多分駄文のオジサン旅日記
2017-10-30T08:33:09+09:00
ptaro2009q
ぶらり世界のまち歩き...
Excite Blog
欧州ひとり旅 (23) Day 5 パリ その4
http://ptaro2009q.exblog.jp/28153883/
2017-10-30T08:33:10+09:00
2017-10-30T08:33:09+09:00
2017-10-29T21:35:00+09:00
ptaro2009q
Paris
石畳みの坂道や階段、洒落た家屋やカフェが並び、時に振り向くと眼下にパリの眺望。
多くの芸術家達から愛され続けた街に身を置いていることに感激した。
狭い路地の佇まい、階段の上からの小景、窓の装飾、路傍の花々など、歩を進めるほどに出会う何気ない一片一片のシーンのどれもが美しい。どこの景色を切り取っても一枚の絵画、映画のワンカットになるように思えて来る。
観光客の往来で賑やかな通りも良いが、やはり通りから一歩中に入った静かな路地が良い。
石畳の坂道と白壁の建物、ユトリロの絵画そのものの世界だ。
こんな景色こそ、このモンマルトルで見てみたかったのだった。
歩いているとふと家屋の塀などに街角アートとでもいうようなものを良く見掛ける。
半分落書きというようなものもあるが、実に観て楽しいものだ。
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欧州ひとり旅 (22) Day 5 パリ その3
http://ptaro2009q.exblog.jp/28127978/
2017-10-27T07:44:00+09:00
2017-10-27T07:47:32+09:00
2017-10-26T10:45:37+09:00
ptaro2009q
Paris
パリ北端の地。
長きに渡ってブドウ園と麦畑だけの寒村だったが、1853年のパリ大改造により市内から追い出された人々が移り住み、ひとつの地区が形成された。
19世紀後半、物価の安さや自由な雰囲気に惹かれて様々な芸術家が集まり、芸術の街となった。
近代美術史の中でも燦然と輝く「印象派」、なかんずく「エコール・ド・パリ」と呼ばれる一派を輩出した地であり、今回パリの滞在においては真っ先に訪れたい地であった。
ムーランルージュから丘へ向かう一本道の坂を上って行く。
沿道両脇には土産屋やカフェ、レストラン等が並び、観光客も多く中々賑やかだ。
華やかなパリの匂いをパリ到着後初めて体感出来た。
群衆を掻き分け坂を登りきったところで一気に視界が広がる。
視線をあげ目に入ってきたのは圧倒的な容姿を誇るサクレ・クール聖堂の白。
白亜のドームが美しい。
聖堂に至る途中の段は芝生が貼られ、多くの人が座り込みパリの街を見下ろしながらゆっくりとした時間を過ごしている。
何とも絵のように美しい景色に圧倒され感動した。
聖堂前の階段にも多くの人が座りこみ歓談している。
映画の一シーンのようだ。
ローマのスペイン広場の階段を思い出した。
階段下には広い踊り場があり、唄を歌うパフォーマンスに多くの観光客が反応していた。
視線の先にはパリの街が拡がる。
これから過ごすパリでの日々を想い興奮が沸き上がってきたものだ。
モンマルトル篇、もう少し続く。
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欧州ひとり旅 (21) Day 5 パリ その2
http://ptaro2009q.exblog.jp/28096661/
2017-10-23T14:24:00+09:00
2017-10-26T10:12:39+09:00
2017-10-22T11:05:20+09:00
ptaro2009q
Paris
パリで泊まったホテルは 19区にある。
パリの宿は旅の出発前に予約していた。
パリは今回で3回目だが、過去じっくり歩き回ったことはなく当然土地勘も殆どない。
今回のパリ、貧乏旅でホテルを決めるのはやはり料金が第一の基準となる。
大都市だけあって超高級ホテルからドミトリーまでパリのホテルの数は多く選択幅も広いが平均料金は欧州中小都市と比較的するとかなり高い。お手頃な価格のホテルを探すとなると自ずからロケーションは中心部からどんどん遠いところとなる。日本のビジネスホテルのようなコスパの良いホテルは中々ないもんなア。
結局選んだホテルは19区にある小ホテル。
19区はパリの北東部の区であり、東京で言えば地理的には足立区とか荒川区あたりに相当、街の雰囲気も下町風であることも共通点であった。
1泊1万円以下の料金で出発前に当初2泊を予約し、次のパリ2泊はパリ滞在中に趣向を変えて別の地区に泊まろうかと考えていたが、宿泊途中に次の宿を決めるのも面倒になり、結局はパリ4泊は全て19区の同じホテルに泊まることになった。
到着後、まだ午後4時ほどで日も長いこともあり、出掛けることにした。
目的地はモンマルトルの丘。
大のファンでもあるユトリロやモディリアーニ等も集っていた芸術の街でもある。
そもそも19区に宿を構えたのも憧れの地・このモンマルトルに比較的近いのがひとつの理由でもあった。
宿の周辺、やはりどうも勝手にイメージしていたパリとは程遠い雰囲気。
行ったことはないが、北アフリカのようかいな。
黒人住民が多数、並ぶ住居やお店も、欧州の風ではない。
5分も歩かぬうちに高架線の地下鉄線が見えた。
簡易な作りの地下鉄駅へ行ってみた。
これに乗れば、真っ直ぐモンマルトル方面へ行けそうだ。
自動販売機が2台あるが、どうやって切符を買うかが良く分からない。
現金では買えず、クレジットカードのみ受け入れる販売機のようだが、試しにやってみると理解できないメッセージが出てきて面倒になってしまった。
途中、2mほどの身長の黒人青年が改札口の扉が開いたのを良いことに高い柵を乗り越えて改札の中に入っていった。無賃乗車という奴だろう。
そうしているうちに、何人かの黒人が同じように柵を越えた。
もう無法地帯のようだ。
途中で地下鉄の切符を買うことは諦めて、まあ線路沿いに歩いてみることにした。
数十分、この高架線に沿って真っ直ぐに歩く。
結局4、5駅分ほどは歩いたのであろうか。
終盤には風俗店というか、怪しげなショーをやっているお店が並ぶ地帯に突入。
まだ明るいうちから、客引きがしつこく声を掛けてくる。
無視しながら進むと、特徴ある赤い風車のある小屋に遭遇。
どこかと思ったら、これはこれは著名なムーランルージュではないか。
実は一度団体旅行の際、かなり遅い時間であった記憶があるが、此処でショーを見たことがある。
エロチックなものかとも期待したが(!)、綺麗すぎて拍子抜けした記憶がある。
なんだ、こんなところにあったのか、ムーランルージュよ。
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欧州ひとり旅 (20) Day 5 花のパリへ
http://ptaro2009q.exblog.jp/28075699/
2017-10-21T10:27:00+09:00
2017-10-28T12:40:20+09:00
2017-10-20T22:48:06+09:00
ptaro2009q
Paris
次の予定はパリとしていたが、前日 Facebookでブリュッセル滞在を告げると、知人より「近隣の世界遺産のブルージュもいいよ」、の声が入ってきた。国内旅でも良くあることだが、旅中に知人からコメントやアドバイスを貰って訪問先を変えることも屡々ある。心動かされた。
自分も一度訪れたことのあるブルージュは「北のベニス」と言われ、緑と運河が美しい古都。チョコレートの名店が多数並ぶ街角もある。ブリュッセルからは1時間ほどで行けるブルージュ。
半日をそのブルージュ訪問に費やそうかと悩んだが、連日のホテル探しの苦労がトラウマになっている、予約済みのパリのホテルには長くうろつくことなく早めに入りたいという思いが勝り、ブルージュ観光は諦めることにした。
此処まで来て少々残念ではあったなあ。
ブリュッセル中央駅でパリ行きの特急タリス(THALYS)の切符を買う。
正式にはパリ北駅行きである。
特急2等席のお値段は100ユーロほど。
時間も価格も東京・名古屋間の新幹線、という感じかな。なお1等席だと2万円ほどだ。
日時や便によって、また購入タイミングによって同じ2等席でも価格は変動するようだ。
事前に日本語レイルヨーロッパのサイト経由でも切符は買えるが、同サイトで記憶していた価格よりは若干安く買えたのか?
