多分駄文のオジサン旅日記:Excursion
2017-03-12T10:04:38+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
Excite Blog
春近し、MTBに乗って地元の千本桜を観る
http://ptaro2009q.exblog.jp/26493731/
2017-03-11T21:46:00+09:00
2017-03-12T10:04:38+09:00
2017-03-11T22:33:43+09:00
ptaro2009q
Excursion
本格的なロードサイクルにしようかとも迷ったが、お手軽なMTBで行くことにした。
黒のフレーム、15段変速。
購入後すぐに地元Y市を流れる新川へ向かう。
川沿いには長距離サイクリングロードがあり、当地では週末に千本桜祭りが開催されるとの情報を得ておった。
新川到着、いや噂に違わぬ、確かに見事な桜並木が続いている。
伊豆や三浦半島など温暖な地方で見られる所謂「河津桜」、早咲き種の桜だが、今やほぼ満開、いや、葉も出かかっているのでピークも過ぎた頃とも思えるが、自分が気付かぬうちに季節のページは思ったよりも先に進んでいたようだ。
早咲き桜、特徴は桃色の花。
本場の河津桜はもっと派手などピンク色だが、こちらはそれよりは少々重ための色なり。
ペダルを踏み更に印旛沼方向へ進む。
延々と桜並木は続いていた。
千本とまでは行かぬものの、700本ほどの桜木だと。
一部の桜には平成6年から10年辺りに記念植栽されたことを示す札が立っていた。
20年前後でこれほど立派に成長するものかと感心した。
ちょうどこの地に越して20年となるが、時の流れの速さに感慨抱く。
嘗て何回かこのサイクリングロードを通ったことがあり。
S市方面ではソメイヨシノの並木があって桜のトンネルを頭を下げながら自転車で進んだ記憶があったのだが、それよりも下流にあるY市のこの河津桜の長い並木は不思議なことに記憶がなかった。
恐らくは当地通行の際には完全に花を散らし緑の葉を出していた頃ゆえに桜木であることを認識できなかったのだろう。
それにしても、思いも寄らない季節の移り変わり、桜並木の成長度と美しさにココロも和らぐ。
お久しぶりのサイクリング、これからも繰り返すであろうサイクリングの楽しさにもココロ躍動。
♬ サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー、である。(古いッ!)
山登りと同じく火器と食料をリュックに入れ、このサイクリングロードを走り、終点ではオランダ風車を見ながら火を使ってクッキング、お昼を取ったら楽しいだろうなぁ〜!(*^^*)
行くたびにメニューは変えたりして。
MTBがもたらした気付き、ココロの中にも少し春が来た。
↑ 桜の季節のあと、この地は色とりどりのチューリップが絨毯のように敷き詰められる。楽しみだ。
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2016 青春18きっぷの旅 (1)吾妻線 Part-1 川原湯温泉 その2
http://ptaro2009q.exblog.jp/25859326/
2016-07-31T15:17:00+09:00
2016-08-01T13:39:21+09:00
2016-07-31T15:16:55+09:00
ptaro2009q
Excursion
トンネルを数分歩く。
新しい温泉街、以前のように通りを挟んで旅館が立ち並ぶスタイルではなく、一定の台地に幾つかの区画が設けられ、嘗ての旅館や店舗が散発的に新装開店している。
昨年の訪問時と比べて店舗やその他施設が一気に増加した感じはなく、街並みにはなっていない。
どれだけの観光客が見込めるのか、どれだけの追加投資をすべきなのか、地元関係者も慎重になっているのであろうか。
逆に見れば、人を呼び込むような新規の魅力的なアイテムは特に見られなかった。
ダムが完成し、水が溜まり、周辺の景観がすっかり変わるまでは、余り大きな変化は見られぬか。
新しい旅館のほうは、離れの部屋を複数擁すちょいとオサレな旅館など、お値段次第では一度泊まってみたいものも見られたが、草津温泉をはじめとして沿線には協力なライバルが多く、差別化を明確にすべきであろう。
当地で最もシンボリック、来れば必ず行くべきところは、「王湯」なり。
500円で当地の湯に浸かることが出来る。
今回も寄ったが、週末の割りには客も少なく、ゆっくり緑に囲まれた露天風呂を楽しむことが出来た。
炎天下に大汗かいて歩き回った身には、何とも嬉しいお湯なり。
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2016 青春18きっぷの旅 (1)吾妻線 Part-1 川原湯温泉 その1
