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初めてニューヨークに出張で来たのは、もう20年以上も前。
その時に初めて泊まったホテルは、インターコンチネンタル。(現在名は、InterContinetal THE BARCLAY NEW YORK) - パークアベニュー附近、48丁目にある伝統ある名門ホテルであった。このホテルを出てすぐに巡り合う下の写真の沿道シーンは、大都会・ニューヨークを感じさせるひとつの極めてシンボリックなものであった。 正面のHelmsleyビル、そしてMet Lifeビルは、何だか会議室のテーブルの議長席の議長であるかのようにこのパーク・アベニューの先にどーんと鎮座している。Met Lifeビルは、嘗ては"パンナム(PAN AM)"と呼ばれる航空会社、パンアメリカン航空のビルであった。PAN AMは当時は泣く子も黙る大アメリカ帝国の世界的大航空会社、というイメージが強く、このビルは威風堂々、その強いイメージを具現するまさしくアメリカの象徴的ビルであった。しかし、いつかこのPAN AMも無くなり、保険会社のビルとなってしまったのは何故か寂しいものがある。 そして、またこの沿道に並んでいた大商業銀行、マニュファクチャラーズ・ハノーバーやケミカル・バンクなども相次いで1990年以降の金融再編で合併を繰り返し、その凛々しい姿が見られなくなってしまった。いづれもビルは残れど、看板はすっかり変わってしまい、金融に関わる者としてもその凄まじいビジネスのターンオーバーに驚かされる。 20年前にあった企業も随分が消滅し、また名前も変わり、顔ぶれは変わってしまった。 また1980年代後半にはこの辺りにも随分日本の大小金融機関が「右へならえ!」と進出し店舗・事務所を抱えていたが、殆んどは2000年の前には撤退し、残っているものは僅かとなったようだ。 このパーク・アベニューの美しい光景は、ひと皮剥くと、まさしく世界経済の変遷を具現する縮図、恐ろしい箱庭のような存在でもある。盛者必衰、人生至るところで浮沈あり。長く、堅実にサバイブすることは企業にとっても、一個人にとっても簡単ではない。
by ptaro2009q
| 2006-03-04 10:50
| New York
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