隣りのブリュッセル南駅(MIDI)へ行き、其処から乗り換えよ、と言われる。
座席指定の欄が空欄になっているので、自由席なのかと思っていたが、どうも乗るべき列車は全席指定となっており満杯、座れる席はないとのこと。
切符がサイトの価格よりも幾らか安く買えたのは席が与えられていなかったからなのか、と何となく合点。
結局座席があるスペースを仕切った外側、出入口の扉とスーツケースを収める荷物スペースの横に一席予備席のようなものがあったので其処に座ってパリ到着を待つことにした。
特急列車でフランス国境を越えて花のパリへ、という高揚感は正直萎えてしまったが、まあ、乗車時間はノンストップで1時間20分ほどなので苦にはならないことであろう、真っ当ではないが座る席があっただけ幸運と思われた。
これまでの旅の記録などをノートに書き綴る。
殆ど車窓風景を見ることもなく時間はあっという間に進んだ。
途中、体躯のでかい警官4人(マシンガンを抱えていた)から尋問を受ける。
パスポートを見せろ、と随分高圧的。
EUの場合は国境を越えても特に通関の必要もない筈だがセキュリティ上の理由で警備をしているということなのだろうが、お巡りさんというよりは武装戦士のような猛者どもに取り囲まれるとかなりの恐怖感を抱かざるを得ない。
パスポートを見終わった警官から「アリガト~」と日本語で言われて脱力・拍子抜けした。
さて、特急列車はあっという間にパリ北駅へ。
流石は「花のパリ」である。
これまでの旅で訪れたオランダ・ベルギーの諸駅に比べても建物の大きさ、人の多さ・人種の多様性、喧噪の度合い、何もかもスケールが桁違いに違う。
時間の進み方もこれまでの何倍も速いように見えた。
駅周辺も多くの人と車、そして聊か乱雑な街並みに圧倒される。
都市としての広さ、深み、とにかく掴みどころがない。
パリ北駅はアフリカ黒人や中東難民が多数集まる地区にあるのか、エキゾチックといおうか、花のパリの洗練されたイメージとは遠い不可思議な異国風が漂う。治安は大丈夫か?
パリを何度か訪れていた娘からも聞いていた「かなり怖い場所」という言葉を思い出した。
これまでは、駅到着後は意地でも歩いてホテルを探す、というやり方を貫いてきたが、このパリ北駅では到底無理だということを一瞬にして悟る。
タクシーに乗る。
若い運転手クンで英語が通じて助かった。
放射線状になった道を何度も曲がり進むタクシー、東西南北どちらに向かっているかも全く分からない。
自力で歩いてホテルを見つけるのはやはり無理、タクシーに乗って良かったと心から思う。
10分ほどで目的の小ホテルに無事到着。
小さなホテル、周囲もお洒落なフランスとはほど遠い少々荒れ気味の街並み、フロントから出てきたのは迫力満点の黒人女性。
うーん、なんだかフランスではなくて、北アフリカないしはアメリカ南部の田舎町にでも到着したような気分であったわい。
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欧州ひとり旅 (19) Day 5 ブリュッセル その6
http://ptaro2009q.exblog.jp/28052134/
2017-10-19T13:43:00+09:00
2017-10-20T20:29:03+09:00
2017-10-19T11:46:45+09:00
ptaro2009q
Belgium
ブリュッセル中央駅東口を越え、北側に向かう。
路面電車が走る長い長い直線一本道、遥か先に見える丸屋根が美しい聖堂の姿に打たれ、其処まで歩いてみた。
聖堂の箇所から道は丁度Yの字状に二手に分かれており、なかなか情緒的、想像を掻き立てる。
イラストレーター横尾忠則氏が見たら泣いて喜ぶY字路光景だろう。
この聖堂、著名なものかと後で調べてみたが、ガイド本には出ていることがなかった。
地図を探して虫眼鏡でやっとその名を知る。(Place de la Reine Komngine-Plein だとさ)
流石は歴史の街、歩いているとふと歴史ある名建築に屡々遭遇する幸せ。
街角の路地で見かけた酒屋のウィンドウ。
数多くのベルギービールがぎっしりと陳列。
個性豊かな味とラベル、こんなに多くの種類があるのだなあ。
ゆっくりと滞在して存分に味わうことが出来る日は来るだろうか。
500年の歴史、世界遺産にもなっている大広場「グランプラス」に今朝も訪れる。
早朝ゆえにまだ人も疎らだが、お昼頃からは立錐の余地もない大混雑の場となる。
110m x 68mの大広場、市庁舎、王の家(ブリュッセル市立博物館)を始めとしたゴシック調の名建築が四辺を囲む。
世界一美しい広場と、かのユゴーが称賛した地とか。
全貌を上手く撮る写真は無理だなあ。
ブリュッセル中央駅東口を越えてまもなく、工事現場の壁が街角アートに彩られている。
いずれも顔がテーマになっているが多彩な筆致とデザイン・色調の豊かさに、グレイなイメージのブリュッセルが一瞬明るくなった。
ひとつひとつの顔にご挨拶。
中央駅近く、緑豊かな公園に遭遇。
こんなところが市内中央にあるとは想像出来なかった、昨日早いうちに此処に来ていればブリュッセルの印象も随分と違っていたことであろう。
子犬の散歩、映画のシーンのような光景も見られた。
後で調べてみると、「ロワイヤル広場」といい、美術館のほかに、国会や各省庁、王宮などがある行政地区であった。もう少し時間をかけて歩きたかったものだ。
グランプラスの近く、欧州最古のアーケード、「ギャルリーサンチュベール」。
店舗やカフェが並ぶ長いアーケードロード、人が居ない時間帯には荘厳な気分を味わえる。
「王立モネ劇場」1819年建立のオペラハウス。
最初は造幣局だったそうだ。モネは画家のモネではなく、貨幣の意味だと。
ブリュッセルは大都市だけあり、社会問題も多そうだ。