http://ptaro2009q.exblog.jp/25859285/
2016-07-31T14:59:00+09:00
2016-07-31T15:24:41+09:00
2016-07-31T14:59:17+09:00
ptaro2009q
Excursion
例年なら、すぐにその週末には第1回目に出掛けるので、本来であれば先週末の23日が我が第1回目の旅の筈だったのであるが、どうもその日は体力気力芳しくなく、早朝から元気よく往復10時間ほども電車に揺られる長旅に「さあ行こう!」という境地には至らなかった。
いや、名実ともに「青春」は遠くなりにけりだな。
第1回目は、群馬県高崎・渋川から西へ向かう吾妻線と決めている。
草津温泉をはじめとして数々の温泉地を沿線に有する吾妻線であるが、お目当ては川原湯温泉。
この地に思い入れがあることは、当ブログでも何度も書いているので細かくは省略するが、ダムの底に沈む温泉街、ということで、数十年消長も決まらず政治に弄ばれてきた温泉街に対する惜しみない同情と哀感を持ってきた。
「コンクリートから人へ」を標榜していた民主党政権がぽしゃり、再び自民党に指揮が戻ってからはダム建設に拍車がかかり、1昨年あたりには温泉街の旅館は殆どが当地での営業をやめ、新たな高台地区に移る動きとなった。
また昨年の訪問時には、旧・川原湯温泉駅は既に廃業、新線が敷かれ、新しい川原湯温泉駅が営業開始していた。
この10年毎年現地の進捗状況を見て来たが、新しい歴史の1ページが開いたことを実感した前回であったが、今年は昨年見たものが夢ではなかったことを確認したいと思った次第。
新しい川原湯温泉駅。
新しく変わっても「かわらゆ(変わらぬ)」というが如し。(お粗末!)
当駅で下車したのは自分を含めて4人ほど。
一人のオジサンはやはり青春きっぷを持っていたようだ。
駅の周囲には驚くほど何もない。
駅からは先ず、新しい温泉街ではなく、廃墟となった旧温泉街へ足を運ぶ。
流石に人の気配は全くなく、灼熱に風だけが通り過ぎて行く。
源頼朝が見つけた隠れ湯、この地のランドマークにもなっていた「王湯」も遂に建物は壊されていた。悲しくもダムに沈む運命、見届けたぞ。
温泉街に向かう途中にあった露天風呂、何度かお世話になったが、こちらも既に廃墟なり。
ダムの底に沈む地ゆえ、建物も壊されたもの、そのまま残されたものも若干残っていたが、草木は生え放題。
時に美しく咲かせた花々がやけに悲しく思えた。
(続く)
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6/26 水郷佐原水生植物園
http://ptaro2009q.exblog.jp/25738609/
2016-06-26T22:42:00+09:00
2016-06-26T22:44:14+09:00
2016-06-26T22:42:57+09:00
ptaro2009q
Excursion
体はボロボロ、目がショボショボ、頭の中はカラカラの態ではあるが、これからゆっくり体力・気力回復していこう。
梅雨の谷間、好天の日曜日嫁さんと小ドライブ、あやめを見に行こうと、水郷佐原へ。
約1時間半のドライブ、大河・利根川の先、辿り着いた植物園は、どうもあやめはピークを大きく過ぎており、紫の花をつけたあやめも極く僅かなり。(入場料は、しっかり取られたわ~!)
「 花は遅かった」という歌が昔あったが、遅くなってごめんね~♪♪
それでも「潮来花嫁さん」の舞台となった美しく情緒的な水の世界に癒された。
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12/19 唐戸市場 (山口県下関市)
http://ptaro2009q.exblog.jp/25109817/
2015-12-27T09:45:00+09:00
2015-12-31T11:41:32+09:00
2015-12-27T09:45:40+09:00
ptaro2009q
Excursion
門司港レトロから遊覧船に乗り僅か数分で九州から本州へ。
九州と本州はこんなに近いとは知らなかった。
関門橋を右手に見ながら到着したのは唐戸市場。
ふぐ(地元では、ふく、と言われる?)の市場として知られているが、その他、タイやハマチの市場としても有名だとか。
大きな倉庫というか体育館のような市場の建物のなかには、小さな店舗が多数犇めきあっている。
獲れたての新鮮な魚貝類、そして奇麗に並べられた寿司に眼は泳ぎココロ踊る。
お値段も当然ながら格安なり。
朝9時半から一斉に販売が開始されたようだ。
一般の客、観光客、外国人団体、と皆店舗に群がり、争って魚や寿司を買っている。
人気店での活気はもの凄いっ!
