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青梅駅を降りて、正面左側の通り、住江町商店街には昔懐かしい映画看板が散見される。
商店には、扱う商品とは無関係に昔の名画の看板が付けられており、看板を見つけるたびにその映画の記憶が甦って来る。懐かしい映画音楽が頭の中を駆け巡る。その映画を見たときの自分の居た景色が浮かんでくる。どの映画も、恐らく団塊の世代以上の方々であれば、殆どがお馴染みのものであろう。 青梅訪問記のある個人サイトを色々見て分かったが、どうも看板も一箇所に長く固定されているわけでもなく、色々な商店その他の個所を場所を変えて巡廻しているようである。個人的には、拙ブログでもたびたび紹介しているアメリカ中西部、グランドティートンの山々を背景に繰り広げられている名作・「シェーン」の看板が発見できて嬉しかったのだが、この「シェーン」は街中からははずれた寂しいところに立てかけられていた。もっと街のど真ん中の賑やかなところへ、「シェーン、カムバック!」と叫びたいところであった。(笑) いづれも青梅が生んだ映画看板師の久保板観師の筆によるものらしい。 昭和34年、中学を出て16歳の頃から映画看板師となった筋金入りの職人さんのようで、昭和30年代には1日1枚のペースで看板を量産したらしい。しかし、その後東京オリンピック開催を機にTVの普及などで映画は斜陽産業となり、看板師も生活が成り行かなくなり、廃業したそうだ。 青梅に当時三館あった映画館の看板をすべて描いていたそうだが、その三館も全て廃業。 どうも雰囲気から察するに、映画館だけではなく、街そのものも斜陽化してきた風だ。関東の地方小都市に共通するうらぶれた、活気のない空気がこの東京の小都市にも見られた。 しかし、街の活性化のために、懐かしい映画看板を平成7年から商店街各所に取り付ける企画が生まれ、地元出身の板観氏に白羽の矢が立つ。コンピュータグラフィックで簡単に描ける看板の味気なさに打ち克とうと立体感の出る泥絵の具を使った映画看板の数々は、まさに良き時代・昭和をそのまま体現しているようだ。この商店街には、映画看板だけではなく、昭和のレトロなグッズを展示する記念館など、懐かしい香りのする街に再生されている。 こうした背景を知っていくと、街並みにも人々の熱き思いや努力が透けて見えて感慨深いものがある。 ただ、寒さのせいもあったのだろうが、土曜日にしては、歩く人の数もまばら、若い人は特に少ない。 奥多摩ハイキング族や、吉野梅郷の梅見に向かうあれだけの中高年を振り向かせて青梅に下車させ、青梅リピーターにするには、もうひと工夫も必要なのかもしれない。 そう言えば、映画看板は復活したが、肝心の映画館はまだ再開していないようである。 新作は都会のシネコンにお任せして、古い名画を此処で流せば映画の聖地としてファンがもっと集まるかもしれない。 (写真は、追って掲載の予定です。)
by ptaro2009q
| 2007-03-21 10:16
| Excursion
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