路上にも移民なのであろうか乳児を抱えた路上生活者や乞食を随分と見かけた。
大都市の光と影、社会格差、貧困は深刻な影を浮き彫りにしている。
オペラハウスの前で行われていた集会、赤いウェアの人が多数集結、激しいアジ演説に反応する叫びが絶えず聞こえる。
かなり切迫した空気を漂わせていた。
やはり大都市だけあり、24時間ほどで分かったような顔は出来ないなと痛感。
それでも二度目の訪問で長時間歩いてブリュッセルの断面を僅かでも見れたことに満足した。
名物のワッフル、チョコレートは賞味する機会を得ずの野暮な旅。
ダイアモンドに触れることもなかった。
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欧州ひとり旅 (18) Day 4-5. ブリュッセル その5
http://ptaro2009q.exblog.jp/28028655/
2017-10-17T11:54:00+09:00
2017-10-21T14:02:18+09:00
2017-10-17T09:45:51+09:00
ptaro2009q
Belgium
Booking com 等の宿泊サイトで検索、条件としては駅からの距離と料金が第一、そして部屋の清潔さも写真を見て考慮の対象とした。
ブリュッセルのホテルを検索していた際に、ふと面白い名前のホテルに出くわした。
その名もヤドヤホテル。
ヤドヤは宿屋か?
日本語ではないかいな、いやそう思わせて日本語ではないケースも結構みているからね、などと思いながら そのヤドヤホテルの詳細を見ていると、日本趣味をふんだんに取り入れたホテルであり、ヤドヤはやはり宿屋から来たものであることが記載されていた。
開業して間もないホテルでホテル代が高いブリュッセルの中では料金もお手頃なこと、清潔度も高そうなことから予約することにした。
さて当日、ブリュッセル中央駅から30分強歩いてホテル近くの目印となる広場まで来てホテルを探したが見つからずに2時間ほどを浪費してしまった。
仕切り直しで繁華街に戻って昼食を取った後にタクシーに乗り、ホテルに連れて行ってもらうことにした。
住所を見せたものの運転手さんはピンポイントでそのホテルを見つけることが出来ず、中途半端な所で降りることとなったが、その後何とか自分でお目当のホテルを見つけることが出来た。
重いリュックを背負っての長時間の彷徨が続いていたのでホテル発見・到着は喜びというよりは安堵であった。肩の荷が降りた、とは文字通りこのことである。
街中喫煙による空気の悪さ、路地の汚さで正直なところ歴史の街ブリュッセルには余り好感が持てなかったのであるが、ホテルのフロントでの対応が良く、気分は聊か回復。
日本風を売りにしているだけにハンテンを纏った若い女性が快活にチェックイン手続き・館内案内をしてくれた。
この女性とは翌日のチェックアウトまで顔が会うたびに色々言葉を交わし、最後は一緒に記念写真まで撮らせて貰った。
当ホテル、日本のビジネスホテルをモデルとしているような造り。
食堂も日本風朝食バイキングをやっているようだった。
ロビー階の廊下には日本の風景・生活を写した写真が多数飾られていた。
伏見稲荷の千本鳥居、浅草三社祭り、富士山、夜の通天閣。。。。
加えて日本のアニメのポスターもふんだんに。
新築なので館内どこも新品の匂い。綺麗で気分が良い。
部屋のドアには日本語表示があり笑ってしまった。外国人には読めないよね。
部屋のほうは御覧の通り狭目だが、天井が比較的高いので閉塞感はない。
ベッドカバーと壁の一部は緑色、抹茶色で日本をイメージ ?ベットの両脇にある小テーブルの天板の中央には何と5円玉が埋められておった。
なかなかの凝りようにほっくり。
欧州に限らずではあるが、日本文化・芸術が海外でも生活レベルへ深く浸透していることに今更ながらに感心した。パリやバルセロナでも漫画アニメの店では日本コーナーに大きなスペースが割かれ多数の客を呼んでいることには少々感激したりもした。
今回の日本趣味のホテルの開店もそうしたトレンドが一部の好事家だけでなく より一般大衆の中で加速中であることを知らされた次第である。
https://www.yadoyahotel.be/ja/
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欧州ひとり旅 (17) Day 5 ブリュッセル その4
http://ptaro2009q.exblog.jp/28004403/
2017-10-14T14:02:00+09:00
2017-10-21T16:58:07+09:00
2017-10-15T12:41:24+09:00
ptaro2009q
Belgium
暫く中断していた欧州旅の記録を再開することにする。
5月の旅ゆえもう相当に当時の記憶も風化してきたが、旅中に綴った記録を頼りにあれこれご披露して行きたい。
これまで、オランダはアムステルダムを起点に南下、デン・ハーグ 、ロッテルダムを経て ベルギーのアントワープへ。そして、ベルギーの首都であるブリュッセルに来たところである。
ブリュッセル到着後は予約していた宿探しが難儀し精魂尽き果てたが、既述の通り 最大の楽しみだったベルギービールとバケツ一杯のムール貝を賞味し、ココロもお腹も満たされた。
さて、ブリュッセル2日目。
昼前に国境を越えてパリへ行く予定であったが、早朝に街歩きをした。
目的の第一は前日お目にかかれなかった小便小僧クンに再会すること。
(シンボルとしては小さ過ぎるが) ブリュッセルのシンボルにはご挨拶をしておきたかった。
10数年前の団体旅行の際に細い路地をくぐりながら拝観した記憶がある。
世に言われているように、世界三大ガッカリに相応しい小さな像に拍子抜けしたものだった。