市場自体が一種の興奮状態に包まれていた。
いや、思わずスイッチが入ってしまったわ~。
まずは、ふぐの刺身(1,000円という格安さ!)をひと皿、缶ビールとともに豪快に流し込む。
玄界灘の厳しい寒水にもまれた新鮮なふぐ、と勝手に想像し、嬉しさに涙を流す。
花びらのように並べられた半透明のふぐひと皿を誰にも邪魔されずに食べる嬉しさ、この唐戸市場でなければそうは体験できまい。
そのあとは、イセエビ入りの味噌椀と、イクラ、穴子、タイなどの寿司を何貫か頂く。
缶ビールは早くも2本目となった。
これを幸せと言わずして何という。
東海林さだおが「うめぇ~」と描いた漫画を思い出した。
唐戸市場の近くに居を構え頻繁に訪れる人々を心より羨ましく思った次第である。
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12/19 門司港レトロ
http://ptaro2009q.exblog.jp/25104335/
2015-12-25T20:59:00+09:00
2015-12-26T09:57:06+09:00
2015-12-25T20:59:03+09:00
ptaro2009q
Excursion
これまでTVの旅番組などでは見かけていたが、今回念願叶って当地を訪れることとなった。
九州の鉄道の玄関口だったJR門司港駅、重要文化財は残念ながら只今改築中で全くその姿が見えず涙飲んだが、その後次々に眼に入る建築物は石造り、レンガ造りで港の風景の中しっくり溶け込み ええ感じ~。
右手には関門橋、そして対岸には山口県下関の街が見える。
「旧門司三井倶楽部」
かのアインシュタイン博士が日本巡回の最後一週間滞在したことでも有名。
その部屋も実際に見学できた。
また当地が生んだ文学者・林芙美子の展示室も興味深かった。
林芙美子といえば、森光子や現在では仲間由紀恵が舞台で演じる「放浪記」が有名であるが、我が幼少の頃にNHKの朝ドラでやっていた「うず潮」が妙に記憶に残っていて、懐かしい思いがした。
川端康成への手紙など興味深く拝見した。字は正直なところ悪筆の部類だったなあ。
「旧門司税関」
嘗ての九州の玄関口としての門司の繁栄の様子が見えるようで良かった。
港町横浜や神戸にも見られるレンガ建ての館は実に端正なお顔だちである。
「門司港レトロハイマート」
異彩を放つのは黒川紀章設計の高層建築。
これだけはレトロの中で現代を主張している。
海の見える高層階に部屋を構え、毎日関門海峡を行き交う幾多の船の様子をボンヤリ見ているのも悪くないな、なんて。
「鉄道博物館」
此処では九州で過去走った電車の数々をはじめとした鉄道関係の品々が陳列されており、楽しい時間を過ごした。九州はなかなかユニークな車両が多く、田舎をのんびり鉄道で旅することを夢見ている。
最後に、門司港レトロ名物、<焼きカレー>を食べずには帰れない。
焼きカレーを売りにしているお店は多数あるが、駅にほど近いレトロなお店で賞味した。
チーズを表面に焼きこがしたカレー味のドリア、といったところであろうか、ミッション遂行し終えてひと安心であった。
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11/29 鎌倉ハイキング
http://ptaro2009q.exblog.jp/25022126/
2015-12-05T08:14:00+09:00
2015-12-05T16:45:51+09:00
2015-12-05T08:14:05+09:00
ptaro2009q
Excursion
つい先日より看護師をやっているお嬢様が横浜で新しい生活を始められたことから視察を兼ねて会いに来られた。
10月に当方が夫婦で札幌へ行った際には3日間大変お世話になったばかりであったが、すぐに再会出来 これほど嬉しいことはない。
宿泊先・横浜の近くの何処かでいつもお世話になっておるご夫婦を「お‣も‣て‣な‣し」、それじゃあ古都・鎌倉でハイキングをしようということになり、彼の中学同級の函館の2秀才が集結。
高校同級・お邪魔虫の私もご一緒させて頂くことと相成った。
当日は紅葉の日曜日ということで集合駅だった北鎌倉駅も超大混雑。
いやぁモウ、鎌倉が混雑するのは紫陽花の季節だけではないのだなあ〰。
写真は北鎌倉駅から徒歩1分の円覚寺へ登る階段から見る紅葉。
ええ具合に色づいている。
いざキャバクラ、いや、いざ鎌倉ッ~。
1253年 北条時頼が国の興隆と北条家の菩提供養のために創建したわが国初の禅宗の寺院である建長寺をしばし見学。
その後、鎌倉アルプスと呼ばれる丘陵コースを歩き、太平山(海抜159m)にてお昼ご飯。
その後、鶴岡八幡宮や源頼朝の墓などを見て横浜へ。
鎌倉アルプス、いや思った以上に起伏あり。
