裏返しの心地よさ、若干の優越感と安心感とでもいうべきもの、を感じさせてくれる。また現地人が、日本語を喋っているようだが、発音や意味が良く判らないことも結構あったが、これは我々の英語が米国人から見た場合に、やはり良くある状況なのではないかと思い、思わず苦笑いしたりした。 コミュニケーションというのは、話し手側の判らせようという意思や努力と、聞く側の理解しようという態度との歩み寄りから成り立つものであることをつくづく感じた次第である。 それにしても、バリは日本人にとっては、言葉に関して言えば想像以上に便利な島であった。 ![]() 「コレ、シェンエン(千円)、ヤスイヨ!」、「3コ、ゴヒャクエンネ!」 どうもこういうのは、正直なところ、あまり耳障りは宜しくない。
今回のバリ行きは、実は当初望んだ旅の目的地というわけではなかった。
シンガポール経由で、再びマレーシア東岸の島に行き、娘に美しい海と魚を見せたい、嫁さんにはシンガポールのフラトンホテルで経験したサンデー・シャンパン・ブランチを味わってもらいたい、と考えていた。しかし、クリスマス前のシンガポールやバンコク、クアラルンプール、更には香港行きの便はどれも皆殆んど予約で一杯。 偶々同じ東南アジアでは、バリだけが、際立って予約が入らない状況のようだった。 値段も気のせいか割安だということで、聊か消極的に決めた訪問地だったのだ。 熱狂的なバリ・フリークの皆さんからはお叱り、或いは、嘲笑の対象となるような動機である。 やはり2002年10月のテロに続いて起きた、この10月のテロの後遺症たることは明かだ。 現地でお世話になったHISのガイドさんによると、HIS社だけで日本からの観光客は通常月には4,000人ほどがバリに来ているのだが、12月は僅か1,300人のみであるとのこと。 一日平均にすると、50人にも及ばないとは、随分バリも嫌われたものだ。 本来掻き入れ時に大幅な落ちこみで、現地の関係者も相当悩みは深刻のようだ。 最新のテロ事件で、バリにはこうした事件が度々起きる構造的な背景がある、という固定観念を多くの日本人は持ちがちである。何を隠そう、この自分も、10月のテロ報道に接した時には、決してバリには近づくまい、と思っていた一人だったのだ。 今回の旅は、両親や多くの知人、会社関係者には黙って行くことになった。言ったところで、「危ないところに行くんだね」と言われるのが関の山である。 現地の方何人かに話しを聞くと、10月のテロは規模も小さく、一方報道の方は実態以上にかなり大きく取り上げられたので、ネガティブなイメージがより大きなものとして世界に根付いてしまっている、という意見が多かった。 日本からの観光客への依存度が経済繁栄においてはかなり高い、と思われるバリ。 一方、情報に皆画一的に反応してしまう日本人。 現地の関係者には同情を禁じえないが、何とか安全なバリをアピールして、活力を戻してもらいたいものである。 ![]() 事件が起きた場所とは知らずに、のん気に歩いていたのだが、後で知らされて驚いた。
バリの島は東京都の2.5倍の大きさだという。
今回の旅ではそう島のあちこちを動き回る時間も気力も体力もなかったが、農村部を車で走りぬける際には、やはり昔の田舎に見た何気ない風景に重なるものが幾つもあった。 特に、ノラ犬が道路をうろうろしている光景が印象的。 皆当然雑種犬だが、意外にもやせ細って可哀想、という犬は殆んどいなかった。 どこかで食料を得ているのであろうか。動きが全般にやや緩慢なのは、やはり南国の暑さのせいか、と思わずにやつく。 それにしても、自分が子供の頃には日本にもこのようにノラ犬が街中に随分いたものだ。 子供の頃には、犬がうろついていたのが怖く、現在でも犬は苦手である。いつ吠えられ、追い立てられるかビクビクしていた幼少時の原体験がふと甦る。(わしゃ、オバQか?!) また家の軒先にニワトリが放し飼いになっているのどかな光景も、懐かしかった。 現代日本の管理されたロボットのようなニワトリではない、野生にも近いニワトリだ。 まだ日本の静かな農村などでは、同じ光景が残っているのであろうか。 そして、時には牛にも遭遇する。大人しい、飼い慣らされた牛なのか。 椰子の木を背に、牧草(雑草?)をひたすらむさぼり続ける牛。面白い絵だ! 運転手さんに車を停めて貰って、写真を撮った。実に、バリ的。 ![]() やはり、これら昭和30年代ののどかな日本にどこか似ている。 心の隅っこで眠っていた小さな過去の記憶と郷愁が、バリで甦った。
前掲Bali-10にて、バイクが走るバリの光景を日本の昭和30年代のそれに重ね合わせたが、もうひとつ昭和30年代を想起させた一風景をご紹介。