同じ土地の街歩きでも複数或いは団体で歩くのと一人で歩くのでは感覚に大きな違いがある。
特に先導役がいる団体旅行では何も考えずに旗振りについて行くだけなので、道順の記憶が強く残ることはない。従って嘗て訪れた所も一人歩きで探す場合には結構苦労することが多い。
メルクマールとなるグランプラスからほど近く、あとは地図や現地の看板を見ながら探せば小便小僧クンに再会出来るであろうと思っていたが、中々見つかりそうで見つからない。前回に辿って来た路地の雰囲気とも一寸違う感じがするが、警官に尋ねたり、道標に頼りながら何とか坂道に掛かる四つ角の一角でお目当の君と対面することが出来た。
角の先の建物の片隅にそれはあったが、余りの存在感の薄い在り様に今更ながらに驚く。
工事中なのか一面シートに覆われた建物の中に埋没していて、見た目も何だか分からないほどに小さいわ。
長い間歩いて苦労して見つけた感激は少々空回り。
さて壁面の工事が終わりシートが外された際には小便小僧像が映える演出が見られることであろうか。
小便小僧像、オリジナルは1619年製作も何度も盗難に遭う、現在の像は1960年製作のレプリカとのこと。
像の誕生には諸説あるが、悪童ジュリアン君が爆弾の導火線に小便をかけて消火し町を火事から救った伝説に由来しているとか。
小便小僧像、オリジナルは1619年製作も何度も盗難に遭う、現在の像は1960年製作のレプリカとのこと。
像の誕生には諸説あるが、悪童ジュリアン君が爆弾の導火線に小便をかけて消火し町を火事から救った伝説に由来しているとか。
どうも聊か薄い感激と、過去に見た小便小僧とは何だか違うという違和感を抱きながらその場を去る。
近くを歩いていると土産屋のウィンドウに飾られた色々な衣裳をまとった小便小僧人形やら、捻りの効いた壁画なんかが見られて本物よりも遥かに面白かった。
追記。
旅を終えて自宅に戻った後も、今回見た小便小僧と前回十数年前に見たそれが同一のものだったのか、違和感が残っていた。そもそも前回見た場所は小路をくぐり抜けて辿り着いたひっそり感ある小スペースであった筈。十字路ではない!
見た像も確かに小さかったが洞窟の中にあったようなおぼろげな記憶があったが、まあ記憶に自信があるわけでもない。
調べてみると合点が行った。
小便小僧とは別に、小便少女 というのがある。
前回見たのはこちらだったのではないか。
通行人を楽しませる目的で1985年に製作されたもので、小便小僧の近くに設置されたようだ。
裸の少女がしゃがんで放尿する姿を忠実に表現。
小便小僧ジュリアン君は眉間にシワがあるが、少女のほうは幸せな表情。
小便少女はポストカードにもなっており、売上の収益金はエイズ患者救済のために使われているそうだ。
Wikipedia によると、「道路から手が届く位置にあったために、像に触る人が後を絶たず、像の局部周辺がはげあがってきたために、柵が設置され、現在は触れることができなくなっている。」とあり大笑い。
やはり前回見た像は少女像のほうだったのだなあ。
こちらをどうぞ! ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小便少女
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バルセロナ テロ事件
http://ptaro2009q.exblog.jp/26908931/
2017-08-18T18:14:00+09:00
2017-10-21T14:04:51+09:00
2017-08-18T15:23:54+09:00
ptaro2009q
Spain
5月の欧州旅で5日間を過ごした街だけに実に驚いた。
またバルセロナの中心地での事件とのことだがどの辺での事件だったのか気になった。
報道を見る限り、事故の現場となったのは「ランブラス通り」だと云う。まさか、とは思ったが、そのまさか、であった。
ランブラス通りといえば、市の中心となるカタルーニャ広場から地中海を臨む港湾部まで延びる長き一本道、バルセロナ随一の繁華街と言っても良い。
沿道には緑豊かに背の高い木々が茂り、通りの中心部が幅広い舗道となっており、道両側には露店やカフェ等の飲食店など何処までも続き観光客がごった返しておった。
バルセロナ滞在中は毎日このランブラス通りを歩き色々な店を覗き込み、またオープンカフェでビールやサングリアを飲みながら人々の往来を眺めておったものだ。
今回のテロでは18ヶ国以上の観光客が死傷したとのことだが、確かに国際色豊かな賑やかな通りで、時間によってはサッサと思い通りに進めないほどに混雑する通りであった。
車道はこの広い歩行者天国の如き舗道の両脇にそれぞれ一車線ずつあるだけで、車は大したスピードも出せずに小さくなって動いていた印象がある。
テロリストの車は恐らく歩行者天国に侵入して暴走に及んだのであろう。
夕方の雑踏に割り込み高速で蛇行を繰り返しながら人々を跳ね飛ばした犯人の蛮行は許し難い。
犯人の動機は如何なるものか。
実行犯はまだ逃走中? 政治的或いは宗教的なものなのかはまだ明らかにはなっていない。
観光客の多さで近隣住民からの騒音や物価上昇への不満が高まり社会問題化しているとの報もある。
賑やかな観光客に対する嫉妬というか社会格差の問題が絡んでいるのかもしれない。
それにしてもこのところ欧州各地でのテロの多さは日常化して来た感がある。
複雑で根深い社会問題が残る限りはこうした事態を撲滅していくのは容易ならざる時代となった。
何ともやるせなさ以上のものが残る。
犠牲者の方々、そしてバルセロナに声を掛けたいが何と言って良いか分からない。
今回の欧州旅で訪れたブリュッセル中央駅、パリのシャンゼリゼ通り、そしてバルセロナのランブラス通り、帰国後3ケ月以内に縁ある土地で立て続けにテロ事件が発生したことにも驚かされた。