鎌倉は当時日本の首都たる地位にあったわけだが、海あり山あり、凸凹地形は戦略的攻防にも適しておったのだなあ。
楽しいハイキングであったぞよ。
また、僅か2,3日前にはドカ雪に見舞われた札幌から来たご夫婦には、季節を逆回り晩秋の紅葉を見てもらえて良かったわ~。]]>
11/20 北陸旅 雨晴(あまはらし)
http://ptaro2009q.exblog.jp/24995021/
2015-11-28T10:00:00+09:00
2015-12-05T08:22:16+09:00
2015-11-28T10:00:20+09:00
ptaro2009q
Excursion
北陸新幹線が開通したあと、この地のJRは経営が変わり異なる会社の線名がついておった。
早朝の列車は朝の通学の高校生で一杯。
何度か当地には来てこの列車にも乗っているが、初めて見る光景。
時間帯が違うと随分見える景色が違うのも旅の愉しみか。
富山ってマジメなイメージがあるが、ホントにマジメな学生さん達だなあ、多くの子が赤い透明下敷き使いながら熱心に英作文の参考書と格闘中、試験近いのだろうな~。
オジサンにとっては、何だか遠い遠い昔の記憶だが、熱くて苦い青春の匂いをちょっぴり嗅ぐことが出来た。
高校生で超混雑だった車内、高岡の次の駅でその95%がどどっ〰と下車し、車内の空気は一変。
ボックスシートに見える客の数は数えるほど。
この劇的変化には驚いた!
突如、ローカル線ののんびり旅が始まった。
学生さんが居た時には我慢しとった缶ビールを満を持して「プシュ〰」。
非日常感たっぷりの平日朝のローカル旅の始まりにオジサンはにんまり。
能登半島を北上するローカル列車、車窓右には灰色の海が見える。
実に穏やかな海。
天気が良ければ彼方には見事な立山の山並みも見える筈だが、日ごろの行い悪かったせいか、今回は見えず残念!
それでも海に浮かぶ岩、その頭に松の木が立つ様子に感激。
バックに立山の雄姿が見えれば、まさにポスターの写真そのものだ。
駅に停車。
「雨晴(あまはらし)」という駅。
雨に晴れか~、面白い名前である。いや、良い名前だ。
駅の佇まいもローカル線の鄙びた感じがあって良い。
最果てとまでは言わないが、遠い能登半島に来た喜びがシミジミと湧き上がる。
氷見へ行った帰りは此処で下車して海岸線を歩こうか、と思った。
静かな海を黙って見つめているだけで良い。。。。
残念ながら、今回の行き当たりばったり旅、そのあと考えがコロコロ変わり、結果この思いは実現しなかったのだが、今思えばちょっぴり心残りであったもんだ。]]>
世界遺産・五箇山 ~菅沼集落~
http://ptaro2009q.exblog.jp/24970485/
2015-11-22T21:31:00+09:00
2015-11-22T22:08:01+09:00
2015-11-22T21:31:53+09:00
ptaro2009q
Excursion
このたびの北陸旅でやっと初めて訪問する機会を得た。
念願の五箇山である。
高岡から車で南下一時間ほど、深い山々を幾つも越え人里離れたところにひっそり佇む集落、文字通り手を合わせたような「合掌造り」の日本家屋が身を寄せ合うように並ぶその姿、まるで時間が止まった世界のようであった。
五箇山、と言っても、幾つかの集落などに分散されており全てを効率的に見るのは容易ではない。
今回は菅沼と相倉の集落をそれぞれ見ることにした。
白川郷と比べるとスケールにおいては大きく劣るが、どのような地形に集落があるのか、また家屋の並びようというかレイアウトの様子は集落それぞれに特徴があって面白い。
谷間の僅かな平地、庄川沿いにひっそりと並んだ菅沼の集落が良かった。
合掌造りのあの独特の家屋は僅か9軒ほどの小集落だが、その「ひっそり感」がしみじみ沁みる。
雪深き地、江戸時代以降、厳しき生活を送られた人々に思いを寄せる。
農作以外に養蚕や紙づくり、そして火薬の原料となる塩硝など独自の産業を展開させ今日に至っているというが、山奥のまた奥、こんなところに良く人が住んでいた、と思わせる土地である。
落人が逃げ込んだ土地かしらん。
忍耐と苦渋にまみれながらも渋とく生を送り集落を維持されてきた先人に拍手送りたい。
歴史的価値、芸術性…まさに「世界遺産」に相応しい。
もう少し学んでまた違う季節にゆっくりと訪れ、違う表情を見たいものである。
合掌造り、と言えば、旅の途中できいた北の湖理事長に逝去の報には驚いた。
高校・大学時代の同郷のヒーローであった。
一見態度がふてぶてしく、土俵上でもあまりにも強い態度に憎らしいとまで言われた北の湖。
一途で少々不器用であっただけで実は心優しき男。
同年代に近い存在でもあるだけに、余りに早い死が残念でならない。
神様は、なかなか物事を順番通りには進めてくれないものだ。
合掌!