食事中に付き纏うハエ、である。 ハエ、と言っても、もう今時の若い方にはもう殆んど無縁になって来ているのではないかと思うが、オジサンが子供の頃、そう昭和30年代には、食卓にハエは付きものであった。 食べ物に群がろうとするハエ、追い払おうとする人との攻防。 現代での、ゴミに群がる都会のカラスと人の攻防に似て、なかなか厄介なものであった。 (概ね、これらの戦い、人間の智恵よりハエやカラスの狡さ、しつこさが上回る。生存への強い意志ゆえのことなのだろう。) バリでも5つ星ホテルと評されるコンラッドのレストランでも、このハエ君は逞しく棲息しておる。基本的には、こうしたレストランは屋内でも閉めきることなくオープンであり、食べ物の匂いあるところにはいつしか敏速にハエが集う。素晴らしき料理やフルーツ、デザートが数々と並ぶ朝食の食卓は格好のターゲットとなる。食べ物の至る所に無遠慮に着地し、やがて手をする、足をする。 追い払っても一時のことで、すぐにまたやって来る。 娘があまりにしつこいハエに最後には音をあげ、「このお肉とオムレツは君にあげるよ!」と言っていたのが笑えた。 朝食はツアー代金に含まれるし、他に行くにも何処も遠いので、4日間とも同じホテルのレストランで食べたのだが、このハエ諸君ゆえに、もう3,4日目になると、もう食事は最小限でイイや、という気分になり早々と引き揚げる羽目に。完敗です!(やはり、人間は諦めるのが早い!) しかし、まあ、考えてみると昔はいつもこんなのだったナア。 どの家の中にも、ハエたたきや殺虫剤が常備され、また天井からはハエ取りの粘着テープが何本もブラ下がっていた。そう考えると、少し懐かしい気分にもなった。 5ツ星ホテルにハエ、という組み合わせは嬉しいものではないが、厳しいトレーニングを積んだ、と思われる高級ホテルの現地人スタッフ諸君の態度にもあまりハエが居ることに申し訳ない、という顔をしているものはいなかった。(申しわけ程度に香りのついたローソクに火を灯して、ハエ除けにどうぞ、という優しいスタッフが一人居たなあ。) 客としても、この地では、もっと泰然としているべきなのだろうか...。 この程度でナーバスになっては生存できないか? そして、ハエにも負けない昔の日本人は逞しかった....?! まあともかく、バリの高級ホテルに昭和30年代を見た。 (どうも汚い話で、ゴメンナサイ!) ![]()
バリ島での正味4日間、幾つかのバリの側面を見たが、初めてのバリの旅で最も印象に残ったのが、「オートバイ」。おびただしい数のオートバイが島中を走っているのだ。
私にとっての今回のバリは、「癒しのバリ」でも「魅惑のバリ」でも、「アートのバリ」でもない。 「オートバイのバリ」、なのである。 ![]() 宿泊先のコンラッド・バリがあるヌサ・ドゥア地区は、観光客と許可を得た地元民のみが入場出来る「特別区」だというのだが、実際は、どうも自由に地元民がオートバイで往来している。 元々は貧農の地に無理矢理、大ホテルを切り開いた土地、というような印象もなくはないが、いずれにせよ話とは異なり全く誰でも出入り自由のようだ。「特別区」とはとても思えない。 ![]() 時に群を成してやってくる様、道路を占拠し疾走する様は、蜂の軍団を想起させる。 <♪ブン、ブン、ブン、蜂が飛ぶー♪> の、あの蜂である。 概ね125cc程度の軽量クラスのバイクで、如何にも重量級のバイクは殆ど目にすることはない。スズキ、カワサキ、ホンダ、ヤマハ、といった日本のメーカーは実に現地には浸透しているようだ。特に、スズキは価格面でも安く、最もシェアが高いそうだ。(頑張ってるなァ~!) こうした形で日本企業が海外民の生活に密着し、貢献しているのを実感するのはとても嬉しいことである。 どうも聞いてみると、このバリ島には公共の交通機関は皆無、すなわち、鉄道もバスもないのである。そして、東南アジア諸国ではいずれもそうであろうが、自動車の価格は異常に高い。自転車だと距離が長い場合には大変だし、そもそも暑すぎて体力が持たない。選択肢として、バイクが異常な人気となるのも尤ものことであろう。 ![]() 信号待ちの時には、バイクが皆前に出てきて、信号が青に変わった際には一斉にスタートを切る様子などは、モトクロスのスタートの様子を想起させ、思わず笑ってしまう。 下の写真は、信号待ちのタクシーの中から撮影。珍しく、縦一列で信号待ちしている。 ![]() ![]() 高度成長を目の前にして、本格的なモータライゼーションを目の前にしての、日本の都市に軽のバイクが数多く走っている光景があった。バリのこのバイク風景には、或る意味での、(夜明け前の、)<人間的な活力>、とでもいうようなものを感じさせる。 一方、経済的には聊か成熟には遠い状況(或いは、成熟することを拒否しているのか?)、貧困の構造、が表裏一体になっているのではという感情を拭い切れない。 時の流れがゆったりとしたこのバリ島にも、10年後、20年後、この光景はそのまま残っているのであろうか、何だか微笑ましき甘い味と、そして、ちょっぴり苦い味がする。
二年越しとなってしまったが、バリ島での写真集 Part-2 をご紹介。
Bali-8でご紹介したアルバムPart-1はホテル篇だったので、今回のPart-2はホテル以外の場所でのショットを掲載した。解説を含めて、幾つかの思い出はこれからぼちぼちと書いていこうと思っている。 多面的な顔を持つバリの、幾つを一体見てこれたのであろうか。 実は、途中で下痢に襲われ、4日間の行程のうち、1日半ほどはホテルでうずくまっておった。 予定していたものを充分見切れなかったことには悔いが残るが、これもまた旅、ということなのだろう。
Conrad Bali (2)
![]() まだ、カメラの使い勝手を充分承知していない上に、構図の悪いものも多いが、そこはご愛嬌でお許しを。 一方、カメラのお陰でそれなりの出来栄えの写真もあるか?! ホテルそのものも勿論であるが、庭の美しさ、調度品やホテル各地に見られる様々なオブジェ、草花、もう何もかもアートしている。写真撮影のインセンティブに溢れている。足を運び眼に入るものが、心地よく五官を刺激する。 もうこれ以上の駄文の説明も不要であろう。 < 前のページ次のページ >
|