日本、なかんずく東京にとっても対岸の火事とは言えない状況が目前に迫っている。
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欧州ひとり旅 (16) Day 4 ブリュッセル その3
http://ptaro2009q.exblog.jp/26847278/
2017-07-28T10:56:00+09:00
2017-10-21T14:06:09+09:00
2017-07-28T10:56:43+09:00
ptaro2009q
Belgium
一人旅ということもあり、外食は多くはなく、スーパー等で買いものをして食べるほうが経済的にも時間的にも楽であった。
食事は生命維持のためのもの、という局面も少なくない味気ない旅ではあったが、美食の国ベルギーで楽しみにしていたのが蒸しムール貝。
以前のブリュッセル訪問でも食べたことがあったが、今回一人でゆっくりとバケツ一杯のムール貝を食べることを楽しみにしていた。
ブリュッセル到着の日はいつものようにホテル探しから始めたのだが、その日もまたまた大苦戦。
中々予約したホテルが見つからない。
中央駅から徒歩30分程度のところ、地図と擦り合わせてこの辺、と思った箇所をさらったが、悉くハズレで途方に暮れた。
重いリュックを背負っての彷徨であり、前篇でも書いた空気の悪さに疲弊が増して行くばかり。
遂に白旗揚げた。
ホテルのチェックイン時間迄にはあと1時間以上あるので、作戦変更。
一旦駅やグラン・プラスがある繁華街に戻ってお昼を食べてから、タクシーに乗ってホテルを探してもらうことにした。
中央駅からグラン・プラスに向かって坂を下ったところの小広場にレストランが並ぶ。
どこも多くの観光客で賑やか。
その中の一軒を選び、屋外のテーブルではなく室内に入る。
屋外は開放感あるも 団体客が周囲を絶え間なく歩き騒がしく、リラックス出来そうもない。
ランチタイムのピークを過ぎたこともあるせいか、室内は客もまばら。
薄暗い照明、静かな環境はむしろ大変落ち着けた。先ず何は無くとも頼んだのが、ベルギービール ‼️
長い歩行で疲れ咽喉も渇いていたので、一杯目、美味さが沁みた。
殆ど一気に飲み干す。
オランダでは薄口のハイネケンの缶ビールを飲んでいたので、このフルーティでコクのあるベルギービールは一級品に思えた。
歓喜の涙流す。
さて注文して15分ほどで、お目当ての蒸しムール貝のバケツがやって来た。
バケツの中に無数のムール貝、加えてセロリ、玉ねぎ、ニンニク等が沁みた程よく混じっておる。
そしてフライドポテトが付け合わせとしてサーブされていた。
夢にまで見たムール貝、いややっと現実のものとなったぞい。
2杯目のビールとともにこのバケツ一杯の北海の海の幸、至福の味を小一時間かけてゆっくりと楽しんだ。
スープを含めて綺麗に完食なり!
ムール貝、旬は er のつく月、すなわち September から December までの間となる、と言うが、どうしてどうして十分に美味かった。
思えば、この2週間旅の食事の中では最も思い出深い食の宴であったなぁ。
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欧州ひとり旅 (15) Day 4-5 ブリュッセル その2
http://ptaro2009q.exblog.jp/26844797/
2017-07-27T21:28:00+09:00
2017-10-21T14:06:39+09:00
2017-07-27T09:26:02+09:00
ptaro2009q
Belgium
MSウィンドウズの更新作業が勝手に始まり、それが出来ないので元に戻す作業をしているとのことだが、その画面が延々と数日続き現在に至っておる。
ログイン出来ないのだ。
いけないこととは承知しながらも電源を落として再起動してみたが、状況は変わらず。
正常化のための手段をご存知の方がいらっしゃれば、是非ご教示お願いしたい。
ブログの方はパソコンの変調は天の声と都合の良い解釈をし、サボっておった。
流石にブランク長いと自分の記憶も薄くなるわと、この投稿はやっと手に入れたiPad Proにて書いておる。昨年11月に予約したもので入手までに半年以上待たされた。これまで9.7インチのものを利用していたが今回のは12.9インチの大判で大変見易く重宝している。
さて本題、ベルギーの首都・ブリュッセルのお話。
24時間足らずの滞在ではあったが街の印象としては正直なところかなり悪かった。
「中世の美しい都市」という期待値が高いだけに残念度は大きかった。
街の至るところ 極端に空気が悪く、路上が汚ないのである。
理由は明白、何を隠そう、路上喫煙者の多いこと多いこと。
子供は別として老若男女、これほど喫煙率の高い街を見たことがない。
気品高い中高年のオバサンあたりでもフツーに歩きタバコしている様子にはこの習慣の底辺の広さを感じざるを得なかったわ。
欧米、なかんずく欧州の都市での歩行喫煙の多さには大の嫌煙派としては いつも閉口させられるが、このブリュッセルの状況は最悪の部類と思えた。
古い街並みで往来も狭い通りが多いことから 尚更歩きタバコの煙が目立ってしまう。
当地到着後ホテル探しを含めて数時間以上を街歩きに費やしたが、歩き始めて1時間ほどで既に咽喉がいがらっぽくなり、次の1時間では咽喉の奥にニコチンやタールがこびりついているような感覚となり、この街を去る頃には完全に咽喉に苦い味が層のように重なっておった。
いやこれは生理的に空気を吸うこと自体に苦痛を伴うなあ。
喫煙者が多いことは理解できなくもないが、受動喫煙を危惧する嫌煙派だって多数いる筈ではないだろうか、嫌煙派は文句も言わずこの状況を容認しているのであろうか?