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河口湖畔の紅葉
http://ptaro2009q.exblog.jp/24942493/
2015-11-15T20:58:00+09:00
2015-11-15T21:32:56+09:00
2015-11-15T20:51:49+09:00
ptaro2009q
Excursion
富士山五合目からバスで戻り、富士急行・河口湖駅で下車、その足で河口湖畔へ。
何だか知らぬが、とにかくやたらに中国人が歩いておる。
まあ、今や珍しいことでもないのだが。
歩いている総人数から中国人の数を引くと逆にかなり寂しい観光地であるものだ。
バブル崩壊以降は大きく観光客数が落ちたこうした観光地にとっては中国人団体客はマナーが悪くとも何でも、慈雨のごとき存在であろう。
飲食店では中国人客への対応が上手く出来ずに客を結構逃がしている様子も見てとれた。
言葉の出来る者を集めてきて、上手く対応・接客できればもっと売り上げも伸びるのに、というようなシーンを散見した。
湖畔に植えられた街路樹が見事に紅葉しているのに驚く。
あまりにも見事な鮮やかな赤であるが、街路樹の周りがあまり整備されていないので
聊か紅葉の見事さが引き立たないのが残念であった。
写真のほうは、11/7のもの。
ノイズが入らないようにうまく良いところを狙わなければならないわ。
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富士山五合目
http://ptaro2009q.exblog.jp/24912018/
2015-11-08T10:13:00+09:00
2015-11-13T06:53:43+09:00
2015-11-08T10:13:36+09:00
ptaro2009q
Excursion
中央線快速で東京から新宿まで行き、新宿で京王線に乗り換え高尾へ行くつもりであった。
JR新宿駅で下車するとホームの向かいにはホリデー快速・河口湖行き。
このホリデー快速は、リゾート地へ行く快速電車で、自由席であれば追加料金なし、普通料金のみで乗れるコスパの良い列車である。
中央線だと、新宿発で奥多摩、河口湖、信州の小淵沢行き、などの快速電車があり、特に小淵沢行きは二階建て車両でリゾート気分満載、毎夏一度は必ず利用しているナイスな列車である。
今回の河口湖行き列車には、なんせ思い付きと言うか、予定外、咄嗟の判断で飛び乗ってしまった。
並んでいる人も多く、座席に座れないか、と思っていたが、運よくぎりぎりセーフで最後の一座席が確保できる僥倖をつかんだ。
座れなければ下車する積りであったので素直に運の良さを喜ぼう。
座席の乗り心地が特急並みに良く、駅をびゅんびゅん飛ばして実に快適。
ついでに、持参していたビール、奥高尾、城山山頂で飲もうかと思っていたのだが、プシュッ~と栓をあけ飲んでしまってすぐに調子が良くなり、「山気分」というより、「旅気分」になってしまった。
期待もしていなかった非日常の旅気分に浸れて、朝から大満足なり。
こうなったら、高尾駅を乗り過ごして、ええぃ、当列車の行き先である河口湖まで乗ってしまえ、という気分になった。
旅にはハプニングが付き物であるが、いやいやシナリオ大幅変更の一日となった。
高尾山が富士山・河口湖に変るとは、いとおかし。
河口湖手前の富士山駅で下車してバスで富士山5合目へ。
此処はもう観光客の7‐8割は外国人である。
バス停で一人待っていた西欧人の男性、向こうからニッコリ挨拶してきたので話をしてみると
ドイツはミュンヘンからビジネスで来日していたとのこと。
大阪・名古屋で商用を済ませたあと、一人で週末に富士山を見に来たという。
ドイツはハネムーンを含めて3度ほど渡航した我がお気に入りの国で話はずむ。
(行ったのは3回だが、ハネムーンは3回ではないよ、と言ったら大笑い~!)
彼に限らず、外国人の富士山信仰は想像以上に大きいことに驚いた。
東京や京都などの都市よりも富士山を目的に来日する人が多いこと多いこと。
やはりこの山の持つ求心力は世界規模でもタダ物ではないのである。
バスは小一時間ほどをかけ、富士山五合目へ。
あたりはすべて霧の中で富士の山頂も山裾も殆ど見えなかったのは残念!
五合目のお土産屋内外は圧倒的に中国人団体客、何処で見かけても傍若無人の振る舞いは もう慣れっことなったが、とにかくヤカマシイなあ~。
五合目から先、昨年来た時には進めなかったが、今回は往復30分ほどを歩く。
五合目あたりが森林限界なのだろうか、眼下は強風で枝木が大きく湾曲した白樺や松が並ぶが、上方は火山溶岩が黒い山肌となっており、富士は活火山、生き物だったことを生々しく感じさせた。
結局、流石に寒く少し歩いただけで1時間で撤退。
富士は遠くから眺める山、登る山ではない、と以前から思っていたが、この足で登山道の一部を歩いてみて少し気持ちが動いてきたか。。。。
いまだ富士山頂登頂成し遂げていないので、一度はチャレンジしてみても良いか。
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夏の青春18きっぷの旅(1)Part-2 ~両毛線:桐生~
http://ptaro2009q.exblog.jp/24530492/
2015-08-09T09:37:00+09:00
2015-08-09T12:19:11+09:00
2015-08-09T09:37:14+09:00
ptaro2009q
Excursion
JR鈍行乗り放題旅、第1回目後半は、群馬・川原湯温泉を訪れた後、渋川に戻り、今度は群馬の東側、両毛線へ乗る。
前橋、伊勢崎、と群馬県の都市を通り過ぎ、桐生へ。
桐生はこれもお気に入りの街、毎年来ているが、今年もやって来た。
「西の西陣、東の桐生」、と呼ばれ絹織物の街として繁栄した桐生であるが、駅前から続く商店街は今や半ばシャッター降りた「哀しみの町」の風。
超猛暑のせいもあるのか、町を歩く人の影も殆どみられない。
このビミョーな「哀しみ」感が好きである。
「昭和」がそのまま残る町、と言っても良いか。
いつものように、 古い町並みが続く「本町」の通りを歩く。
その先の桐生天満宮で祈りを捧げ、鮮やかな薄グリーン色の洋館がある群馬大学工学部のキャンパスを歩く。同部は開校100周年の節目の年だとか。
のこぎりの歯形のような三角段々屋根の工場を見て、最後に「一の湯」という日本最古の部類とも思える銭湯の熱い湯に浸かって桐生の街歩きを終える。
歴史ある静かな都市に今回もやんわり癒された。
矢野本店なる酒屋さん。
桐生では最も印象に残る建物。
群馬大学工学部。
この建物の中には素晴らしい講堂があり、嘗てその美しさに実に感動した。
当日は中に入れず残念。
桐生名物ののこぎり屋根の工場。
というか、改造してアトリエなんかになっており、
なかなかお洒落に変身しているのだ。
銭湯・一の湯。
こちらの風呂に今回もお世話になった。
猛暑下の街歩きで大汗をかいて風呂に入るが、入ったあとも熱くて汗がいつまでも引かなかった。
町中に篠原涼子のポスターが貼られており驚いた.
市の観光大使に選ばれたようだ。
閑話休題。。。
桐生から高崎へ戻る両毛線鈍行列車、途中前橋で随分立派な体格の野球選手が数人電車に乗ってきた。
体つきといい、面構えといい、高校生にしてはタダ物ではない、というオーラを発揮している者、2人3人おり、感心して眺めっておった。
自宅に帰って調べてみたら、群馬県大会の決勝に進出したチームの選手だったようだ。(残念ながら甲子園には行けなかったようだが)
青春きっぷの鈍行旅、思わぬ地方の断面に遭遇することが出来るもんだなあ。
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2015 夏の青春18きっぷの旅 (2) ~中央本線+小海線、飯盛山登山〰
http://ptaro2009q.exblog.jp/24526179/
2015-08-08T08:09:00+09:00
2015-08-09T12:19:50+09:00
2015-08-08T08:09:00+09:00
ptaro2009q
Excursion
今回の青春きっぷ旅は、これも恒例となった信州・小海線の旅。
過去何度も同じことを書いているが、今回のパターンも同様に過去を踏襲。
これでいいのだ!