また行政側もしかり、いや行政のお偉方や職員も当然喫煙者多く、当然状況容認ということに落ち着いているのであろう。
「受動喫煙防止に関する法令がないのは、五輪開催都市では東京のみ」
「先進国G8で屋内禁煙を実施していないのは日本だけ」
こうして日本は愛煙家天国のように言われているが、いやどうしてどうして屋外だけであればブリュッセルを始めとした欧州都市の惨状と比べれば東京の街は実に実にクリーンである。
併せて、これだけ喫煙率が高い街だとブリュッセル人平均寿命は短いのであろうか等、あれこれ余計な詮索、心配にも及んだ次第であった。
どうもEC全体では喫煙を控えるよう唱えているようだが、どの都市も屋内は禁煙原則なれど総じて屋外の歩きタバコに関しては寛容で規制を設けてはいないようである。
東京オリンピックの際には海外から大群の客が押寄せ歩行喫煙が東京の街にまかり通るのか、これも聊か心配のタネとなろうか、東京都の適切な対応を望むところである。
タバコの煙だけでなく、路上でのポイ捨てが多いのにも閉口した。
呆れた、と言っても良い。
吸っては街角にポイ、がフツーなのである、街の美観など関係ない、いや、この街には道徳もないのかね。
これでは街そのものが灰皿のようなものである。
咽喉がおかしくなるのは煙のせいだけではなく、捨てられた吸殻のせいでもあるのであろう。
いや此処まで書いてきて我が口の中、ん〜、なんだか苦くていがらっぽくなって来たぞ。
さてタバコの件でブリュッセルを酷評したが、ブリュッセルの名誉のために付言しておこう。
翌朝7時頃から早朝散歩に市街へ出掛ける。
昨日見られなかった小便小僧像など見ておきたかったのであった。
昨日も歩いた商店街・繁華街を歩いて吃驚、あちこちに緑色の大小の清掃車や掃除人多数。
清掃車が大きな丸ブラシを回転させ、吸殻を含めたゴミを街路から一掃する。
その後清掃車は大量の水を吐き出し路上を清める。
午後夕方のかなり雑然煤けた街角風景は一転曇りなきものになる。
なかなか壮観な景色である
2時間ほど歩いたが、余りに頻繁に各所でこの清掃車や清掃人の姿を見かけたことには驚いた。
街をあげた毎朝の大掃除はブリュッセルの名物だ。
そして或る意味納得した。
この恐らくは毎朝の一斉大清掃があるから、喫煙者は安心してポイ捨てが出来る、ということなのであろう。
そして街の清潔さと美観を保つために多数の清掃車、清掃人を保っているのは、市民の雇用を確保する点でも小さからぬ社会的効果をあげているようにさえ思われた。
う〜〜ん、タバコのポイ捨ては廻り廻って雇用確保のための社会貢献となっておるわ。
一度仕事絡みの団体旅行で来たことのあるブリュッセルではあったが、その時はこうした煙害には全く気付くことはなかった。
また、TVの旅番組、街角風景を映した番組ではタバコの存在など殆ど感じさせられることはないが、実際に歩いてみると想定外の事実が多いことも旅の本質であるもんだ。
ガイドブックやネットの情報などでもなかなか拾えぬ現地の空気感や生理的な相性など、良くも悪くもやはり旅はしてみないと分からぬものである。]]>
欧州ひとり旅(14) Day 4 ブリュッセル
http://ptaro2009q.exblog.jp/26791376/
2017-07-05T14:28:00+09:00
2017-10-21T14:07:12+09:00
2017-07-05T14:28:24+09:00
ptaro2009q
Belgium
さて当日これからどう動くか、思索巡らせる。
様々なアイデアが浮かんでは消え。。。
アントワープの旧市街のお散歩、水辺の景色が美しい古都ブリュージュ再訪などの考えもよぎったが、早めにブリュッセルに出て当地で一日を過ごすのが良いか、やはりベルギーの首都、いやEUの首都ブリュッセルには一日を使いたい、結局は当初案で行こうということで落ち着いた。
アントワープからブリュッセルまでは、乗り換えなしの直通快速電車で40分。
混雑のない列車はストレスがなくて良い。
車窓風景はオランダの整った自然や現代的な街並みとは異なり、良く言えば、歴史ある、というか、より正直にいうと、古くて雑然、というべきか、かなりトーンは変わってきたが、ヨーロッパの都市部はこんなものか。
目的地に近づくにつれ、橋梁の上を走り続け雑踏を見下ろす。
何となく山手線の上野・御徒町界隈を思い出した。
目的地であるブリュッセル中央駅に到着。
オランダ諸駅やアントワープの見事な駅を幾つも見て来たが、このブリュッセル中央駅は余り特徴的な部分もないコンクリートの塊。装飾らしきものも少なく華美さが感じられないところには聊か拍子抜け、ベルギーの首都に着いた興奮は今一つであった。
さて、ブリュッセルは こんなところ。
-1000年超える歴史、中世から続くヨーロッパの十字路
-政治・文化におけるヨーロッパの中心地(EUやNATOの本部あり)
-美しい市街は世界遺産にも登録され「小パリ」と呼ばれる
-世界有数の美食の都:ベルギービールとチョコレート、ワッフル!
-世界三大がっかり、小便小僧像 (小便少女像というのもある)
なお、このブリュッセル中央駅、つい最近、6月20日夜に爆発があったとの報道には驚いた。
この旅を終えて一か月も経っていないタイミングであった。
ベルギー連邦検察は「テロ攻撃と考えられる」との判断を示したようだ。
駅で警備に当たっていた兵士が爆発直後に容疑者とみられる男に発砲し制圧したらしいが、容疑者とみられる男は「自爆ベルト」を身につけていたとの情報もあり。
いや、くわばらくわばら、である。
確かに駅周辺にはマシンガンを抱えた兵士が数人単位で何組かがあちこちパトロールしておったが、日常的にこうしたリスクが起こりうる物騒な地でもあったのだ。
さて何も知らない阿呆(私)はノンキに駅を出て街に出た。
今日の宿を取り敢えずは探して荷物から解放されたいと願うばかりであった。
駅を出て数分、何だか人通りがやたら増えてきて流れに沿って進んでみると、狭い小賂を経てとんでもない大広場に辿り着いた。
いきなり中世にタイムトリップである。
四方に歴史ある大きな建物が広場を囲む。
広場そして広場を囲む4面の建物の規模の大きさに首を何回廻しても全貌を一度に観ることは難しい。カメラでその模様を捉えることも出来なかった。
その荘厳な空気に背筋が伸びた。
「ブリュッセルの顔」、名にし負う「グラン・プラス」である。
まだ朝の早めの時間であったが、お昼近くからは団体客を含めて、この広場は世界各国の人々で一杯となる。
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欧州ひとり旅(13) Day 3 アントワープ その3
http://ptaro2009q.exblog.jp/26785948/
2017-07-04T11:02:00+09:00
2017-10-21T14:07:32+09:00
2017-07-03T11:02:56+09:00
ptaro2009q
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ガイド本などで、ノートルダム大寺院や市庁舎などの名建築、ルーベンスの家、ダイアモンド博物館、が見どころであることはボンヤリとは認識していた。
帰国後調べてみると、かの名作「フランダースの犬」の舞台であり、新旧の名建築多く、文化・芸術的にも見どころ満載、お薦めレストランも多数の活気あふれる街、とあった。
残念ながら、明確な目的意識なく、ホテル到着後にこれらを見て渡る体力・気力は殆どない状態であった。
その日は、朝早い時間に起きてデン・ハーグの街を歩き回り、またアントワープでも宿探しで随分と歩き、最後はホテルでの洗濯でダメ押し。
体力消耗・青息吐息、気力も尽きたようだ。
しばらくは洗濯したシャツなどの乾燥具合を時々見ながら部屋でまったりとすることにした。
さて暫くの休息も取り小腹も空いてきたことから、少し外を歩くことへ。
時刻は夕刻6時頃。
行き先は、ホテルのご主人のアドバイスを思い出し、観光名所が集中する旧市街の繁華街ではなく、その反対方向にあたる再開発地域である港湾地区へ出掛けることにした。
ホテル周辺、住宅街に交じって倉庫やら突発的な高層マンションなどが建つ比較的整理された地域のようだ。
教えられた方向に沿って港湾地区へ。
家屋に交じってモダンなビルが混じる光景はまだオランダの続きを見ている気がしたが、悪くない。
さて今回の散歩の目的地、港湾地区というので海なのかと思っていたが、どうも川のようである。
北フランスを水源とし北海にそそぐシュケルデ川という。
大きな観光船が2艘停泊している程度で、全体には人も殆ど歩いていない閑散たる場所であったが、川べりの一箇所だけ、どうも倉庫らしき所だが、随分の人が集まっている箇所があるのでそちらに向かうことにした。
何もなさそうなところ、周囲には人っ子一人歩いていないのだが、何故にそこだけ人が一点集中しておるのか?
人々が何故この地に集まっているのかは定かではないが、恐らくは遅い日の入り、夕陽とその後に来る夕闇を待っているのではなかろうか。
日の入りと言っても、こちらは緯度も高く、夏至までにはまだひと月以上ある時期ではあったが、夜10時半頃までは暗くならない土地なのである。
午後7時を過ぎても十分に陽は高い。
陽が暮れるまで人々はビールやワインを片手に友人や家族とお喋りに勤しむ、ということなのだろう。
適度な間隔で建つ3棟のモダンな高層ビルがある水辺の風景を見ながらのベルギービールは実に美味そうだ。
人々は倉庫から椅子を自由に持ち出して、好きなところで川を眺め日没を待つ。
なかなか良い場所に出くわしたことに感激した。
当方もパブになっている倉庫内に入って一杯のベルギービールを求め、同じ景色を眺めながら咽喉を潤すことにした。
オランダのハイネケンに比べると、はるかにコクありフルーティでもあるベルギービールは美味かった。
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欧州ひとり旅(12) Day 3 アントワープ その2
http://ptaro2009q.exblog.jp/26783346/
2017-07-02T10:55:00+09:00
2017-10-21T14:07:57+09:00
2017-07-02T10:55:27+09:00
ptaro2009q
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体力多く使わずに迅速に宿が見つかれば、その日の後の活動も色々なオプションが出て来るが、そうでなければもうその日は終わってしまうことにもなりかねない。
毎日この宿探しが最大の苦労となっているが、この日もやはり簡単には行かなかった。
先ずは駅のInformationのコーナーでどっちの方角へ行けばよいのか、交通機関を用いる必要があるかなどを尋ねる。
Informationの若い女性は住所をパソコンに打ち込み、地図の画面をプリントアウトしてくれて30分ほど歩けば見つかる筈だと教えてくれた。
機動的かつ迅速な対応に驚く。
(日本でも今後海外客に対してはこうして対応出来れば良いものだ!)
方向的には駅にほど近いチャイナタウンを抜けて真っ直ぐ、という感じなので、気合を入れて出発。
街を歩くにつれ国が変わったので若干雰囲気も変わってきたことに気付く。
アントワープ、16世紀頃より海運業で隆盛を極めた人口50万の都市だが、ドイツ的な律儀さが伺えるオランダの街とは異なり、フランス文化の匂いが漂ってきた。
道を尋ねても鼻に抜けるフランス語訛りの英語で分かりずらい、住居表示もフランス語が多い。
街並みも若干古く雑然とした印象あり。
街歩く人、これまであまり見なかったアフリカ黒人系、アラブ人などが一気に増えてきてエキゾチックである。
ホテルへの道のほうはやはり一筋縄には分からず。
地図で何度か現在地を確認しながら進むもなかなか要を得ず苦労した。
碁盤目状のようで、途中何回か道が放射線状に拡散するので、正しい方向から外れるとどんどんと的から外れていくこととなる。
結局その日も30分以上、彷徨うこととなる。
既述の通り重い登山リュックを背負って強い太陽のもと歩いていたので疲労感も強い。
苦労して見つけたホテルは住宅街の一角。
道尋ねた親切な紳士のお陰で、何とか絶望的な気分になる前に見つけることが出来た。
大きな看板もなく、建物の入口が引っ込んだ所にあるだけの実に分かりずらいホテルであった。
フロントというよりは事務所という感じの狭い一室に入ると、管理人というかオーナーさんであろうご老人が、私を見つけるやいなや大声でゆっくりと私の名前を叫んだので驚いた。
当日の朝ネットで予約していたのだが、日本人客は珍しいので顔を見るなりすぐ認識できたのであろう。
3階の部屋まで一緒に案内してくれ、部屋の中で施設の説明など丁寧に話をして頂く。
アントワープの観光案内も若干してもらい、その気さくさ、親切心が有難かった。
このホテルはどうも嘗ては倉庫であったものをホテルに改装したとのことであったが、今回の旅これまで泊まった部屋の中では広さや施設などの点では最も快適なものであった。
これまで宿泊したホテルにはなかった台所や冷蔵庫が備え付けられており大拍手。
いや、これは住んでみたい部屋と言っても良いとマジメに考えたほどである。
価格的にも実にリーゾナブルかつ実利的な部屋にありつけ満足した。
部屋に到着後は、すぐに洗濯にいそしんだ。
荷物を最小化するために着替えは多くは持ち歩いていないので頻繁な洗濯が必須なのである。
ただ石鹼水で手洗いしてすすぐだけなので洗浄力はいい加減、手で絞るだけなので水切りも十分ではなく、干すのに苦労した。(注:コインランドリーなんていう便利なものは余りどこの街角でも見かけなかった。日本のビジネスホテルはつくづく凄いと思う。)
浪漫溢れる旅ではあるが、長期となるとどうしても「生活部分」も旅の一部となるものだ。
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欧州ひとり旅(11) Day 3 アントワープ中央駅
http://ptaro2009q.exblog.jp/26776523/
2017-06-29T17:13:00+09:00
2017-10-21T14:08:21+09:00
2017-06-29T17:13:19+09:00
ptaro2009q
Belgium
ベルギー第二の都市・アントワープ駅にて下車した。
3日目はこのアントワープにて宿泊する。
欧州のなかでもオランダやベルギーは国際的な会議開催や条約締結が歴史的にも多く見られる。
旅に出る前に地図を開いていた際に、ハーグだ、マーストリヒトだ、ユトレヒトだ、あれあれ世界史の教科書で、はたまた、現代のEU統合絡みでなど、こうしたオラダンやベルギーの都市の名前が条約の名前として出ていたことを瞬間的に思い出していた。
まあ尤も何がどういう条約かは殆ど覚えておらないが。
アントワープについても、ノドに小骨が痞えるように何かの条約があった記憶だけはあった。
帰国してから調べてみると確かに「ヨーク・アントワープ規則」という国際統一規則がある。