新宿から2階建てのリゾート快速に乗り小淵沢へ。
指定券500円を払うが、2階席はほぼ満席。
逆に1階席は空いており、かえって良かったわ。
高尾を過ぎると田園風景、山や渓谷、中央線の車窓風景は素晴らしい!
そして小海線に乗り換え高原列車で終着駅・野辺山へ。
此処はJRでは日本一標高の高い駅なのである。
いや~、涼しい筈の高原でもやはり滅茶苦茶に暑かったですわ。
南アルプスを背に、左に八ヶ岳連峰を見る小海線はリゾート感漂う高原列車。
2両の列車には涼を求めた観光客でいっぱい。
しかし、終着駅・野辺山駅を降り歩き始めると、あれだけの人も誰もいなくなった。
その後の3時間は、孤独な山歩き・森歩き、ひたすら歩きに歩く旅。
暑くとも、疲れても、とにかく歩く、歩く。
1時間半に一本、清里駅からの帰りの電車にも遅れたくないので、時間を気にしつつ速足で歩く。(当日は23㎞ほど歩いた。)
写真は国立天文台などがある施設。
近くには宇宙電波観測所がある。
八ヶ岳や裾野に広がる畑を見ながら、汗たらし、駅から徒歩⒛分。
此処で山登り前に腹ごしらえをする。
飯盛山(1643m)はその名前の通り、お茶碗をひっくり返したような綺麗な円錐状の山。
過去数年毎年訪れ登っているが、行きかう人も極めて少なく、何だか「俺の山」てな感じで気持ち良く山登りが楽しめる。
頂上からは360度のパノラマ、向いには雄大な八ヶ岳連峰が見える。
この山は本州の中央分水嶺上にあり、北側斜面に降った雨は日本海に、南側に降った雨は太平洋側に流れるのだという。
フォッサマグナ、というやつだ。
絶景かな、絶景かな、ひとっこ一人居ない山頂で360度を見渡し、雄大な景色を独り占め、なんとも良い気分であったぞよ。
さりとて、とにかく暑かった、着ていたポロシャツは汗でずぶぬれ。山頂で絞ったら、物凄い量の汗水が絞りでるわ、吃驚。
飯盛山を下山、緑深い森の中を無心に歩くのが良い。
頭の中もからっぽの真空、遠い遠いところのお山を誰にも会わず誰にも知られずひたすら歩いていることに酔える感覚が良い。
何だかこの時間が「永遠」に思えてくる。
心身ともボロボロとなったが、清里駅には大分の余裕で電車に間に合った。
心地よい疲れ、というよりは、疲労困憊。
あんなに降車客がいた清里駅だが、周りの土産店や飲食店は閑散としており、世の厳しさを知る。
帰りは鈍行列車は時間も掛かり過ぎて辛いので、特急に乗って帰途へ。
やはり青春する体力・気力はもう自分には失せたかしらん。
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2015 夏の青春18きっぷの旅 (1) ~群馬・吾妻線 ‐ 川原湯温泉~
http://ptaro2009q.exblog.jp/24503568/
2015-08-02T22:04:00+09:00
2015-08-09T12:21:51+09:00
2015-08-02T21:52:57+09:00
ptaro2009q
Excursion
夏の旅第一回目は、群馬県の渋川駅から西へ進む吾妻線と決めている。
1945年1月開業というから戦時中に始まったんだなあ。
草津温泉をはじめ、沿線には名湯・隠れ湯が目白押し。
その中でも、ダムの下に沈む温泉町がある「川原湯温泉駅が旅のお目当て。
土曜早朝6時に出発、自宅に帰ったのは夜11時のハードな旅、体感気温40度の中を随分歩いたが、色々と魂を揺さぶられた旅になった。
もう10年以上前、嵐山光三郎著「温泉放浪記」をI 師匠よりお借りし(今でも返却しておらんが) 愛読、紹介されていた日本全国の温泉のなか、一番ココロに残ったのが川原湯温泉。
昭和27年にダム建設計画が発表され、ダムの下に沈む町となることとなる。
反対運動等で建設も進まずの状態が50年以上続き、民主党政権発足時にはダム建設を撤回、という話にもなった。前に進むのか、このままなのか、長きに渡る住民や関係者のフラストレーションが半端なものではなかったことは容易に想像がつく。
その後ダム建設に向け大きく舵がきられ、昨年訪問した時には完全に旧温泉街は廃墟となり、新しい地区に移転が進んでいる様子を見ることとなった。
毎年訪れるたびに廃墟の度合いが進み人の様子も見られなくなったことで「時計が止まった街」、というような不思議な感覚、切ない感覚を体感した記憶も新しい。