一般の方々には日常縁のない規則ではあるが、1950年に制定された海上輸送に関する事故処理や紛争処理についての取り決めで、事実上共同海損を処理する上で世界的な準拠法となっている。
いや実は大学で専攻したゼミは「海上保険論」で、英文約款などを読むとこの「ヨーク・アントワープ規則」が色んなところで引用されていたことを思い出した。
海上保険論を学ぶ学生にとっては常識中の常識の対象となっていた規則ではあるが、40年以上前のことでもうすっかり忘れておった。
アントワープには忘れてはいけない縁があったのだ。
さて、アントワープ、前篇のロッテルダムに続き、駅舎に大層驚かされた。
ロッテルダムはその大きさに驚いたが、アントワープは美しさに驚いたのである。
いや何層にもなっているプラットフォームの機能性や未来的なデザイン性もさることながら、地下ホームから何度もエスカレーターを乗り継ぎ改札口を出たあとに遭遇した大聖堂の如き駅舎ホールは壮大、荘厳。
上手く表現することが出来ないのがもどかしいが、このような美しい駅を見たことはない。
なるほど「世界の美しい駅ランキング」のトップ常連となっているようだが、十分納得である。
プラットフォームは3層ほどになっており機能的だ。
色調もなかなかお洒落である。
従来からあった鉄骨とガラスの大屋根はいかにもヨーロッパの駅。
改装されたようだが、未来的なプラットフォームともマッチして実に美しい。
良い写真がないのでそのスケール感や雰囲気は分かりづらいが、ホール部分はまさに「大聖堂」。
未来的なプラットフォーム部分の構内とは対照的にクラッシック。
見上げるほどの高い天井、豪華な装飾。
100年以上の歴史ある駅だが、近来綺麗に改装されておりアールヌーボー風装飾、新しい大理石が何とも豪華。
とても駅とは思えない。
駅舎内にはカフェテリアがあり、王宮気分を味わいながら美味しいコーヒーが飲めるそうだ。
駆け足で通り過ぎるだけであったが実に勿体なかったものだ。
もう一度ゆっくり味わいたい駅であった。
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欧州ひとり旅(10) Day 3 ロッテルダム中央駅
http://ptaro2009q.exblog.jp/26768451/
2017-06-27T10:59:00+09:00
2017-10-21T14:08:43+09:00
2017-06-26T11:42:58+09:00
ptaro2009q
Netherlands
一気に首都ブルッセルまで行く手もあったが、喧噪が予想される大都市の一歩手前のアントワープで少しまったりするのが宜しいか。
デン・ハーグから鉄道に乗り、まずは終点のロッテルダム中央駅へ向かう。
ロッテルダムは首都アムステルダムに次ぐオランダ第2の都市で人口63万人。
16世紀から栄えた港町で世界第3位の国際港を持つ。
高層ビルディングが都会的なスカイラインを形成し「マース川のマンハッタン」と呼ばれている。
予定にはなかったが折角の大都市なので、すぐにアントワープ行き電車に乗り継ぎすることなく、少々駅前の様子でも見てみるか。
7面13線という構内の規模もともかく、驚いたのはこの駅舎の大きさ。
ホームに降り改札口を出てから、この駅のとてつもなく大きなスペースに驚く。
兎に角天井がとてつもなく広く、無用なほどに大きなスペースが拡がる。
乗客の数も極端には多くないので尚更駅舎の大きさが目立つ。
外に出るのに随分時間が掛かったような気がした。
そしてそして、駅舎の外に出て更に驚いた。
駅前はただただ障害物がないただの大広場、そのスケール感には驚くというよりは呆れてしまった。
普通にある駅前の繁華街などは一切なくコンクリートの大平原である。
日本の大都市の駅、いや欧州一般の大きな駅でもこのようなスケール感のある駅は殆どないのではないかと思えた。
振り返って見て、もう一度吃驚。
駅舎の屋根の大きさとデザインの大胆さに。
大きなオランダ人には大きな駅が良く似合う、か?
調べてみるとロッテルダム駅、開業は1847年だが、1957年に建設された旧駅舎は2007年に撤去され、2014年に新駅舎が開業とのこと。
何故これほどスペース感ある建物としたのか興味をそそられた。
駅前広場の先に少し奇妙なデザインの建物があるので行ってみた。
一軒は壁面が赤のポップな建物、もう一軒は壁面が波打った建物。
あの駅舎にして、駅前にこれらの斬新なデザインのビル。
いやロッテルダムの街中にはどれだけ楽しいビルが溢れていることだろうか、「マース川のマンハッタン」たるところ、もっともっと見てみたい気持ちを堪え、ベルギーへの電車に乗るために駅舎に戻ることとなった。
さて、アントワープ行きの切符を買おうとしたが、自動販売機らしきものが見当たらない。
オランダでは(いや欧州一般がそうなのであろうか?)自動販売機の数は少なく一般には窓口で切符を求めるのが普通なのであろうか。
確かにこれまでオランダの各駅ではいずれも窓口で切符を買っていた。
その窓口のコーナーをやっとみつけて整理券を求め自分の番号が呼ばれるのを待つことになった。
番号はどうも国内便、ベルギー等へ行く国際便などに応じて発券され、それぞれカウンターが分かれているようだが、国際便のカウンターはひとつしかなく中々番号が進まない。
5分経っても10分経っても自分の番号が呼ばれない。
客が多数待っていても駅側はカウンターを追加して開けようとはしないことにイラついた。
電車の切符一枚買うのに此処までの時間が掛かるとは全く考えもしなかった。
何事も日本標準でものを考えるのは旅においてはタブーなのでいちいち腹を立ててはいけないが、随分に非効率なものである。
これに限らず欧州旅の至る箇所においても、日本のサービスの効率性や利便性、顧客のニーズへの対応力の高さはやはり素晴らしいと妙な里ごころに駆られた次第である。
失礼ながら、この巨大駅でこんな諺を思い出した。
「大男総身に知恵が回りかね 」
結局切符買うのに20分、一時間に一本のベルギー行きにはまた随分待たされることとなった。
これも旅なり、のんびり行こうか。
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