今回の旅であるが、自宅を6時前に出発。
武蔵野線、京浜東北線、高崎線を乗り継ぎ、吾妻線へ。
武蔵野線の降車駅を間違えたせいか、高崎到着が予定より若干遅れ、吾妻線への乗り継ぎが5分差でミスし、1時間半次の列車を待たねばならぬこととなった。
旅にはトラブルがつきものである。
吾妻線は今回ものんびりとした旅。
4人用のボックス席をひとりで座っていくことが出来た。
緑の田園地帯を走るのは気持ち良い。
今回は、吾妻線の川原湯温泉駅が全く別のところに新設・移転したのが大きな動き。
ネット情報で事態はつかんでいたが、新駅に着き感慨ひとしおであった。
当然線路も谷から山側へ移転、以前は1mちょっとの日本一短いトンネルをくぐってこの駅に到着したのだが、新線では呆れるほど長い長いトンネルをを出て新駅に到着することになった。
旧駅やこれまで周囲歩いてきた思い出の各所はホントにダムの底に沈んでしまうのだなあ。
超猛暑のなか、当然人も全くいない廃墟の旧温泉街を歩く。
人気の足湯や露天風呂、1軒の旅館を除いて建物も殆ど消えた。
源頼朝が見つけたという「王湯」も営業は新地区に移った。
その後、新地区へ進み、全長500mほどの「八ッ場大橋」を渡る。
渓谷を跨ぐ大きな橋から見る谷底の景色は壮観である。
嘗ての吾妻線の線路や国道のアスファルトも剥がされた様子も分かり、歴史のページが新たに一枚めくられたことを知る。
九州の耶馬渓谷と並ぶ名勝・吾妻渓谷もダムの下か。
あの美しい景色が見られなくなるのは残念でならない。
ダム建設は自然を冒涜する暴挙に思えてならない。
身勝手な政治家達の思惑が右へ揺れ左へ揺れの挙句にこの結果である。
最後に昨年同様、新設なった王湯で汗を流したが、複雑な思いだけはお湯では流しきれなかったもんだった。
写真は八ッ場大橋中央から撮影。
谷底から約80m、欄干低くてちょっと怖い。
(此処は転落事故や自殺の名所になるのではないか。。。)
ミニチュアのように見える美しい景色も皆ダムの下へ。。。
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4/18 桜求めて信州ドライブ旅(4) 木曽路を行く Part-3
http://ptaro2009q.exblog.jp/24010062/
2015-04-29T09:03:00+09:00
2015-04-29T23:40:28+09:00
2015-04-29T09:02:57+09:00
ptaro2009q
Excursion
中仙道34番目の宿場。
木曽路11宿の中では最も標高が高い。
江戸時代から、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた。
松本からゆっくり走って1時間のところ。
木曽路を走るにやはり此の地は外せない。
駅前の駐車場に車を止め、約1kmに渡る長い宿場町の町並みを歩く。
今日は降らないと思っていたが、小雨が降り始める。
今回はちょいと珍しい光景に遭遇した。
統一地方選、奈良井が属する塩尻市の市議選であろうか。
どうも地元候補が遊説出発するにあたり、宿場町の中央部分で出陣の挨拶をしているのであるが、応援演説も含めて随分と念が入った大セレモニーになっているようだ。
驚いたことに長い宿場町の最初と最後のあたりを除くと、どの軒先にも何人かづつ出て、いや家族総出というようなお宅もあったようだが、皆ほぼ直立不動でその挨拶に耳を傾けているのである。
或る意味、壮観というか、ちょいと北朝鮮、というか、これだけ住民が同じ行動をすることに複雑な驚きを禁じ得なかった。
都会ではまず見られぬ光景であろう。
市議候補と地元住民との結びつきの強さを示す状況は良く理解できるが、それだけであろうか。
地元の市議に託さねばならぬ切羽詰まった深刻な問題がこの静かな宿場町・奈良井にあるのであろうか。
これまで何度も来ていた町で初めて見る表情、何か心に引っかかるものがあった。
タイムスリップでいつもは江戸時代にやって来れるこの町が、その時は「現実」のものになっていた。
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